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フィンは、ゲーム内で【テイル・ナーグ】を訪れる事が決まった時点で、ジェスの協力を得てネットワーク上にアクセス先を逆探知する追跡トラップを仕掛けていた。 ゲームシナリオの中で重要な役割を果たすキャラクターである妖精王は、システムの要である可能性が高い。 彼が出現する時には、おそらくゲームシステムの中枢にアクセスする筈だ。 その予想は的中した――妖精王イル=ダーナは『テイル・ナーグ』の支配者かつ開発者エナの代弁者として、現在彼等の前に立っている。 だが、肝心のメインプログラムの在り処が掴めないと、フィンは言う。 「同時に複数箇所に存在するってのはミラーサイトの一種じゃないのか?」 自身の知識に照らしたアルの冷静な指摘にも、彼の困惑は収まらない。 「違います。ミラーサイトは、あくまで同じ内容のファイルを複数設置してるだけだから、プログラムを動作させるのは個々のサーバにあるシステムファイルな筈なんです。でも、『テイル・ナーグ』は1つのコマンドに対してあっちこっちのサーバから反応がある。それはつまり1つの処理が複数のファイル、しかも別々のサーバにあるファイルに跨って実行されてるって事で、本来なら非効率的で動作が不安定になってもおかしくないのにこれだけスムーズに動いてて、その上そのサーバの位置が刻々と変わり続けてて、こんな、こんな事って…」 半ばパニック状態に陥っているフィンの要領を得ない報告に小難しい顔で眉を顰めるアルの隣で、何やら考え込んでいる風だったレイがぽつりと呟いた。 「…亡霊《ファントム》か…」 「ファントム?」 我知らず声を揃えて訊き返したフィンとアルに、レイではなくイル=ダーナが解説を施す。 「ネット上には、活用されてないファイルがたくさん眠ってる。個人が開設したきり長期間放置されたままのWebサイトから瞬間的な物なら一時的なキャッシュデータまで、無数の「空間」が無駄に占拠され続けてるんだ。それこそ忘れ去られた亡霊みたいに、ね」 自身も亡きプログラマの亡霊のような存在でありながら、イル=ダーナの口調には屈託がない。 「『テイル・ナーグ』は、そんな休眠中のファイルに自身のプログラムファイルを潜り込ませた上で、そこからゲームのシステムを動かしてる。寿命の短いファイルもあるから、長期間1つのファイルに留まる事はせずに、常に移動を繰り返しながら」 状況を把握出来た事で落ち着きを取り戻し、後半はむしろ興味深そうにイル=ダーナの説明に耳を傾けていたフィンだったが、その意味するところを理解したところでふと我に返った。 「それって、一種の寄生型ウイルスなんじゃ?」 おずおずと尋ねるフィンに、イル=ダーナは魅惑的な笑みを浮かべる。 「そうだとして、それを取り締まる事が君達に出来るかな?」 揶揄する調子でイル=ダーナが投げかけた問いに、フィンはぐっと言葉に詰まった。 世界中に張り巡らされたコンピューターネットワーク上に一体どれだけの「亡霊」ファイルが存在するかは知らないが、その全てを一斉に取り締まる事など現実問題として不可能だろう事は想像がつく。 「これらの何処かに違法なプログラムが存在するかもしれない」等という曖昧な理由で、しかも全世界的に捜査許可を取り付けられるとは思えないし、たとえ令状が取れたとしても肝心のプログラムは捕まる前に痕跡を消して何処かに移動してしまう。 更に、その潜伏先となり得る「空間」は、今この瞬間にも増殖し続けているのだ。 「それでも、ユーザー毎のプレイデータを蓄積しておく領域は確保してる筈だ。