夢商い 御伽屋 綴


 綴に先導されて吹貫の渡廊を進みながら、ラズは飄然とした表情の裏で内心の動揺と懸命に戦っていた。
 夢などという不可思議な物を商う店だけあって、店主の綴という女性にはどこか得体の知れないところがあった。
 嫣然とした笑みには匂いたつような艶があるのに、清浄な巫子装束が妙に似合ってもいる。
 そんな聖魔何れともつき難い存在感に加えて、綴は恐ろしい眼力の持ち主でもあった。
 闇の深淵を思わせる漆黒の眸で見据えられた時には、居た堪れなさの余り逃げ出したくなったくらいだ。
 大丈夫…未だに乱れたままの鼓動を静める為に、ラズは自分にそう言い聞かせる。
 ここまでは、不自然なところは何もない筈だ。こちらの素性が知られる惧れはない。伊達に普段から街での暮らしに身を置いているわけではないだろう?
 そうこうする内に、先に立って歩いていた綴が表面に桔梗の紋が描かれた扉の前で足を止めた。
 「こちらが桔梗の間。夢を読み解く斎子、蜻蛉《カゲロウ》の部屋でございます」
 つられて立ち止まったラズにそう言い置いて、綴は音もなく板戸を開く。
 店の入り口と同じ総板張りの部屋の中でラズを待っていたのは、雪と氷で出来た人形のような少女だった。
 「へぇ…」
 その姿を目にしたラズの口から、思わずといった態で感嘆の声が洩れる。
 蜻蛉という名の斎子は、とても綺麗な少女だった。
 白磁の肌に蒼氷の瞳。真っ直ぐに下ろした長い銀の髪は、横顔にかかる双鬢だけを組紐で掬い留めている。
 清楚な面には何の感情も見受けられず、その事が尚更人形めいた神秘的な印象を強めていた。
 だが、ラズが感心したのは少女の美しさに対してだけではなかった。
 「古来異装は霊力を高め魔力を封じるっていうけど、なるほどね。ただの言い伝えじゃないんだ」
 この子の場合、有り余る力を封じる効力の方が強いのかな。
 ラズがそうごちるのを耳にして、綴は僅かに目を瞠る。
 蜻蛉が身に纏っているのは白い狩衣だった。
 彼女だけではなく、「綴」の斎子は仕事で店に出る時は大抵同じ形をしている。
 浄衣と呼ばれるその異国の装束は、主に男性が神事の際に身に着ける物だった。
 綴が驚いたのは、外つ国の作法を知るラズの知識と蜻蛉の力を見抜いた慧眼による部分が大きい。
 「ラズ様は随分と博識でいらっしゃるのですね」
 彼女が率直な感想を口にすると、ラズは一瞬己の失態を悔いる表情を見せた。
 が、すぐにやや斜に構えた態度を取り戻して軽い口調で尋ねてくる。
 「で?俺はどうすれば良いわけ?」
 綴は、彼の望み通りそれ以上深入りはせず、本題に立ち戻った。
 「ラズ様がご覧になった夢を蜻蛉に語ってくださいませ」
 「夢って言っても断片的なもんなんだけど」
 そう前置いて、勧められるままに蜻蛉の前に腰を下ろしたラズは、心にかかる夢の内容を語り始めた。
 

※※※


 それは、夢に良くあるように筋道だった物語とはまったく無縁の、一見要領を得ないものだった。
 最初に見えるのは黒い風が吹き荒れる荒野。それから揺らめく灯火。
 今にも消えそうな炎に不安を抱いた彼が灯火に近づこうとすると、猛烈な禁忌の念が沸き起こって意識を失ってしまう。
 次に目を開くと場面が変わっていて、何か強大な気配に呼ばれている気がした彼は霧に閉ざされた地へと足を踏み出そうとしている。
 危険だと引き止める見知った誰かの声。
 腕を引くその手は優しく、囁きかける声は正しい導きだと思えるのに、何故かいつも頭の片隅で振り解けという警告が鳴り響く。
 濃い霧の立ち込める中、立ち尽くす彼の上に雲間から射す一筋の月の光。
 一瞬、何かが解りかけるのに、ねっとりとした闇の触手に再び意識を絡め取られてしまう。
 そして、奈落に堕ちていく感覚で目が醒める――。
 

※※※


 彼の言葉に耳を傾けている間、蜻蛉はまっすぐにラズの瞳を見つめ続けていた。
 ラズもまた、惹かれるままに彼女を見つめ返す。
 不思議と、綴と対峙していた時のような居心地の悪さは感じなかった。
 すべてを見透かす色の薄い瞳は凪いだ湖面のようにひっそりと静まり返っていて、不安にざわつく心を鎮めてくれる。
 やがて、ラズの話を聞き終えた蜻蛉は、鈴を転がすような澄んだ声でぽつりと呟いた。
 「貴方の見たのは重ねの夢。呪いと未来視が入り混じった不安定な紛い物」
 「呪い?」
 不吉な響きの言葉に眉を顰めて訊き返すラズに、蜻蛉は静かに頷く。
 「何者かが貴方の夢に惑わしの呪を掛けて視界を曇らせ、その力を削ごうとしているの」
 「…そうなると、夢の真意を知るにはまず惑わしの呪いを解かなくてはなりませんね」
 彼女の背後に控えていた綴は、何やら考え込んでいるようだった。
 ややあって、困惑するラズに向かってこう問いかける。
 「ラズ様。一晩…いえ、真の夢を解く為にもう一夜、こちらにお泊りいただくわけには参りませぬか?」
 思わぬ申し出に、ラズの戸惑いは一層深まった。