Tir na n-Og



 重々しい音を立てて開いた門の奥から、武装した騎士2人を引き連れた痩身の男が現れる。
 神経質そうな面差しは、如何にも頭の固い官僚といった趣だ。
 値踏みするように無遠慮な視線を投げて遣す男を前に、ミトラは堂々と口上を述べる。
 「私は祭官詩人のミトラ。祭司としての使命を果たすべく探索の旅に就く者。リース・ティルノンの領主殿にお話を伺いたく存じます」
 媚びも驕りもないミトラの振る舞いは、男の眼鏡に適ったらしい。
 「我が主バルフィンド卿は緑森教団の方をいつでも歓迎しますぞ」
 恭しく頭を下げた男は、勿体振った顔つきで一行を見渡すと殊更慇懃な態度でこう続けた。
 「しかし、何人たりとも武器を帯びたまま館に足を踏み入れる事はかないませぬ。恐れ入りますが、こちらにて武器の類は預からせていただきます」
 男の言葉に従って、背後に控えていた騎士達が一行の前に足を踏み出す。
 アルは軽く肩を竦めただけで異を唱える事もなく背に負う両手剣を剣帯ごと預け、レイも美しい鞘に収まった短剣と矢筒を差し出した。
 だが、フィンだけは素直に従おうとはせず、ぞんざいな口調で不平を漏らす。
 「何だ、道化の剣まで取り上げる気?リース・ティルノンの騎士団は随分と腰抜けなんだな」
 「フィン」
 アルは一応無礼を窘めるようにフィンの名を呼んだが、相手はあっさりと挑発に引っ掛かった。
 「貴様、我等を愚弄する気か!」
 殺気立った騎士達は、剣の柄に手を伸ばしていきり立つ。
 あわや乱闘騒ぎかという状況を救ったのは、男達の背後から現れた人物の穏やかな声だった。
 「止めたまえ」
 「バルフィンド卿!」
 「見苦しいぞ。それとも、道化殿の言う通り我が騎士団は臆病者揃いなのかな?」
 慌てて跪く騎士達を揶揄混じりに制する壮年の男の柔らかな物腰からは、虚勢を必要としない強者の余裕が見て取れる。
 案の定、彼が名乗ったのはこの地の長としての高貴な身の上だった。
 「家中の者が失礼した。私がリース・ティルノンの領主、バルフィンドだ」
 品の有る笑みと共に率直な言葉を口にしたバルフィンド卿は、泰然と構えるアルに目を留める。
 「そちらは聖騎士殿とお見受けするが?」
 「かつて教団に仕えていた事があった。今は遍歴の身だ」
 「では、さぞ多くの冒険をなさっておいでだろう。食事の合間にでもお話をお聞かせ願おう」
 そう言って颯爽と身を翻すバルフィンド卿の後について、一行は館へと足を踏み入れた。


