「…何と言うか」
 舞台下手側の袖から客席を一望したニコルが、抑揚に欠ける声で感嘆の呟きを漏らす。
 「随分と大掛かりなのですね」
 元は学校のグランドだという空き地に仮設されたライブ会場は、お世辞にも立派なものとは言い難い代物だ。
 工事現場から拝借してきた足場を組み合わせただけの簡素なステージに、これまた無骨な有り合わせの投光照明、客席の子供達に至っては使い古しの絨毯や毛布を敷いて地面に座り込んでいるという状況である。
 だが、一度上空に目を向けると、印象は一変する。
 「どうせなら、舞台装置も兼ねちゃおうかと思って」
 にっこりと笑うルディが用意したのは、極地の空を彩るオーロラを模した魔導障壁だった。
 華やかなイルミネーションの溢れる都会と違って、僅かな草木の生える草原と荒地に囲まれたこの地では夜の闇はどこまでも深く、乾いた風に洗われた澄んだ空は星々の瞬く大海原に変わる。
 そんな満天の星空を背景に、刻々と色合いを変える光のカーテンがゆったりと揺蕩う様は、まさに圧巻だった。
 どこか虚ろな顔つきで見上げる子供達も、生まれて初めて目にする虹色の天蓋には心を奪われているようだ。
 「時々光が揺らぐのは、外部からの接触に対する反応だ。アナの声に惹かれて来ただけの害意がないモノは浄化して帰すけど、悪さをするつもりなら丁重にお引取り願う」
 幻想的な光景に魅入られているマネージャーに、ステラはやや挑発的な物言いでそう解説する。
 ルディの実力を持ってすれば、一般人に知覚されない結界を張る事など容易い。
 それを敢えて目に見える形にしたのは、幻想的な舞台効果を狙ったのもさる事ながら、争いを厭うアナの意を汲んでの牽制の意味合いが大きかった。
 防御の為の結界にランの浄化作用を加えたのも、不遇の死を受け入れられないまま彼女の歌に宿る生命力に惹き寄せられて来た彷徨える魂を救いたいという当人の希望を叶える為だ。
 「会場の入り口に飾ってあるガーゴイル像も「本物」だから、人外の侵入者については心配いらない筈」
 魔除けの役割を果たす魔法生物を守衛に置いた張本人のティアラがそう言い添えたところで、上手側からアナがステージに上がって来る。
 続いてバックバンドのメンバーもステージに現れ、それぞれ配置についた。
 無言で交わされる視線。リズムを取る為に打ち合わされるドラムのスティック。
 客席側の照明が落ちて、ライブが始まった。
 シンプルな構成のバンドが奏でる音楽に乗って、アナの伸びやかな歌声が響き渡る。
 アナは、あからさまな慰めや励ましを言葉にする事はしない。
 代わりに彼女が歌うのは、空の青さや星の煌めきであり、心躍る冒険や甘く切ない恋心だ。
 置かれた境遇を嘆いて世間を恨むのではなく、世界の美しさに目を向けて欲しい。
 痛みや哀しみに閉ざされた心を開いて、ひたむきな憧れやときめきを取り戻して欲しい。
 そんな彼女の願いは、ゆっくりと、だが着実に子供達の胸に浸透していく。
 前半の曲目を終え、ライブが中盤に入った辺りから、子供達の様子に変化が現れだした。
 表情に乏しかった顔に笑みが浮かび、生気のなかった双眸に輝きが宿り始める。
 だが、ライブも終盤に差し掛かったところで、問題が発生した。
 ステージを照らしていた照明が、不意にすべて消えてしまったのだ。
 突然辺りを支配した暗闇に、我に返った子供達の間に怯えが走る。
 緊急事態の発生を受けてニコルはボディーガードの男達を引き連れてステージに上がろうとしたが、プリンセス・ガードの行動は迅速だった。
 伸ばした腕でニコル達の行動を遮ったステラの傍らで、ティアラが狐火を呼び出す。
 同時に、ルディは障壁の機能を強化させて、一時的に人の出入りにも制限を設けた。
 ふわりふわりと宙を舞う青白い灯は、無邪気な獣の仔が懐くようにアナに戯れかかる。
 それを、最初から予定されていた演出であったかのように受け入れて、アナは再び歌い出した。
 伴奏のないアカペラの安定した歌声に、子供達の動揺も直に収まり、会場は再び活気を取り戻す。
 取り敢えず事態が沈静化したのを見て取って、ステラは携帯端末で結界の外で待機しているランを呼び出した。
 「何が起こった?」
 外部から会場の様子を監視していたランは、ステラの問いの意味を質す事もなく簡潔な答えを返す。
 「電力系統の異常らしい」
 ライブ会場の電力は、すべてボランティア団体が用意した自家発電装置で賄われている。
 どうやら、その装置が故障したらしい。
 普通に考えれば偶発的なトラブルだろう。こうした不安定な環境では珍しくない。
 だが、何やら思わしげなランの声音は、アナの活動を妨害する為に人為的に引き起こされた事故の可能性を示唆していた。
 「念の為、現場に向かっている」
 「解った。俺もすぐそっちに行く」
 ランの懸念を察したステラは、そう言って通信を切ると様子を伺っていたルディ達に向き直る。
 「ティアラ、ルディ、こっちは頼む」
 「了解」
 「気をつけてね」
 ほんの少し不安げなティアラに気安い調子で手を振って、ステラは夜の闇へと駆け出した。

 

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