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アル達一行が船を着けたのは、岩壁の間に僅かに開けた小さな砂浜だった。 セーン島は外縁部のほとんどを崖岸が占めていて、其処以外に上陸に適した場所が見当たらなかったのだ。 この入り江とて、少し行けばすぐ険しい岩場に行き当たるような狭さだ。 周囲を取り囲む岩場には微かにそれと判る程度に階段状の段差が刻まれており往来に不便する事はなさそうだったが、裏を返せば内陸部に向かうにはその道筋を辿らざるを得ないという事でもある。 侵入経路が限られていれば、それだけ監視もし易くなる。 自然の地形を有効に活用した巧妙な防衛手段だった。 「上手くできてるな」 感心する口調とは裏腹に厭そうに顔を顰めて崖を見上げるアルを追い抜きながら、浜辺に降り立ったミトラがぽつりと呟く。 「今も機能してるかどうかは謎だけど」 長年風雨に晒され続けてきたと思しき石段は角が磨耗していて少々歩き辛かったが、周辺よりも幾分低くなった場所を抜けるように通されていた事もあり、一行は小1時間程で岩場を登りきる事ができた。 尾根の頂で暫し足を止めて、アル達は眼下に広がる景色を見渡す。 どうやら、この島はもともと海底火山の活動で生じたカルデラのようだった。 海岸部をぐるりと廻る岩崖の内側は擂り鉢状の盆地になっていて、その大半を森林が埋め尽くしている。 中心部は緩やかな丘陵地帯で、その丁度中央に石造りの大きな屋敷が建っていた。 遠目にも桁違いな大きさが見て取れるような広大な敷地に建つ堅牢そうな建物を眺めて、フィンは嘆息を吐く。 「あれが魔女の館かぁ」 フィンがその建造物を城でも宮殿でもなく「館」と称したのは、物々しい外壁や城塔が見当たらなかったからだ。 生垣とトピアリーから生る迷路に人工の泉や東屋を配した庭園も、確かに洋館を思わせる。 だが、「魔女の」という言葉から連想されるようなおどろおどろしい雰囲気は、その建物からは感じられなかった。 「どっちかって言うと、王様とか貴族とかの為に建てられた森の中の隠れ家って感じだけど」 そんな風にとりとめもない感想を漏らすフィンの隣で、ミトラはじっとその景色に見入っていた。 Ж Ж Ж 崖を下って行くと、麓に近づくにつれて疎らな潅木が目に付くようになった。 木立はやがて林となり、深い森となる。 昼間でも薄暗く張り詰めた空気の漂っていたリアノンの森とは異なり、此処セーンの森は穏やかな静寂に包まれていた。 緑の枝葉を抜けた柔らかな木洩れ日が満遍なく降り注いでいる事もあって、随分と明るい印象を与える。 「静かで良い所だなぁ」 遠足気分でのんびりとそう呟いたフィンだったが、先を行くミトラから返されたのは意外なほどに冷ややかな相槌だった。 「静か過ぎるくらいにね」 彼女の後を受ける形で、レイも冷静に事実を口にする。 「生き物の気配がしない。これだけ豊かな森なら、姿は見えなくても鳥の声くらい聞こえても良さそうなのに」 「おまけに、風もそよとも吹きやしないからな。これだけの森で葉擦れの音すら聞こえないってのはあからさまに不自然だろ」 アルまで小難しい顔でそう続けるに至って、さすがのフィンも少々不安を覚えたようだった。 「それも、魔女の呪いってヤツですかね」 どことなく恐々とした様子で辺りを窺いつつ訊ねる彼に追い討ちを掛けるように、アルが唇の端を歪めて軽く顎をしゃくってみせる。 「あぁ、どうやらこいつ等も呪いの犠牲者らしいな」 彼が指し示した先には、武具を身につけたまま横たわる戦士の一団の姿が在った。 一見したところ、彼等が館の衛兵なのか、島に乗り込んで来た冒険者の成れの果てなのかは判然としない。 ただ、確かなのは彼等が死んでいるのではなく、眠っているだけだという事だ。 それは、微かな寝息や鼾の音、僅かに上下する胸元等から見て取れる。 一応は手にしていた武器や木の幹に寄りかかるような姿勢をとっているところから見て急激な眠気に襲われて倒れたという訳でもないようだが、アル達が近づいても一向に目覚める様子もない。 彼等は、一体何時からこうして眠り続けているのだろうか。 好奇心に駆られたフィンは、すぐ傍で眠りこけている戦士の肩に手を掛けてみた。 大きな盾に身を預けていた男の体がぐらりと倒れ掛かり、その弾みで握ったままだった剣の切っ先がフィンの二の腕を掠める。 「って!」 慌てて腕を押さえて飛び退くフィンの軽はずみな行動を咎めるように溜め息を吐いて、ミトラは慣れた動作で彼の傷に手を翳すと治癒魔法の呪文を唱えた。 だが、いつもなら瞬く間に癒える筈の傷が塞がらない。 「ミトラ?」 訝しげに顔を覗き込むフィンに、ミトラは心なし頬を蒼褪めさせてこう呟いた。 「…魔法が発動しない…」 「えぇ!?だって、術封じの歌は効いてるんじゃ…」 「診せて」 すぐに異変を悟ったレイが、混乱するフィンを一瞥で黙らせるとミトラの隣に膝をつく。 ざっと傷を改めたレイは、胴衣の内側に下げていた月長石のペンダントを取り出すと、その石を握った拳をフィンの傷口に押しあてた。 今度はすぐに出血が止まり、しばらくするうちに傷も塞がる。 一部始終を見守っていたアルが、険しい表情で口を開いた。 「どういう事だ?」 「たぶん、神聖魔法が封じられてるんだと思う」 レイは、何やら思わし気な面持ちで、言葉を選びつつこう答える。 「術封じの歌は言霊の力で精霊を制する法術だから効力に問題はない。今フィンの傷を塞いだのはエルフの業だ。どちらも神聖魔法には属さない」 おそらく、レイは、こうした事態を見越して神聖魔法以外の回復手段を確保する為にハーフエルフという種族を選んでおいたのだろう。 その用意周到さに内心舌を巻きつつ、アルは顔を顰めて懸念を口にした。 「緑森教団に恨みを持つ何者かが絡んでるって事か?」 「或いは、神聖魔法を使われては困る理由があるのか」 それまでアルとレイの交わす遣り取りをすぐ傍で聞いていたフィンが、深刻な空気を少しでも払拭しようと殊更明るく口を挿む。 「でも、まぁ、レイ先輩が傷を治せるんならとりあえずは問題ないですよね」 しかし、せっかくの彼の気遣いは、残念ながらあまり役には立たなかった。 「そうでもないよ」 掌に残る血を簡単な魔法で洗い清めつつ、レイはあっさりとフィンの希望的観測を覆す様な事を告げる。 「エルフの治癒術はあくまで傷や病を癒すだけで失った生命力までは回復させられないし、神聖魔法の治癒魔法と違って瞬時に傷を塞げるわけでもない。深手を負えば、命取りになる」 「それじゃ、どうしたら…?」 「極力傷を負わないように気をつけるしかないね。戦闘になれば、そうも言っていられないだろうけど」 「そんなぁ」 淡々と重ねられるレイの言葉に、フィンが情けない声を上げる。 ミトラは、思いつめた表情で自分の掌を見つめていた。 |