Tir na n-Og



 城塞都市、という言葉があるが、其処はまさしくその名に相応しい土地だった。
 石を積み上げて築かれた城壁が街全体をぐるりと囲み、城門には衛兵の詰め所を兼ねた塔と重厚な扉に加え、二重の落とし格子が備えられている。
 城壁の外側には堀が廻らされ、跳ね上げ式の橋が架けられていた。
 街の名前はリース・ティルノン。幻の楽園、常若の国【テイル・ナーグ】を目指す者が1度は必ず立ち寄る、冒険の始まりの地だ。
 伝承によれば、【テイル・ナーグ】探索の鍵となる神器の内の1つがこの地に眠っているという。
 今もまた、一組の旅人が辿り着いたところだ。
 背に負う両手剣の剣帯を兼ねた胸当てと腰に斜に回された2本のベルト以外飾り気のないブラックレザーのロングコートを身に纏った長身の騎士と、フードとケープのついた白いショートコートに膝下まである編み上げのロングブーツという一風変わった出で立ちの少年剣士、足の付け根近くまで深いスリットの入った長衣の上から鞣した革の胴衣を身につけ肩に弓琴を掛けた男装の麗人に、膝裏丈のマントに身を包み頭からすっぽりとフードを被った華奢な遊行詩人という4人連れの一行を代表して、黒衣の騎士が街の入り口に設けられた関所の衛兵に名乗りを告げている。
 「俺はアル。伝説の武具を求めて旅をしている騎士だ。彼は従者のフィン。そちらは楽師のレイ殿と詩人のミトラ殿。魔物に襲われていたところに居合わせて以来、縁有って行を共にしている」
 たいした荷物もない軽装の一行は、然程足止めされる事もなく城門の通過を許される。
 一行が街に足を踏み入れると、人々は道行く足を止めて彼等の方を振り返った。
 守りの堅さを誇る一方で旅の商人や冒険者にも門戸を開いているこの街では、騎士や魔法使いの類を目にする事も珍しくない。
 それにも拘らず彼等がこれほど衆目を集めるのは、ミトラという名の詩人が身に纏う衣装の所為だ。
 金糸で刺繍された深緑のベルベットの縁取りを持つ生成りのマントの背には、鮮やかな緑と淡い萌黄色で四葉のクローバーを象った紋様が縫い取られている。
 それは、この世界で最も強大な権限を持つ緑森教団公認の祭司の身分を表すものだった。
 フードの下の顔は見えないが、小柄でほっそりとした身体つきから察するにかなり年若い人物、おそらくは少女なのだろう。
 それは、隣に付き従う楽師のレイが女性である事からも窺い知れる。
 長く艶やかな緑の黒髪を高い位置で結い上げた彼女の髪飾りと腰に短剣を下げる鎖帯にも、ミトラのものと同じ図象が彫り込まれている。
 更に、彼女の尖った耳は、人外の出自を物語っていた。
 「祭官詩人《フィラバード》だ」
 「教団の使いがなんでこの街へ?」
 「あの楽師、ハーフエルフじゃないか?」
 ひそひそと交わされる囁きと好奇の視線を他所に、一向は石畳の舗道を真っ直ぐ領主の館を目指して進んで行く。
 それでも、さすがに全く気にならないというわけではないらしい。
 「なんか、俺達やたら目立ってません?」
 「そりゃ、この面子じゃあ目立つだろ」
 ちらちらと辺りを窺いながら声を潜めて訊ねるフィンに、こちらも目立たぬ仕草で周囲を一瞥したアルが皮肉な笑みを閃かせる。
 「精霊使い《エレメンタリスト》に魔法剣士《ルーンフェンサー》、聖騎士《ホーリーナイト》に祭官詩人《フィラバード》。普通冒険も序盤のこの街にこんな上級職ばっかりのパーティーで来るヤツなんていないって。よくもまぁ一晩でココまで育てたもんだ」
 『テイル・ナーグ』への参戦が決まった後、フィンとアル、レイの3人は役割を分担した上で各々のキャラクターを登録した。
 そうして作成されたキャラクターを、一旦IDごとレイに預けたのだ。
 長期の任務に備えて用意された施設に出向いた彼等が再度ログインした時には、既にそれぞれが現在のクラスに就いていた。
 男装の楽師に扮したレイは、賞賛よりも呆れの色が濃いアルの感慨を笑みを孕んだ声で訂正する。
 「僕が手がけたのは3人分だけだよ。彼女のは自前」
 穏やかな彼の視線の先には、静々と先を行くミトラの姿が在った。
 レイの発言をを謙遜と受け取って、フィンは尊敬に瞳を輝かせる。
 「それにしたって、どのクラスも3つか4つのクラスをマスターさせなきゃなれないじゃないですか」
 「1人分ずつだったらかなり時間掛かるけどね。パーティー組んで必要最低限のクエストを効率良く回ればどうにかなるものだよ」
 「だから、普通は1人で3人同時に育成なんてできないっての」
 素直に感動するフィンとは対照的に冷めた態度で呟いて、アルはじっとりとレイを睨めつけた。
 「で、なんだってまた女なんだよ」
 「バランスを取る為で他意はないんだけどな」
 アルが抱いているであろう女装趣味疑惑を、レイは苦笑交じりにやんわりと否定する。
 「男女の比率、使える魔法、ジョブとクラス、近接武器と遠隔武器。想定される様々な事態に的確に対応する為には、パーティー内のバランスが重要になる。電脳の賢者が言うんだから間違いないよ」
 悪戯っぽく付け加えられた一言に、フードの下のミトラの唇が微かに弧を描いた。
 その横顔に視線を奪われつつ、フィンはふとした疑問を口にする。
 「それなら、俺達も別の種族にしといた方が良かったんじゃないですか?」
 『テイル・ナーグ』の世界には、人間とエルフだけでなく半神半人の英雄種や力自慢の矮人も存在する。
 そういう点ではフィンの疑問は尤もなものに思えたが、レイの返答は否定的なものだった。
 「種族間の争い、なんてシナリオが発動すると面倒になる。精霊使いのクラスにエルフ族の狩人《ハンター》のクラスが必要だったから仕方なくハーフエルフってことにしてるけど、できれば種族は統一しておいた方が良い」
 その上で、改めてアルの疑惑に答える。
 「それに、『cubic World』でのレイは女の子だった。仮想現実での姿が常に同じである必要はないけど、条件を近づけておくのに如くは無いだろう?」
 アルは、黙って肩を竦めてレイの言い分を聞き流した。
 そうする内に、一行は領主の館の前までやって来る。
 「着いたわ」
 背後で繰り広げられる男性陣の戯れ合いには無縁の静けさで呟くミトラの目の前で、鋼鉄の門扉が軋んだ音を立てて開かれた。



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