Tir na n-Og



 「おっきいなぁ」
 ぽかりと口を開けた間抜け面を晒して、フィンがしみじみと感慨を述べる。
 一行は、フィンが「魔女の館」と称した屋敷の庭園に設けられた巨大な櫟の木のメイズの入り口に立っていた。
 高々と聳える緑の壁の向こうには、灰褐色の屋敷の壁に蔦が這っているのが見て取れる。
 どうやら、屋敷の玄関に辿り着くには、目の前のメイズを抜ける必要があるらしい。
 「リアルに巨大迷路かよ」
 アルがうんざりとした気分を隠そうともせずに低く呻き声を漏らしたのも、無理からぬ事だった。
 海岸近くの高台から見下ろした時にも感じた事だが、こうして間近で見るとこの屋敷はとにかく広い。
 何しろ、左右を見渡してみても、敷地の境界を示すフェンスが途切れている様子は全く見受けられないのだ。
 巨大なテーマパークが丸ごと1つ収まるような敷地の広大さは、それだけで個人の邸宅としては破格の規模と言えるだろう。
 それだけに、屋敷の正面に広がるメイズの大きさも相当なものになる。
 ちなみに、生垣の高さは3メートル以上あり、長身のアルでも隣の通路を覗き見る事は出来そうにない。
 それに、たとえ道筋が解ったところで、密生した枝葉の間をかき分けて進むのは骨が折れそうだ。
 最悪の場合、木々を薙ぎ倒して強引に最短距離を進むという選択肢がないでもないが、どんな報復があるか解ったものではない。
 どんな傷でも瞬時に癒す事のできるミトラの魔法が使えない以上、今は無駄な戦闘は極力避けるべきだった。
 やはりここは、大人しく迷路を攻略するしかあるまい。
 深い溜め息と共にそう気持ちを切り替えて、アルはさてどちらの道に進んだものかと首を捻った。
 そんな彼の脇を素通りして、ミトラがメイズへと足を踏み入れる。
 「こっちよ」
 「え?ミトラ、道、解るの?」
 驚いてそう訊ねたフィンに、ミトラは素っ気無くこう応えた。
 「崖の上から見た時に覚えたから」
 「覚えた…って」
 呆気に取られるフィンをその場に残して、ミトラは迷いのない足取りで歩き出す。
 すぐにレイが彼女と肩を並べ、アルも肩を竦めてそれに続いた。
 追い抜きがてらアルに肩を叩かれて漸く我に返ったフィンは、慌てて3人の後を追う。
 メイズの前半の行程は、拍子抜けするくらい順調だった。
 この手の迷路は、上空からの眺めを重視する為、シンメトリーや模様の繰り返しが多用される傾向にある。
 それだけ似たような景色が繰り返し現れるわけだが、ミトラの記憶は確かで、彼女は分岐点でもほとんど足を止める事はなかった。
 そうするうちに、一行はメイズの中心にあたる広場に出た。
 広場の中央には、4体の石像が据えられている。
 それは、伝説の初代人王とその同胞の姿を象ったものだった。
 片手に高々と宝珠を掲げた青年を中心に、魔道士の女性とエルフ族の剣士、半神半人の英雄種の戦士が各々背中合わせに立って辺りを睥睨している。
 足元の台座には、彼等に付き従って戦った各種族の軍勢を描いた勇壮なレリーフが刻まれていた。
 戦場の一場面を切り取った彫刻は、スケールこそ縮小されているものの、どれも活き活きとした躍動感に満ち溢れている。
 まさに、今にも動き出しそうな、という表現に相応しい傑作だ。
 だが、生憎とアルはのんびりと芸術性に心動かされる感性は持ち合わせていなかった。
 「…イヤな予感がするな」
 そう呟きつつ肩越しに【クーメイル】の柄に手を伸ばすアルに寄り添うように並んだフィンが、油断なく辺りを窺いつつおずおずと口を開く。
 「この島って、眠りの魔法がかかってるんですよね?」
 「アイツらは別格だろ」
 じりじりと後退りつつ答えるアルの言葉に反応したかのようなタイミングで、剣士の彫像がぎろりと視線を動かした。
 次いで、ぎしっと軋んだ音を立てて、台座の軍勢が覚醒する。
 「行け!」
 鋭いアルの声に弾かれるようにして、一行は彫像に背を向けて走り出した。
 ミトラの指示に従ってフィンが先駆けし、行く手を阻もうと回り込む有翼種族をレイが退け、殿を務めるアルが背後から追い縋る戦士の群れを打ち払う。
 敵を倒す事よりも先に進む事を優先しての事だったが、どういうわけか石像の軍勢は一行を追い回すだけで、積極的に攻撃を仕掛けては来なかった。
 疑心に駆られたフィンが、息を弾ませつつ誰にともなくこう問いかける。
 「なんで攻撃して来ないんですかね?」
 答えを期待しての事ではなかったが、後に続くレイは冷静に状況を分析していた。
 「彼等の役目は侵入者を撃退する事じゃない。なるべく屋敷から遠ざけつつ時間稼ぎをするつもりなんだろう」
 「時間稼ぎ?」
 「眠りの魔法だよ」
 確かに、こんな風に追い掛け回されながら正しい道を探るのは難しいだろう。
 そういう意味で、迷いなく先導するミトラの果たしている役割は大きい。
 しかも、彼女はこの島にかけられた眠りの呪いから、一行を護り続けているのだ。
 遅まきながらミトラに掛かる負担の大きさに気づいたフィンは、緑の迷宮を駆け抜ける足を速める。
 その甲斐もあって、一行は間もなくメイズを抜けて屋敷の正面玄関前に辿り着いた。
 だが、真っ先に扉に取り付いたフィンは、すぐに失望する破目になる。
 「くそ!鍵がかかってる!」
 重厚な木製の扉には、確かに鍵が掛けられているようだった。
 短く悪態を吐きつつガチャガチャと音を立ててドアノブを回そうとするフィンの肩に、レイが窘めるように手を掛ける。
 「落ち着いて。フィンなら開けられる筈だよ。細工師のスキルの中に開錠も入ってたから」
 「あ、ほんとだ!ラッキー!」
 ゲーム開始直後にキャラクターの育成を担ったレイは、4人それぞれに実際のクラスとは直接関係のないのスキルを幾つか習得させていた。
 フィンの細工師も魔法剣士のクラスに必須のものではなく、器用さを上げる為に修めたのだと説明を受けている。
 素直に幸運を喜びつつ鍵開けに挑むフィンを他所に、アルは胡散臭そうにレイを見遣ってこう呟いた。
 「まったく、用意周到なコトで」
 「そういうわけでもないんだけどね」
 微かに苦笑の滲むレイの反応を怪訝に思ったアルが再び口を開くより早く、ミトラの緊迫した声が響く。
 「来たわ」
 見れば、かつて人王と行を共にした3人の英雄を象った石像が、メイズを抜け出して屋敷の前にいる一行に向かって来るところだった。
 ひたすら4人を追い回すばかりだった石像の軍勢と違い、彼等は侵入者を捕らえるという明確な意思を持って一行に迫る。
 だが、【クーメイル】を構えたアルが3体の石像を迎え撃とうとしたまさにその時、フィンが快哉を叫んだ。
 「開いた!」
 同時に、かなりの重さを持つ筈の扉が、彼等を誘うようにゆっくりと内側に向かって開く。
 アル達一行は、間一髪で屋敷の中に駆け込んだ。



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