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天井の高い室内に、人の背丈の何倍もある巨大な書架が幾つも並び立っている。 紙とインクの香りが漂う空気は微かに黴臭くて、お世辞にも綺麗とは言い難い。 明かり取りの小窓から射す光に、埃がちらちらと舞っているのが其処彼処で見て取れる。 片手に数冊の本を抱えたまま器用に細い脚立の上から降りて来たステラは、床に座り込んで読書に耽っている友人に苦言を呈した。 「ルディ、おまえも本ばっか読んでないでちょっとは片づけんの手伝えよ」 「えー」 「えー、じゃなくって!」 「んー」 「んー、でもなく!」 暖簾に腕押し、糠に釘。 生返事ばかりで一向に行動に移ろうとしないルディに焦れて、ステラは無理矢理彼が読んでいる本を奪い取る。 ルディは、ステラの手に移った本を未練がましく見上げながらおっとりと反論した。 「ちゃんと手伝ってるよ。ステラが乱暴しても大丈夫なように結界張ってるじゃない」 その言葉を証明するかのように、ステラがルディから取り上げた本を無造作に本棚に戻した途端、両隣の本と一緒に長さ15cm程の針が飛び出して来る。 目の前で結界に弾かれて床に落ちた針を、ステラは憮然とした表情で見下ろした。 そんな彼の気も知らぬげに、ルディは心なしか弾む声でこう続ける。 「それに、面白いよ、ココの本。さすがLUX CRUX秘蔵の禁書だけあるって感じ」 そう。彼等がいるのは、魔導騎士団LUX CRUXの資料庫だった。 何故彼等がこんなところで蔵書の整理に勤しんでいるのか…事の起こりは、入隊式での年少部隊隊長シェルアの発言に遡る。
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「ところで」
訓示を終え、そのまま演壇を下りるかと思われたシェルアが、一同を前に再び口を開く。 「諸君に配られた当騎士団の徽章に紋章と貴石が嵌め込まれていない事に気づいているだろうか?」 その事に気づいていた者、指摘されて初めて気づいた者、それぞれが交わす囁きが漣のように広がっていく中、シェルアは更なる波紋を呼び起こそうとしていた。
「団員心得には徽章に七曜の紋章と七色の貴石で担当分野と所属属性を表示するとある。が、その為には、各人の適性と能力を見極める必要がある」
戸惑う子供達を見渡して、シェルアは本題を切り出す。
「そこで、最初の任務として諸君に資料庫の整理を命ずる」
それは、まさに青天の霹靂だった。
居合わせた新入隊員の多くが、入隊早々任務を与えられるとは思ってもみなかった筈だ。
「単独で行動してもパーティーを組んでも構わない。外部編入の諸君には、幼等部隊から当騎士団に所属しているメンバーがサポートにあたる。彼等の徽章には仮の紋章と貴石を与えてあるので、それを参考にすると良いだろう」
戸惑いを隠せないまま互いに顔を見合わせてざわめく新入隊員達に「健闘を祈る」とだけ告げて、シェルアは今度こそ悠然とした足取りで壇上を去ったのだった。
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「くっそぉ、シェルア隊長のヤツ、面倒な片づけを体良く俺等におしつけやがって!」 「あはははは」 結構本気で憤慨しているステラを尻目に、ルディは声を上げて屈託なく笑う。 黒目がちな飴色の大きな瞳でにこにこと笑っている事の多いルディは、周りの女性達、特に年上のお姉様方から天使のようだと評される事が多かった。 一方のステラは、そこそこ整った顔つきではあるものの、意志の強さを表すきりりとした眉とやや垂れ目がちなジャスパーグリーンの双眸とのアンバランスさの所為でどこか愛嬌のある表情が強調されがちだ。 一頻り笑って気が済んだのか、ルディは目許に笑みの名残を留めたまま幾分真面目なコメントを述べた。 「でも、良い手だと思うよ。適材適所っていう言葉の意味が良く解る」 「…まぁな」 ステラも、それには不承不承ながら同意する。 同じ建物の上層にある図書館や展示室が近寄り難ささえ感じるほど整然としているのに対し、半地下に築かれた資料庫の方は雑然と散らかり放題だった。
収蔵されている品は、古文書や魔導器、魔法生物の標本、呪符に宝珠に彫像等々…一見して用途がはっきりしている物もあれば、何に使うのか、そもそもそれが何なのかすら解らないような所謂オーパーツと呼ばれる謎の物体まで、実に様々だ。 しかも、魔導騎士団が管理しているだけあって一筋縄ではいかない物も多い。
