夢商い 御伽屋 綴


 夢解き夢占夢違え、夢見合わせに夢詣で。
 凡そ夢に纏わる万象に於いて右に出る者はないと評判の店、夢商いの御伽屋「綴」。
 板塀に囲まれた広大な敷地に建つ木造平屋建ての古風な佇まいのその屋敷は、とかく珍事には事欠かぬ迷宮都市カイロの魔法街キリエにあって1、2を争う風変わりさを誇る謎の館として知られる一方で、夢絡みの悩みを抱える者の寄る辺としても秘かに名を馳せていた。
 

※※※


 引き戸の開く軽やかな音に帳簿に落としていた視線を上げた綴の柳眉が、僅かにそれと解る程度に見開かれる。
 しかし、そこは有能な商売人でもある彼女の事、一瞬の驚きは胸の裡に留め、艶冶な笑みを目許に湛えて殊更に慇懃な調子で深々と頭を垂れた。
 「いらせられませ、ラザワード様」
 恭しく出迎えられた相手の方が、眉尻を下げ唇の片端を持ち上げるという何とも微妙な顔つきになる。
 その表情は、一目で公的な身分での来訪を見抜いた綴の慧眼に対する驚嘆とばつの悪さとに起因するものだ。
 普段、「ラズ」の通り名でこの店を訪れる時の彼は、大抵が仕立ては良いが作りそのものは市井の民と変わらぬ衣服を身につけている。
 それは、一個人としての自身に対する拘りと矜持によるものだ。
 だが、その日の彼は、明らかに趣を異にしていた。
 滑らかなスエードの胴衣の上から黒地に銀で忍冬文を縫い取った肩布を纏い、錦の細帯で留めている。
 鞣革の長靴には両翼を広げた隼の姿が銀箔で型押しされており、同じ紋様の剣帯も常のように上着の裾に隠す事はせず、堂々と腰に提げられていた。
 その典雅な装いは、ラピスヴィナ家の次男という彼本来の身の上にこそ相応しい。
 曖昧な苦笑を浮かべたラズは、綴の言外の指摘を否定しないまま、黙って半身を退いて連れを招き入れる。
 彼の背後から現れたのは、白いヴェルベットのマントに身を包んだ年若い貴婦人だった。
 「綴殿、ですね」
 問いかけではなく確認の口調でそう呼ばわって、女性は頭部を覆う大きなフードをゆったりとした手つきで下ろす。
 まず現れたのは、背に流れ落ちる艶やかな黒髪。それから、濃い睫毛に縁取られた黒曜石の如き双眸。
 葡萄色のシルクのドレスの胸元は首筋まで豪奢なレースに覆われており、マントの裏地には金糸でアラベスク模様が刺繍されていて、肩まで覆うフードが丁度大きな飾り襟のように見える。
 マントの止め具に用いられた銀製の透かし彫りのブローチや絢爛な緞子の帯は、何れも庶民の手が届く品ではない。
 ほっそりとした嫋やかな手指も、そろそろと歩を進めるその所作も、彼女の高貴な出自を物語っていた。
 それに、豊かに波打つ黒髪や強い意志を感じさせるはっきりとした面差しは、どことなくラズに通じるものがある。
 予想に違わず、女性は優雅に腰を折ると、穏やかな声でこう名乗りを告げた。
 「ラピスヴィナ公が一子、エカルラート・モナ・ド・ラピスヴィナと申します」
 「まぁ、ようこそおいでくださいました」
 綴は、助手を務めていた空蝉に目配せすると、記帳台を脇に退けて一行を店の奥へと招き入れる。
 「どうぞこちらへ」
 ラズとエカルラート、それに彼女に手を引かれた幼い男児の3人連れは、綴の先導で屋敷の中央に位置する桂の間へと通された。
 程なくして、茶器を手にした空蝉を筆頭に、胡蝶、蜻蛉、七星の4人の斎子も入室する。
 全員が揃ったところで、エカルラートは改めて丁重な口上を述べた。
 「その節は悩める弟にお力添えいただいたとの事、まずはお礼申し上げます」
 「こちらこそ、ラザワード様にはご贔屓にしていただいて」
 「…そのようですわね」
 にこやかに返礼する綴に、エカルラートは傍らに控える実弟をちらりと見遣って口許を綻ばせる。
 多分に含みの有る遣り取りを耳にした空蝉はそっと顔を伏せ、胡蝶は宙を仰いで溜め息を落とした。
 静謐さを崩さない蜻蛉ときょとんとした顔の七星を前に、俎上のラズは居た堪れない様子で視線を泳がせる。
 哀れなラズを肴に一頻り場が和んだところで、店主の顔に戻った綴が客人に水を向けるべくこう問いかけた。
 「して、此度のご来店は如何様なご用向きで?」
 こちらも居住まいを正したエカルラートが、表情を曇らせつつ口火を切る。
 「実は、我が領内で起きている神隠しについて、お力をお借りしたいのです」