Tir na n-Og



 メドラウトの洞窟は、リース・ティルノンの南に広がる丘陵地帯の中でも一際小高い丘の中腹に虚ろな口を開けていた。
 洞窟自体は一見自然のもののように見えるが、丘の麓から洞の入り口までの道の左右には人工的に切り出された巨大な岩が立ち並んでいる。
 まるで屋根のない柱廊のようなその有り様は、その道筋が聖所への参道であるかのような印象を抱かせた。
 「雰囲気あるなぁ」
 暢気に感心するフィンを他所に、洞窟の中を覗き込んだアルは短く舌打ちする。
 「ったく、何がお伽噺だよ」
 不機嫌に言い捨てるアルをきょとんとした顔で見遣るフィンに、レイは洞窟の内部の様子を伝える事で注意を促した。
 「此処から見える範囲だけでも、かなり奥まで炬火台が設置されてる。お宝目当てのトレジャーハンターが、わざわざ後続の為に通路を整備しておくとは思えないだろう?」
 「それに、盗賊家業じゃこんな立派な武具は揃えられねぇよ」
 そう言って、アルは顎をしゃくって洞窟の出口付近を指し示す。
 其処には、命からがら逃げ出した――或いは逃げ損なった先客の遺した折れた槍や罅割れた大剣、砕かれた盾等が散乱していた。
 それらは、何れも無骨で実用一辺倒の市販品には見られない精緻な象嵌や彫金の細工が施されている。
 1つや2つなら何処かから発掘してきた掘り出し物のお宝という可能性も有り得るが、これだけの数となると高価な装備を揃えられる特権階級――例えば騎士団のような――の所有物と考える方が自然だろう。
 アルの言わんとしている事を覚ったフィンは、ぱちくりと目を瞬かせた。
 「バルフィンド卿が洞窟の探索を命じてたってコトですか?」
 「たぶんね」
 レイが肩を竦める仕草でその問いを肯定し、アルは苦々しげに顔を顰める。
 「で、思うように捗らなかったから、今度は腕の立ちそうな余所者を焚きつけてお宝を取って来させようって腹だろ。まったく、喰えない野郎だぜ」
 「なるほど〜」
 年長組2人の推測に素直に感心して、フィンはにっこりと微笑んだ。
 「まぁ、でも、灯りを持ち歩く手間が省けて良かったじゃないですか」
 明るくそう言うと、何の躊躇いもなくメドラウトの洞窟へと踏み込んで行く。
 飽くまで前向きなフィンに苦笑しつつ、アル達も彼の後に続いた。
 先を行くフィンは、岩壁に架けられた炬火台に魔法で灯を燈していく。
 弾むような足取りで奥へ奥へと進んで行くその背に、不意に鋭いミトラの声が投げられた。
 「フィン!」
 フィンの足元からじわりと染み出した液状の物体が、突然膨張して実体化したのだ。
 咄嗟に飛び退いたフィンの腕を、謎の物体から伸びた触手が掠める。
 飛び散った滴がかかった部分の膚が、じゅっと音を立てて焼け焦げた。
 「げ、酸!?」
 背後から放たれた光の矢に射抜かれて、スライム状の生き物は僅かな染みを残して瞬時に蒸発する。
 血の気の引いた頬を引き攣らせるフィンの腕に掌を翳して治癒魔法を発動させつつ、ミトラが緊迫した声で忠告を発した。
 「気をつけて。此処の敵は外の比じゃない」
 彼女の言葉を裏付けるかのように、洞窟の奥の暗がりでざわっと空気が不穏な動きを見せる。
 次の瞬間、吸血蝙蝠の大群が彼等の前へと飛来した。
 あっという間に4人を取り囲んだ蝙蝠達が、剥き出しになった顔や首筋を狙って次々に襲い掛かる。
 闇の生き物である吸血蝙蝠は、凶暴で性質の悪い魔物だった。
 1度噛み付かれてしまうと大量の血を奪われる上に、傷口から流し込まれる毒が体の動きを鈍らせる。
 ミトラの魔法が即座に傷を癒し毒を浄化してくれるものの、失われた血までは回復しない。
 洞窟内という限られた空間もあって、一行はかなりの苦闘を強いられた。
 「どうなってるんだ!?こんなの、初心者レベルじゃ相手になんないだろーが!」
 素早く不規則な動きで飛び回る蝙蝠を相手に小回りの利かない大剣で苦戦しつつ、アルが不平を喚き立てる。
 リース・ティルノンは冒険の始まりの地と呼ばれるだけあって、出没する魔物も小物が多い。
 事実、メドラウトの洞窟に至るまでの行程では、一行の相手になるような敵には遭遇しなかった。
 ところが、洞窟に足を踏み入れた途端、強酸のスライムに吸血蝙蝠と兇悪な魔物が続出している。
 アルの尤もな疑問に対し、レイは冷静に答えを返した。
 「普通、そこらの冒険者はいきなり領主様に会いに行ったりしないものだよ。町で集めた情報を元にあちこち訪ね歩いて、ある程度経験を積んで初めて神器の在り処のヒントを得られるようになってる筈だ」
 「つまり、この程度の敵を倒せないようなヤツは此処に来る資格はないって事か?」
 「或いは、こちらのレベルに合わせて敵が強くなってるのかも」
 ぼそりと呟かれたミトラの指摘に、アルはうんざりと肩を落とす。
 「勘弁してくれ」
 ひっきりなしに動き回る小さな標的を斬る事を諦めたアルは、剣を棍棒代わりに振り回して叩き落とす方向に戦い方を変えていた。
 フィンの振るう魔法剣から放たれる風刃は的確に翅翼を切り刻んでいたが、次から次へと湧いて出る敵のあまりの数の多さに徐々に圧されつつある。
 同じように風の魔法を揮っていたレイは、このままでは埒が明かないと判断して肩に掛けた弓琴に手を伸ばした。
 弓琴は、ハープを小型化したようなフォルムの弓状の本体に3本の弦が張られた弦楽器だ。
 その内の内側の2本は簡単に留め具を外せるように作られており、ワンアクションで短弓として使えるようになっていた。
 文字通り竪琴であると同時に弓でもある、一種の隠し武器である。
 レイは、それを弓として構えるのではなく、弦をかき鳴らす為に指をかけた。
 攻撃が手薄になったところを見計らって、蝙蝠達が一斉にレイに群がる。
 だが、魔物の毒牙が白い肌へと突き立てられる寸前に、レイの指が弾いた弦が人の耳では聞き取れないような高い音を放った。
 その振動は、狭い洞窟内に反響して振幅を広げていく。
 それと時を同じくして、ひらひらと宙を飛び回っていた蝙蝠が相次いでバタバタと地に墜ちた。
 視覚ではなく超音波を用いて障害物を捉える蝙蝠の習性を逆手にとって、鳴弦によって感覚を狂わせたのだ。
 ミトラが放った浄火が、地上で悶える蝙蝠の群れを瞬く間に灼き掃う。
 
最後の1匹が灰燼に帰すのを見て取って、前線で戦っていたアルとフィンはがっくりとその場に膝をついた。


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