Tir na n-Og



 入り口付近で吸血蝙蝠の群れを一掃したのが功を奏したのか、その後アル達が大規模な襲撃を受ける事はなかった。
 散発的に湧いて出るスライム状の魔物や甲殻類の化け物を撃退しつつ、一行は順調に歩を進めて行く。
 魔物の現れる頻度は、洞窟の奥に進むに従って減っていくようだった。
 「何かイヤな感じだなぁ」
 頭上から落ちて来た巨大ムカデを腕の一振りで斬り捨てたフィンが、腑に落ちないといった表情で辺りを見回して口を開く。
 「この手のダンジョンって、奥に行けば行くほど敵が強くなるもんですよね?」
 「そうだな」
 フィンの抱いている不審感は、アルにも共通するものだった。
 「その辺の魔物じゃ太刀打ちできないような大物が控えてる、とか?」
 有り難くない予想を何故か愉しそうに口にするレイに同調するように、ミトラがぽつりと呟きを漏らす。
 「そう言えば、バルフィンド卿が竜の眠る祠がどうとかって話してたような…」
 彼等のいる場所の少し先で、通路は緩く弧を描いて左に折れる。
 その先の通路から、洞窟の中にしては不自然な明かりが零れていた。
 顔を見合わせるフィンとアルを他所に、レイとミトラは慎重な足取りで先へと進む。
 そのまま角を曲がった一行は、目の前に開けた光景に言葉を失って立ち止まった。
 「…嘘だろ、おい…」
 アルの口から、我知らず恨みがましい感嘆の声が漏れる。
 其処は、洞窟の最奥と思しき広場だった。
 ドーム状の天井は、地下にあるとは思えないほど破格の高さを有している。
 その広場の中央に、天井に開いた穴から斜めに降り注ぐ光を浴びて、一頭の漆黒の竜が横たわっていた。
 身体を丸くして眠る竜の足元、丁度光の中心にあたる場所に、一振りの槍が突き立てられている。
 おそらく、この槍がリース・ティルノンに伝わる神器だろう。
 絵画的で神々しくさえある光景を前に、アルは頬を引き攣らせる。
 「普通、竜退治の為に神器を揃えたりするもんじゃねぇのかよ。順番が逆だろ?」
 「ドラゴンが宝の守護者っていうのも定石だろう?」
 力なくぼやくアルを冷ややかにいなして、レイは肩から下ろした弓に矢を番えた。
 テリトリーへの侵入者を察知した竜が頭を擡げ、鋭い牙を剥いて咆哮する。
 その鼻先で、レイの放った鏃の先端に灯った光球が炸裂した。
 閃光に竜が怯んでいる隙に、一同はそれぞれのポジションに散開する。
 空洞の入り口付近まで下がったミトラは、自然治癒能力を高める加護の魔法を唱えた。
 レイは、一時的に剣の硬度を上げる呪文と武具を強化する呪文を続けざまに詠唱する。
 アルとフィンは、二手に分かれて竜に斬りかかった。
 首筋に斬りつけたアルの渾身の一撃は、キンと高い音を立てて弾き返される。
 剣を受けた部分の鱗には、傷ひとつついていなかった。
 頑強なアルの大剣でもこの始末では、フィンの細剣では到底歯が立つまい。
 それが解っているフィンは、鱗を逆撫でるように竜の尾に剣を走らせる。
 堅牢な鱗の下に刃を滑らせて直接膚を切り裂こうというのだ。
 だが、幾らも進まない内に、ほっそりとした剣身はがっちりと鱗の隙間に喰い込んでしまった。
 竜は、虫を払うように無造作に尾を振って邪魔者を跳ね飛ばす。
 「フィン!」
 咄嗟に身体を浮かせ、衝撃を推進力に換えて飛び退いたフィンは、身軽く着地すると同時にこう宣言した。
 「先輩、パス」
 「パスってお前なぁ」
 呆れるアルの声を背に、フィンはさっさと前線を放棄する。
 もちろん、彼とてただで退くつもりはなかった。
 竜の足元を潜り抜けるように駆け抜けながら、フィンは矢継ぎ早に周囲の岩壁に向かってナイフを投げていく。
 投擲に特化したナイフのリング状の柄頭にはロープが結び付けられていた。
 複雑に交錯するロープが、竜の足を絡め取る。
 竜の巨躯の前では蜘蛛の糸のように頼りなげに見えるロープは、特殊な鋼を編んで作った特注品だ。
 更に、フィンの意図を悟ったレイが、岩に穿たれたナイフが抜ける前に石化魔法をかける。
 これで、とりあえず竜の動きをある程度は封じる事が出来た。
