
彩りも艶やかな花鳥図の掛けられた几帳に、朱塗りの衣桁。
甘さよりもしんと沁みる涼やかさの勝る独特の馨は、焚き染められた海渡りの香に因るものか。
異国情緒溢れる室内を物珍しげに見渡したノスリは、斎子の正装なのだろう純白の狩衣に身を包み脇息にしな垂れかかるようにして坐す部屋の主の姿に息を呑む。
空蝉よりは幼く、廊下ですれ違った銀の髪の少女よりは幾分年嵩と思しきその少女は、鮮やかな代赭の髪の持ち主だった。
思うところもあるだろうノスリは、しかし、賢明にも驚きを胸の裡に留めて相手の出方を待つ。
気の強そうな緑色の双眸をひたとノスリに据えて、少女は物憂げに口を開いた。
「あたしは胡蝶、夢を訪なう者。貴方は?」
ノスリは、およそ客を迎えるとは思えぬ胡蝶の態度を咎めるでもなく、己が身を明かす。
「私はノスリ。芙揺の国で近衛隊長を務めております」
「この部屋に通されたという事は、夢詣でをお望みなのね」
「如何にも」
端的に応えるノスリの顔を、胡蝶はしばし感情の窺えない瞳で凝視し続けた。
やがて、姿勢を正すと大人びた顔つきで改めてノスリに向き直る。
「良いわ。話を聞かせて頂戴」
つられて威儀を正したノスリは、促されるままに用件を切り出した。
「相手方の名は椿《ツバキ》様。芙揺の王太子妃、いや、王妃であらせられるお方だ。沙汰の途絶えて久しい彼の方に国の再興を伝え、ご帰還を促したい」
そのまま、綴に話したのと同じ事情をかいつまんで説明する。
さして興味もなさそうに聞いていた胡蝶は、ノスリが話し終えるのを待ってやや皮肉な問いを投げかけた。
「いくらお相手が王妃様とは言え、復興間もない国や王様を放り出してまで近衛隊長自らが乗り出すような用件とは思えないけれど?」
「私は王妃殿下とは少々所縁のある身故、下手に他の者を遣わすより心を通わせ易かろうと判断した次第。妃殿下や王女の行方も国の大事なれば、然程不思議も有りますまい」
胡蝶は、あくまで謹厳な忠臣として応じるノスリの目を真っ直ぐに見つめ返す。
心の底を見透かすような眼差しの奥深さは、数多の夢を渡った末に身につけたものか。
ややあって、再び口を開いた胡蝶の声は、年の頃に似合わぬ重々しい憂いを孕んでいた。
「夢を覗く事は、時に相手の心を暴く事にも繋がるわ」
僅かな揺らぎも看過せぬ厳しさで、胡蝶はノスリの覚悟を問う。
「所在も安否も知れぬ相手の夢に触れるのは危険も伴う。それでも、貴方は彼女の夢を詣でると言うのね?」
生半な気構えを許すつもりのない彼女に、ノスリもまた飾らぬ言葉で強い決意を示した。
「どのような事があろうとも、私は殿下にお逢いしなければならぬのです」
「そう」
悲愴ささえ滲むノスリの覚悟に、胡蝶は静かに目を伏せる。
「ならば、貴方の望みを叶えるわ」
彼女の言葉に潜む悲哀の響きの意味を、ノスリはまだ知らなかった。
※※※
「此処は…?」
気がつくと、ノスリは深い森の中にいた。
胡蝶の手で煎じられた薬湯を口にした後、 板の間に敷かれた置畳に設えられた仮の寝床に横になったところまでは記憶が有る。
という事は、これは夢の中なのだろうか。
ノスリは、躊躇いがちに辺りを窺う。
鬱蒼と木々の繁る森は暗く、今が何時時分なのかを推し量る事も難しい。
だが、この景色は何処かで見た気がする――。
戸惑うノスリの耳元に、不意に聞き覚えの有る声が響く。
「気をつけなさい」
声の主の姿を求めて視線を彷徨わせれば、うっそりとした木の下闇の中を色鮮やかな翅を持つ揚羽蝶がひらりひらりと舞っていた。
金色の燐粉を振り撒くその姿は、進むべき道を示す標に等しい。
「胡蝶殿か?」
ノスリの問いには答えず、蝶に化身した導き手は淡々と警告を発する。
「夢は人の心を移す鏡。人の心は不条理なもの。下手に迷い込んで飲まれてしまえば抜け出せなくなるわ」
蝶を追って歩を進めるノスリがその言葉の真意を質すより早く、目の前の木立が突然開けた。
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