加えて、資料庫自体に仕掛けられた侵入者避けの罠もある。
初めの内、不慣れな新入隊員達は、火気厳禁の部屋で明かりを求めて火の魔法を使おうとして頭から水を被ったり、誤って目覚めさせた古代遺跡のガーディアンに追い掛け回されたりと大変な苦戦を強いられていた。 だが、若く柔軟な思考を持つ子供達は、状況に適応するのも早い。 魔法薬の精製に詳しい者、錬金術の知識を持つ者、呪文の解読を得手とする者等、それぞれが得意とする分野の知識を活かす形で資料の整理に着手する。 特別専門的な知識を持たない者は、それぞれの分野に明るい者の指示を仰ぎつつ魔法を使って彼等を手助けした。 中には開錠の魔法が使えるのを良い事に鍵開けを専門に請け負ったり、古物に憑いた物の怪退治を買って出たりする者もいる。 その上、治癒魔導の使い手が数人集まって急拵えの救護所まで開設された。 自然と役割分担が為され、協力体制が出来上がっていったのだ。 ルディは言う。 「LUX CRUXでは、行動の基本になるパーティーも基本的には許可申請制でしょ?よっぽど特殊な任務の場合は適性を考慮して指示が出る事もあるみたいだけど。この任務は上層部が個々の社交性も含めて隊員1人1人の能力を見極める為の試金石なワケだけど、僕達にとっても任務を共にする仲間を見つける良い機会なんじゃないかな」 彼の言う通り、初対面の者が多かった筈の新入隊員達は、任務を通じていつの間にか打ち解け合っていた。 中には、既に擬似的なパーティーを形成している者達もいる。 それでも、ステラ達の周囲に人の気配や話し声はほとんど届いて来なかった。 それだけ資料庫内が広大だという事もあったが、この辺りには持ち出しの禁じられた書物や扱い難さから封印され放置されているような代物が山積されていて、そもそも誰もが近寄りたがらない地区なのだ。 それを良い事に、本来なら繰り上がり組の一員として編入団員の世話をするべきステラとルディは自分達のペースを貫いていた。 「あれ?」 うーんと大きく伸びをしたステラが、ふとその動作の途中で動きを止める。 「さっきのターキッシュアンゴラだ」 偶々彼の視線が向いていた書架の隙間から、何やら重そうな巻物を両手で抱えて危なっかしい足取りで歩くプラチナブロンドの少女の姿が見えた。 何を思いついたのか、ステラはうきうきと少女に接近する。 「手伝おうか?」 突然声をかけられて、少女はほんの少し驚いた様子で立ち止まった。 ぱっちりとしたメイプルシロップ色の瞳をぱちくりと瞬かせる彼女に、ステラはにこやかに話しかける。 「俺はステラ=ミラ。こっちのぼんやりしてるのがルディ=ソラリス。君は?」 「ティアラ。ティアイエル=フューよ」 「ティアラか。可愛い名前だね」 物怖じせずに応えるティアラににっこりと微笑みかけて、ステラは彼女が抱えている巻物に手を伸ばした。 が、次の瞬間、誤って熱い鍋に触れてしまったかのような勢いで手を引っ込める。 「っわ!」 「大丈夫?」 ティアラは、小首を傾げるとステラの顔を心配そうに覗き込んだ。 「呪いを解くまではやたらと触らない方が良いって、ランが言ってたけど」 ティアラの口から出たランの名前に、ステラはむっとしたようだった。 尋ねる声が、ついぶっきらぼうになる。 「そんなモノ、どうするんだ?」
「ランが、浄化して、在るべき場所に戻すの」 「へぇ、彼、解呪まで出来るんだ」
普通、呪いの解除には時を選んだり場を清めたり呪陣を築いたりと細心の注意を払うものだ。さもないと、術者自身が呪詛返しなどで逆に魔導汚染されかねない。
更に、術者には、呪いの種類を見極める鑑定眼に加え、様々な魔法に対処しうるだけの知識と能力も求められる。 それを、何の準備もなくこのような場所で行うというランは、かなりの実力の持ち主と言えた。 のんびりとしたルディの声からは、彼が本気で感心している事が伝わってくる。 ステラには、それが面白くなかった。 「だからって、女の子にこんな危ないモノ持たせるなんて」 思わず非難する口調になったステラを、ティアラは不思議そうに見遣る。 「ううん、あたしには危なくないよ」
確かに、少々大きくて女の子の細腕に余る事を除けば、その巻物がティアラを害する気配はなかった。 それもランの守護魔法のおかげかと問いかけようとしたステラは、はっと弾かれたように顔を上げる。
ほとんど同時に、複数の悲鳴が資料庫内に響き渡った。
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