 攻撃方法を魔法に切り替えたフィンが、真空の刃で竜の翼膜を切り裂く。
 アルは、剣に気を注ぎ込む事で切れ味を補強する事で、竜の硬い鱗に対抗した。
 ミトラとレイの適切なサポートも手伝って、彼等の攻撃は確実に竜の体力を削いでいった。
 しかし、決定的なダメージを与えるには至らないまま、戦闘はずるずると消耗戦に突入する。
 最前線で戦うアルにとって、その影響は深刻だった。
 竜の振り下ろした鉤爪を受け止めた刀身が、限界を超えた負荷に耐えかねてぎしっと不吉な軋轢音を立てる。
 それは、剣身が折れる前兆の悲鳴だった。
 「やば――」
 一瞬気が殺がれたアルは、次の攻撃を避け損ねる。
 勢い良く打ち据えられた尾が、アルの横腹を捉えた。
 咄嗟に腕と足を縮めて腹部を庇ったアルの身体が、軽々と宙に弾き飛ばされる。
 岩壁に激突する寸前でレイの放った魔法の網がその身を抱き止めはしたものの、直接衝撃を受けた腕の骨は折れ、太腿は深く抉られていた。
 「っつ〜っ」
 フィンが派手な動きで竜の気を引いている間に、レイが傷を癒す為にアルの傍へと駆けつける。
 彼女が手を翳すと、太腿の裂傷はたちどころに塞がった。
 間近で揮われる魔法に感心しつつ、苦痛に顔を蒼褪めさせたアルは乱れた呼吸のままレイに問いを投げかける。
 「どうする?このままじゃ埒が明かねぇぞ」
 傷の治療に続いて体力を回復させる魔法を施しながら、レイは冷静に打開策を示した。
 「攻撃をこちらに惹きつけてる間に誰かが足元に潜り込んで、あの槍を手に入れるしかないな。神器を奪ってしまえば、この戦いにも片がつく筈だ」
 「却って逆上する可能性も有るけどな」
 余り気乗りしない様子で肩を竦めたアルは、それでも危険な潜入役を買って出る。
 「俺が槍を引き抜く。フィンじゃ腕力が足りないだろうし、ミトラやレイは論外だからな」
 億劫そうに立ち上がるアルの動きは本調子とは言い難かったが、レイは余計な口を挿もうとはしなかった。
 素早い動きで身を翻したレイは、竜を牽制するように魔法での攻撃を仕掛けつつその場から遠ざかる。
 アルと、ついでにミトラやフィンからも注意を逸らす為に、レイは広場の奥へと竜の視線を誘導していった。
 問うような視線を投げてくるフィンに小さく頷いて、アルは竜の背後へと回り込む。
 目配せひとつで2人の立てた策を読み取ったフィンは、レイに加勢すべく攻撃を再開した。
 新たな攻撃に惑った竜の動きが、僅かに鈍る。
 走りながら弓を引き絞ったレイは、振り向き様竜の頭部を狙って矢を射掛けた。
 弓を放れた矢は、過たず竜の右眼を貫く。
 痛恨の一撃に、竜は咆哮を上げて大きく身悶えた。
 耳を劈く大音量に顔を顰めたアルは、思わずレイを怒鳴りつける。
 「これ以上怒らせてどうすんだよ!!」
 視界を奪うという意味では非常に効果的な攻撃だが、相手の攻撃力そのものを奪えない以上、猛烈な反撃を受ける惧れが高い。
 案の定、憤怒に駆られた竜が、直前までレイが立っていた場所を雷を帯びたブレスで薙ぎ払う。
 一瞬レイの身を案じて飛び出しかけたアルだったが、その攻撃で生じた隙を見逃す事はなかった。
 片目を傷つけられた竜の死角を突いて、足元に転がり込む。
 神器に近づく盗人に気づいた竜がアルに意識を向けるのと、アルが槍の柄に手を掛けるのとはほとんど同時だった。
 「アル先輩!」
 切迫したフィンの声に背後に迫る脅威を感じながらも、アルは振り向く事無く槍を引き抜く事に意識を集中する。
 意外な事に、岩盤に深々と突き刺さっているかに見えた槍は、まるでアルの手に馴染むかのようにすんなりと引き抜かれた。
 だが、安堵する間もなく、竜の攻撃がアルを襲う。
 大きく息を吸い込む竜の姿を視界の端に捉えたアルは、反射的に手にした槍を盾にするかのように頭上に翳した。
 竜の口から吐き出された雷が、槍の穂先を撃つ。
 刹那、真っ白な閃光が辺りを包んだ。



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