じゃなきゃ、プレイログから物語を組み上げるなんて出来ないだろ」 アルの的確な指摘に励まされて、フィンはどうにか問題解決の糸口を探ろうという意欲を取り戻す。 「それに、マスターデータの保管場所もですよね。尤も、こちらは必ずしもネットワークに接続しているとは限らないけど…」 だが、イル=ダーナはあくまで余裕のある姿勢を崩そうとはしなかった。 「それで?どうやって僕を見つけ出すつもりだい?プレイヤーの為の物語が送信されるのを見張ってて追跡する?プログラムのアップデートを待ってサーバの特定を試みるとか?」 いずれにしても、広大なネットワーク全体を四六時中監視し続ける必要がある上、必ずしもイル=ダーナの本体に辿り着けるとは限らない。厄介な事に、彼にはエナの同志という後ろ盾もあるのだ。 それを知りつつ敢えて問いを投げかけ続けるイル=ダーナを、不意に冷たい声が遮る。 「その必要はないわ」 そう口を挿んだのは、シナリオに沿ったステレオタイプの回答を口にしたきり沈黙を守り続けてきたミトラだった。 驚き訝しむフィンを他所に、ミトラは真っ直ぐイル=ダーナを見つめて続ける。 「ティア・ターンゲリの門に刻まれていた紋様化された文字列、あれは暗号化されたIPアドレスだった」 石碑に刻まれた数列の意味を悟ったミトラは、すぐに解読に取り組み始めた。 同じく謎かけに気付いていたレイがアルにその事を告げ、アルは彼女のやり方を尊重しつつ、自分達は正攻法での攻略を試みる事にした。 結果としてイル=ダーナを捉える事こそ叶わなかったものの、ミトラの為の時間稼ぎは出来たわけだ。 判読した数列を淡々と読み上げたミトラは、そこで冷ややかな面持ちをふっと和らげた。 そうして、まるで慈愛に満ちた聖母が咎人を憐れむように、穏やかな声音でイル=ダーナに向けてこう語りかける。 「貴方は、レイに自分を見つけて欲しかったのね」 イル=ダーナは、ミトラの言葉を否定も肯定もしなかった。 ただ、薄く微笑んで、それきり口を噤む。 「で、どうする?」 ともすれば感傷的になりそうな空気を無理矢理振り払うように、アルは現実的な問題を口にした。 「悪意の有無はともかくとして、ファントムとやらへの寄生は明らかに違法行為だ。イル=ダーナのプログラムそのものも安全性が確認できない。現状維持って選択肢はない、よな」 アルとしても、大きな可能性を秘めたAIとしてのイル=ダーナを活かしたい思いはある。 まして、レイにとっては友の遺した忘れ形見だ。惜しむ気持ちは人一倍だろう。 そんな想いから自然と躊躇いがちになるアルに、ミトラが1つ溜め息を落とす。 次いで、彼女が口にしたのは、誰にとっても思わぬ提案だった。 「…私が、エナに変わってイル=ダーナのマスターになるわ」 居合わせた全員がそれぞれに驚愕する中、ミトラは落ち着き払った様子で話を進めていく。 「『テイル・ナーグ』のプログラムの本体はジェス達のシンクタンクの管理下に置く。その上で、保安上の必要が生じた場合には速やかにC.S.S.に情報を提供する。それで問題ないでしょう?」 確かに、ジェス達の組織なら欲得ずくの企業や権力機構による悪用を防いだ上でイル=ダーナの活動の自由を確保出来るし、不測の事態に陥った場合には良識的な判断に基づいて対応してくれるだろう。 権力機構による過度な干渉を嫌う彼等も、C.S.S.の側の担当がレイならば協力を惜しまない筈だ。 エナの遺志を汲む意味でも、現状で考え得る最良の選択だと言える。 …ただ1つ、ミトラの負担を除けば。 「君は、それで良いのかい?」 窺うような眼差しで問いかけるイル=ダーナに、ミトラは微笑とも苦笑とも取れる大人びた表情でこう応える。 「祭官詩人なら、物語の語り部になってもおかしくないもの」 |