Tir na n-Og



 泉の中央から溢れ出た焔の奔流が瞬く間に泉を取り囲む荊の壁を焼き払うのを、地上にいたアル達は呆気にとられて見守っていた。
 どういった魔法が働いているのか、炎はアル達を害する様子はなく、魔性と化した蔦だけを焼き尽くしていく。
 そうして、炎が静まった後に残されたのは、僅かに燻る潅木と泉の水面に掲げられた【退魔の剣】ベルテーンだけだった。
 咄嗟に張った魔法障壁を解除しつつ、レイが背後に庇っていたミトラを振り返る。
 「エクスカリバーって泉の乙女が差し出したんだっけ?」
 「違うわ。それは返す時。最初は岩に刺さってたのを引き抜いたの」
 「じゃあ、あれだ。「あなたが落としたのは金の斧ですか、それとも銀の斧ですか?」」
 「…フィンは落し物じゃねぇだろ」
 場違いかつ不毛な議論を繰り広げるレイとミトラに深々と溜め息を落として、アルは哀れな後輩を助け出すべく泉に向かって足を踏み出した。
 だが、彼が岸辺に到達するよりも早く、目に見えない力が水面に突き出たフィンの腕を引き上げる。
 虚を衝かれて立ち止まったアルの目の前に、何処からともなく1人の少年が姿を現した。
 透けるような白い肌に緑がかった淡い金色の髪、瞳の色は澄んだアクアマリンと水を想起させる色彩を纏っているが、柔和な顔立ちには何処となくエルフの女王の面影が重なる。
 おそらくはエルフ族の者なのだろう、泉の化身のような容姿を持つ少年は、水中から引き上げたフィンの身体を両腕で抱き止めると、アルに向かってにっこりと微笑みかけた。
 「いやぁ、良かった。漸くベルテーンを使える子が来てくれたんだね」
 発展途上の少年らしい華奢な体つきの彼がぐったりと意識を失ったフィンの身体を軽々と抱き上げる姿に視覚的な違和感を感じて戸惑うアルにお構いなしに、少年はにこやかに喋り続ける。
 「妖精王に頼まれて預かったのは良いけど、まさかベルテーンの魔力がこの森の護りにまで影響を及ぼすとは思わなくって」
 どうやら、繊細な見掛けによらず大らかと言うか、大雑把な性格の持ち主らしい。
 あははは、と爽やかに笑う少年に、アルは胡乱気な眼差しを向ける。
 生憎、その程度の事で痛痒を感じる細やかさを持ち合わせていない少年は、感謝を込めた瞳でフィンを見下ろしてこう続けた。
 「これでミールディンの泉も以前の静謐さと守護の力を取り戻す事が出来る。姉上も安心される事だろう」
 「姉上?」
 「エルフ族を統べる女王だよ。君達も此処に来る前に会っただろう?」
 訝しげに問い返したアルは、少年の返答に目を瞠って絶句する。
 さすがに彼の驚きに気づいた少年は、暫し目を瞬かせた後くすりと笑みを零した。
 「あぁ、そうか。僕達エルフ族は、人の子と命の在り様が違っているからね」
 アルを見つめる双眸に、束の間小さな子供を見守る年長者の思慮深さと慈愛が宿る。
 周囲の様子を伺いつつ近づいて来たレイとミトラが合流するのを待って、少年はふと思い立ったという風にこう問いかけた。
 「ところで、クーメイルを手に入れて来たって事は、君達もテイル・ナーグを目指しているのかな?」
 それは何気ない質問のように思えたが、ミトラは慎重に言葉を選びつつ返答する。
 「私達は、隔ての魔法を発動できる新たな人王を捜しているのです」
 「ふぅん」
 その反応から、ミトラの聡明さを感じ取ったのだろう。
 少年は、微かに目を細めて大人びた笑みを浮かべる。
 「いずれにせよ、妖精王の神器を求めている事に変わりはないね」
 「妖精王の遺した神器について何かご存知なのですか?」
 「残りの2つは、ちょっと厄介な場所にあってね」
 両腕に抱いていたフィンの身体をアルに預けた少年は、ミトラの真摯な問いに軽く肩を竦めて見せた。
 「【真実の宝冠】リアファイルは妖精王と人王に託された人物から奪われて久しい。確か今は、死者の国カエール・シディのヴィトレアの塔に封印されている筈だ」
 「死者の国って…」
 あからさまに怪しげな呼称にアルは思わず眉を顰め、ミトラとレイは思わし気に視線を交し合う。
 少年は、彼等の不安を否定しようとはしなかった。
 「ヴィトレアの塔は、普通の人間にとってはある意味難攻不落の要塞だ。彼の地を攻略する為にも、まずは【月零の杖】ディアンセットを手に入れるべきだろう」
 「ディアンセットの在り処は?」
 飾らぬ言葉で訊ねるレイを真っ直ぐに見つめ返して、少年は答えを告げる。
 「【月零の杖】は、西の海に浮かぶ眠りの島、セーンに」
 「…眠りの島…」
 我知らず呟くアルの腕の中で気を失ったまま眠り続けるフィンの姿は、奇しくも次の冒険を予感させるものだった。



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