その日の夕刻、ルディはティアラと連れ立ってエヴァの部屋を再訪した。
 「何しに来たの?」
 一応扉を開けはしたものの、2人の姿を目にした途端あからさまに嫌そうな顔をするエヴァにもめげずに、ルディは爽やかな笑顔でこう応える。
 「君の護衛に」
 入念な打ち合わせの結果、エヴァの説得はルディに委ねられた。
 というより、他に選択肢がなかった、という方が正しい。
 ステラでは顔をあわせた途端喧嘩腰になるのは目に見えていたし、ランの理詰めの正論はエヴァの反発を招く可能性が高い。
 およそこの手の駆け引きに縁のないティアラに交渉を任せるわけにもいかず、消去法でこの人選となった、という訳だ。
 まぁ、エヴァのようなタイプには人当たりが良くて万事におっとりしているルディくらいが丁度良いと言えなくもない。
 「必要ないわ」
 取りつく島もないエヴァの反応を、ルディはやんわりと否定する。
 「ごめんね。でも、必要かどうかを判断するのは君じゃなくって、依頼主である君のお父上であり、現場で任務に当たる僕達の方なんだ。悪いけど、夜の間君を1人にする訳にはいかないよ」
 柔らかな言葉遣いとは裏腹にしっかりと意志を貫くルディの態度に、エヴァは僅かに気圧されたようだった。
 一瞬怯んで、それから、そんな自分を振り切るように強気な口調で用意していたのであろう問いを投げかけてくる。
 「だからって、女の子の寝室に居座るつもり?」
 エヴァがそう指摘してくるのを予想していたルディは、にっこりと微笑んだ。
 「うん、だから、ティアラだけならどうかな?」
 「この子が?」
 エヴァは、検分するかのように無遠慮な視線をティアラに向ける。
 先刻の遣り取りの時も今も、ティアラはまったく口を挿もうとはしなかった。
 ほわほわとした雰囲気もあって、どこかぼんやりとして頼りなげな印象しかない。
 この子だけなら問題ない…そう判断したエヴァは、渋々といった様子で頷いた。
 「…良いわ」
 それでも、きっちり条件をつけるのは忘れない。
 「でも、私、同じ部屋に人がいると眠れないの。続き部屋のソファで寝泊りするなら入れてあげる」
 あくまでも勿体ぶった様子で告げるエヴァに、ルディは素直に破顔する。
 「ありがとう。何かあったら呼んでくれれば、僕は廊下にいるから」
 甘い笑顔に一瞬見惚れたエヴァは、その意味するところに気づいて眉を顰めた。
 「あなただけなの?」
 どことなく不安げとも取れる表情でそう尋ねてくるエヴァを宥めるように、ルディは彼女と目線を合わせて事情を説明する。
 「ランには別にやって貰う事あるんだ。だけどステラは窓の外で不審者が入って来ないかどうか見張ってるから、安心して」
 「べっ、別に心配なんかしてないわ!じゃ、邪魔しないでよね!」
 ルディの優しさにほんの少し絆されかけた自分を恥じるかのように、エヴァは殊更乱暴な仕草でティアラの手を取ると、ルディの鼻先で扉を閉めた。

 

+ + +


 その夜。
 時計の針が12時を回る頃、エヴァの寝室に変化が訪れた。
 立ち籠める淡い霧と、纏わりつくような甘ったるい香り。
 風もないのにランプの明かりが揺れ、ベッドに掛けられた天蓋がそよぐ。
 目立たぬように部屋の四隅に貼られた呪符がぼっと音を立てて燃え上がり、壁に焦げ痕一つ残さず焼け落ちた。
 「やぁ、私を呼んだね」
 「先生…」
 蕩けるような声が、ベッドの上に身を起こしたエヴァの口から零れ落ちる。
 いつ、何処から現れたのか、ひっそりと闇に溶け込む色のコートを羽織ったアジールの姿が其処にはあった。
 「逢いたかった」
 そう呟くエヴァは、胸元に音叉を象ったペンダントを握り締めている。
 「私もだよ、小さな歌姫」
 愛しげに応えるアジールを見つめる彼女の眼差しは、憧れとはにかみを孕んだ昼間のそれとは別人のような熱に侵されていた。
 隣室に控えているティアラに動きはない。廊下のルディにも。
 ただ、エヴァだけがふらふらと炎に誘われる蛾のように、目の前のアジールに惹き寄せられる。
 「此処に来て」
 吐息混じりに囁く声に含まれる媚態は、思春期に足を踏み入れたばかりの少女のそれではなかった。
 「もう離れたくない…ずっと、先生と一緒にいたいの」
 「それじゃあ、私と来るかい?」
 試すような響きの声でそう問いかけて、アジールがエヴァに向けて手を差し伸べる。
 エヴァには、その誘惑を退ける意志は残されていなかった。
 夢見るように陶然とした表情でベッドを降りた彼女は、ゆらゆらと覚束ない足取りでアジールへと歩み寄る。
 死を告げる鳥の羽根のように翻った黒いコートの裾が背後からエヴァを包む込もうとしたその時、バンッと無粋な物音がして、ベランダへと続く窓が押し開かれた。
 咄嗟にエヴァの腕を強く引きながら振り返ったアジールの目が、驚きに瞠られる。
 「はーい、そこまで!」
 突風にはためくカーテンを背景に、不機嫌な顔をしたステラが2人を睨みつけていた。



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