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「ねぇ」 若干息を弾ませながらも妙に冷静な声音で、ミトラが先を行くフィンに問いかける。 「私達、何処に向かってるの?」 「解んない!」 対するフィンは、横合いから飛び出して来た魔狼を電撃を帯びた剣の一振りで撃退しつつ叫び返した。 「っていうか、逃げるだけで精一杯だから!」 余裕のないフィンとは裏腹に半ば諦観じみた表情で溜め息を吐くミトラの様子にかつての自分とレイの姿を思い浮かべて、アルは哀れな後輩に憐憫の眼差しを向ける。 一方、フィンとアルの援護に徹していたレイは、さっと周囲を一瞥すると同情よりももう少し実効性のある助け舟を出した。 「それでも、あながち間違った方向に来てる訳じゃなさそうだよ」 森に足を踏み入れたばかりの頃は、薄く靄が張っていたものの、それ自体が眺望を妨げる程ではなかった。 だが、進むにつれて靄は霧となり、遠くが朧に霞む程度だった視界は今やかなり限定されつつある。 そこには、湿度の高さや気温の低さだけでは説明できない作為が感じられた。 「この霧は、エルフの守りってわけか」 レイが走らせた視線の意味を正確に読み取って、アルは駆け抜ける足はそのままに低く呻く。 そうする間にも、辺りを漂う霧は次第に濃さを増していた。 森の中では、現在、風はほとんど吹いていない。 それにも拘らず、白霧は流れるように木々の間を埋め尽くしていく。 まるで意思を持っているかのような動きで急速に広がっていく霧の不自然さに漸く一行が気付いた頃、更なる異変が生じた。 疲れも見せずに一行を追ってきた魔獣達が、突然ばたばたと倒れ始めたのだ。 「な…に…?」 突然の異常に仲間の身を案じて振り返ろうとしたフィンの身体が、バランスを崩して大きく傾ぐ。 「こ、れ…なんで…」 咄嗟にすぐ傍の木に腕を突いて身体を支えようとしたフィンは、結局そのままずるずると倒れ込んでしまう。 外傷がないのははもちろんの事、特に苦しむ様子もなければ血や泡を吐いたりするわけでもない。 ただ、意識が闇に飲み込まれるように奪われる。 フィンを、そして魔獣達を襲ったのは、猛烈な睡魔だった。 「…っ」 「く、そ…っ」 回復呪文を唱えようと口を開きかけたミトラが額を押さえて蹲り、クーメイルに取り縋ったアルもまた抗いきれず膝をつく。 と、その時、一行を包み込むように一陣の旋風が巻き起こった。 螺旋を描いて渦巻く風は木々の葉を散らし、漂う霧を一瞬にして掃う。 はらはらと緑の葉が舞い下りた後には、清浄な空気だけが残された。 冷ややかに澄んだ静寂を切り裂いて、凛とした声が響く。 「人も魔物も区別なく眠り薬を嗅がせるのがエルフの流儀か?」 霞む頭を振ってふらふらと立ち上がるアル達の前に、眠りの魔法を打ち破ったレイの、敢然と薄闇の奥を見据えて立つ後姿があった。 氷の刃のように鋭利な彼の叱責に応えて、木の下闇から幾つかの人影が現れる。 森に溶け込むようなひそやかな佇まいと、人間よりも遥かに優れた聴力を持つ尖った耳――エルフ族の衛士隊だ。 男女を問わずほっそりとした立ち姿は優美で、一見嫋やかですらある。 しかし、彼等は強靭な肉体と高い魔力を有する優秀な魔法戦士だった。 それは、未だ矢を番えられたままの弓の張り具合1つとっても明らかだ。 油断なく4人を取り囲んだ一行を代表して、統率者らしき女性が口を開く。 「此処は我等エルフの森だ。許可なく領域を侵す者は何人であれ招かれざる客である事に変わりはない」 相手を見下す冷淡さで素気無くそう断じてのけた彼女の前に、ミトラが物怖じする風もなく歩み出た。 「それが緑森教団の祭司であってもですか?」 「祭官詩人《フィラバード》か」 隊長格の女戦士は、すっと目を細めると真偽の程を窺うように無遠慮な視線を投げ掛ける。 ややあって、彼女は軽く手を振る仕草で背後に控える部下に武器を収めるよう指示を出した。 アル達に向けられていた矢が下ろされ、周囲に集まっていた気配が音もなく遠ざかる。 独りその場に残った衛士隊の長は、それが生来の口調なのか、高圧的な態度でミトラを促した。 「我等と緑森教団の間には盟約が結ばれている。用件を聴こう」 友好的とは言い難い眼差しを怯まずまっすぐに受け止めて、ミトラは淡々と要望を述べる。 「教団より与えられた務めを果たす為、女王陛下への謁見を求めます」 彼女の申し出がよほど意外だったのだろう。 或いは、人間風情がエルフの女王への拝謁を望むなど僭越に過ぎるとでも思ったか。 毅い光を宿したエルフの深緑の双眸に、一瞬驚愕と動揺の色が浮かぶ。 だが、そこで色を為すほど、彼女は短絡的な人物ではなかった。 僅かな逡巡を経て、女戦士はミトラの要請を受け入れる。 「…ついて来るが良い」 短くそう言い置いて踵を返した彼女を追って、一行はエルフの領域に入った。 |