Tir na n-Og



 滑り込むように屋敷に駆け込んだアルの背後で、ばたんと身体に響く音を立てて入り口の扉が閉ざされる。
 幸い、庭園を護る石像の活動領域はメイズの近辺に限定されていたらしく、扉を打ち破ってまで屋敷の中に侵入して来る様子はなかった。
 体当たりで扉を閉めたフィンは、安堵の溜め息と共にずるずるとその場に座り込む。
 巨大迷路を全力疾走しながらの逃避行は、一行の心身を酷く消耗させた。
 アルは【クーメイル】に縋ってどうにか立っているような状態だし、さしものレイも両膝に手をついて肩で息をしている。
 そんな中、やや苦しそうに胸を押さえつつ俯いたミトラは、其処にある物を見出して眉を顰めた。
 「どういう事?」
 つられて足元に視線を向けたフィンは、すぐに彼女の困惑の理由を理解する。
 「緑森教団の紋章?」
 美しく磨き上げられたホールの床には、色違いの石で永遠を象徴する結び目の連続模様に囲まれた四葉のクローバーが描き出されていた。
 ミトラのマントの背にも縫い取られているその図象は、緑森教団の標とされているものだ。
 漸く呼吸を整えたアルが、怪訝そうな面持ちで尤もな疑問を口にする。
 「何でそんなもんが此処に有るんだ?」
 ただ1人レイだけは、その意味する事実に行き着いたようだった。
 「そういう事か」
 誰にともなく呟いたレイは、入り口に正対する位置に在る大階段の踊り場に飾られた絵画へと視線を向ける。
 そこには、メイズ内の広場で見た石像と同じ4人の英雄達の勇姿があった。
 「眠りの島の魔女の正体、神聖魔法が封じられている理由…」
 熱に浮かされたような表情で呟き続けるレイに、フィンが不安げに声を掛ける。
 「レイ先輩?」
 それで我に返ったのだろう。
 レイは、絵画に向けた視線はそのままに、張りのある声で自身の推論を語り始めた。
 「かつて人王と行動を共にしていた魔道士は優秀な神聖魔法の使い手でもあったらしい。一説によると緑森教団の礎を築いた人物とも言われている」
 そこで1度言葉を切ったレイは、戸惑う3人へと向き直るとこう続ける。
 「そして、月零の杖【ディアンセット】は癒しの標の異名を持つ神器だ。その力は神聖魔法に関するものである可能性が高い」
 「それじゃ、この島に眠りの魔法を掛けたのは人王の連れだった魔法使いだっていうんですか!?【ディアンセット】の存在を隠す為に神聖魔法を封印したって?」
 彼が言わんとする事を察して驚愕の声を上げたフィンに、レイははっきりと頷いて見せた。
 「おそらく、神器の護り手ごと、ね」
 確かに、そう考えればセーンの島に掛けられた呪いの意味も説明がつくし、【ベルテーン】の守護を務めていたエルフの公子が死者の国カエール・シディの攻略に先立って【ディアンセット】の入手を薦めたのも頷ける。
 それでも未だ信じ難いといった様子で言葉を失うフィンに代わって、アルがより現実的な問いを投げかけた。
 「で、肝心の神器は何処に在るんだ?」
 彼の視線は、目の前に広がるホールをゆっくりと一巡する。
 ホールの正面に堂々と聳える大階段は、中央の踊り場から左右に分かれて2階の廊下へと続いている。
 ホールの両脇には短い廊下の先にロビーが広がっている他、階段の下にも左右に1つずつ扉が置かれていた。
 海沿いの崖の上から遠巻きに眺めた限りでは、左右の塔から更に中央の本館を囲む形で回廊が廻らされていた筈だ。
 上のフロアや地下室まで考慮すると、とてつもない広さになる。
 「これだけ広い屋敷の中を片っ端から探索して回るのは相当骨が折れるぞ」
 うんざりとした調子でそう指摘したアルだったが、返答は予想外の場所から齎された。
 「その必要はないわ」
 いつの間にか床に描かれた紋章の中心に移動したミトラは、毅い意志を秘めた眼差しを古の英雄の絵姿に据えてこう言い放つ。
 「神器を手に入れたいのなら、護り手を目覚めさせれば良い」
 その上で、ミトラは躊躇う事無く己の魔力を解き放った。
 即座にセーン島に掛けられた呪いが発動し、彼女の魔法を封じ込める。
 だが、ミトラは諦めなかった。
 神聖魔法の使い手としては最高ランクに含まれる祭官詩人の彼女が極限まで高めた魔力は、やがて封印の効力を侵し始める。
 2つの力は見えない火花を散らしてぶつかり合い、音ならぬ音を立てて大気を軋ませる。
 拮抗する魔法の衝突は、クラスは違えど優れた魔道的感覚を持つアル達にも精神的な苦痛を齎した。
 まして、魔力の奔流の中心に立つミトラには、どれほどの負荷が掛かっているのか。
 一行が固唾を呑んで見守る中、遂にミトラの魔力が封印を打ち破る。
 その瞬間、アル達の耳は、薄い硝子が砕け散るような高く澄んだ音を捉えた。
 同時に、ミトラの身体から放たれた魔法がアル達を包み込み、先の逃避行で負った傷を見る間に癒していく。
 しかし、穏やかな波動に安息を覚える間もなく、彼等は紋章の描かれた床に倒れ伏すミトラの姿を目の当たりにする事になった。
 「ミトラ!」
 真っ先に駆け寄ったフィンが、くったりと力の抜けたミトラの身体を抱き起こす。
 すっかり血の気が失せたミトラの顔を覗き込んで息を呑むフィンの頭上から、不意に気怠げな声が降って来た。
 「やれやれ、あたしの封印が破られるとはね」
 弾かれたように顔を上げたフィンは、そこに見出した光景に目を瞠る。
 「どうやら、世界は新たな人王を求めているらしい」
 そう言ってゆったりとした足取りで階段を下って来たのは、伝説の魔道士その人だった。



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