Ж Ж Ж


 館の入り口での緊迫した遣り取りとは裏腹に、饗宴の席は和やかな会話に終始した。
 アル達がジョブを決めるにあたって、一足先に体験版をプレイしていた「電脳の賢者」ミトラは『テイル・ナーグ』の世界における幾つかの決まり事を指摘した。
 其の1。国を治める立場に在る者が教団の司祭を拒む事はない。
 教団は、神々の代弁者として政にも多大な影響力を保持している。
 祭官詩人の託宣により国主の首が飛ぶ事も珍しくはない為、賢明な領主達は教団の怒りを買うような事態は極力避けるよう心がけている筈だ。
 其の2。遍歴の騎士は基本的に何処へ行っても歓迎される。
 娯楽の少ない時代設定ゆえに、騎士達の手に汗握る冒険譚は恰好の座興の種となる。
 更に、あわよくば自領の抱える問題も解決してくれるのではという心情も在る。
 其の3。道化はある程度自由に振舞う事を許される。
 徳を示す為もあって、領主達は大抵流浪の詩人や道化を追い払う事はせず、宴に招き入れる。
 物乞い同様に見下される事も少なくないが、反面多少の奔放さには目を瞑って貰えるし、歯に衣着せぬ物言いは時に真理を突くとして重宝がられてもいるのだ。
 それらは中世騎士物語風のRPGにおけるお約束のようなものだったが、実際に充分役に立っていた。
 アルの語る冒険譚――と言っても、実際にはクラスアップの条件を満たす為にレイがこなしたクエストの数々をデータベースから拾い出して話を創り上げただけなのだが――は平穏な日々に飽いた騎士達に大層喜ばれた。
 一方、フィンは、目にも止まらぬ剣捌きで宙に投げた林檎の皮を剥き、深々と貫いてはやんやの喝采を受けている。
 その様子を横目で見つつ杯を乾したアルは、愉しげに宴席の様子を眺めているバルフィンド卿に軽い調子で声をかけた。
 「よかったのか?」
 振り返ったバルフィンド卿に軽く眉を上げる仕草で促されると、意地の悪い笑みを浮かべてこう続ける。
 「アレを見れば、フィンの剣が道化の芸事だとは思わないだろうに」
 「あぁ」
 バルフィンド卿は、アルの意図するところを悟って鷹揚に頷くと口許を綻ばせた。
 「武器を預かるといってもあくまで儀礼的な事だ。然程実効性があるとは思っておらんよ。たとえ剣を取り上げたところで、聖騎士である貴殿なら斬りかかって来た相手の武器を奪うくらいわけはあるまい。そもそも、魔法を封じる事が出来なければ貴殿等を止める事など不可能ではないのかね?」
 意味ありげに流された視線の先には、酒席には場違いな清浄な空気を纏うミトラとレイの姿が在る。
 視線を感じて問うような眼差しを向けてくるミトラに魅惑的な微笑みで応えて、バルフィンド卿はさて、と口火を切った。
 「ミトラ殿は私に何かお尋ねになりたいとか?」
 心得たもので、卿の言葉を耳にした周囲の者はさりげなく卓を離れ、彼等から距離を置く。
 自然と遠退いた喧騒を遠く耳にしつつ、バルフィンド卿はにこやかに本題を切り出した。
 「教団の祭官詩人と言えば、常々真の王を捜し求めておられるとか。おそらくはこちらに赴かれたのも探索の手がかりを求めての事と推測するが如何かな?」
 それとも、私にも王の素質が有りますかな?
 そんな風に諧謔を弄するバルフィンド卿の双眸には、人好きのする笑みを裏切る鋭い光が宿っている。
 だが、ミトラはバルフィンド卿が垣間見せた魄力に気圧される事もなく、端然と論を返した。
 「王を定めるのは教団の意思ではありません。我々はただ神々の声を聞き、その言葉を語るのみ」
 その上で、良く通る澄んだ声で教団に伝わる縁起を詠み上げる。
 「古の時、世は混沌に満ちていた。生有る者が異界へと迷い込み、死人が容易く生者の領域を侵す。秩序なき混迷を憂えた人の王と妖精の王は盟約を結び、現世と隠世を隔てる魔法を施した。しかし、魔法は永遠ではない。限り有る命の人王は死してこの世を去り、境界は時と共に綻びを生じる。故に、我々緑森教団の司祭は求め続ける。人界の王として妖精王に比す力を持ち、隔ての魔法を揮い得る者を」
 楽奏も伴わずただ朗々と詠うミトラの声音は、バルフィンド卿のみならず居合わせた人々の心を打った。
 雪の夜のようなしんとした静寂が、束の間宴の間を包む。
 それを破ったのは、レイの怜悧で理知的な声だった。
 「リース・ティルノンの地には、妖精王所縁の神器が眠ると聞き及んでおります。人王と対となる妖精王の残した品ならば、王の存在に繋がる可能性が高いかと」
 気を取り直したバルフィンド卿は、ふむ、と考え込む素振りを見せる。
 「確かに、そういった伝承を耳にした事はある」
 彼が思い浮かべたのは、リース・ティルノンに語り継がれる宝に関する伝説だった。
 「あれは南のメドラウトの洞窟だったか。その竜の眠る祠に、天を裂く光が封じられているとか」
 「尤も、寝物語に語られるようなお伽噺の類であって、真偽の程は定かではないがね」と、バルフィンド卿は笑って付け加える。
 飽くまで伝承は伝承に過ぎないと語るバルフィンド卿を他所に、アルとレイは確信を秘めて目配せを交わした。



 Ж