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ヴィリディス
―エルフの森―
こちらを見つめるガランサスの若葉色の瞳の真摯さに、俺はどう切り出すべきか迷っていた。
本来なら、ゲーム中のキャラクターになりきってる相手にいきなり現実世界の話題を持ち出すような野暮な真似はマナー違反だ。
とはいえ、それだけだったら事態が事態だって事で目を瞑ってもらって、正直に事情を話して協力を仰いだ方が良いだろう。
ただ、相手がNPCだった場合は話が違ってくる。
言っている事が理解されないだけならまだしも、下手するとこちらの思惑がシステムに筒抜けになってしまう恐れがあるのだ。
そうでなくても、会話の進め方如何によってはシナリオクリアに影響が出る可能性だってある。
そんなこんなでどうしたものかと考えあぐねていると、レイが横から口を挿んできた。
「木々が荒れているのは人間の所為ではないわ」
先の発言への反発とも取れる台詞に気分を害したらしいガランサスが、やや険しい視線をレイに向ける。
レイは、臆することなくその視線を受け止めて言葉を続けた。
「この森の異変には、近くの町の人達も心を痛めているわ。私達は、彼等からの依頼でその原因を確かめる為に来たの」
彼女の言っている事に嘘はない。
情報収集の為に立ち寄った旅篭町では、森の異変の謎に挑む冒険者を懸賞金つきで募っていた。
この世界――【緑】のステージであるヴィリディスの人々にとって、森は生活と密着した、切っても切れない存在だ。
彼等は、エルフの森に生る果実やそこに棲む動物を狩って日々の糧を得ている。家を建てる資材も森の木なら、衣服に使う布も森の植物から採れる糸を織ったものだ。
加えて、彼等は美しく気高いエルフという種族に憧憬と敬愛の念を抱いている。
けして森の奥深くには踏み込まず、エルフ達とも一定の距離を置きながら、人々は心から森とその住人を愛し、その異変を案じていた。
だが、そういった人間側の事情を知らないエルフの戦士は、簡単に心を開こうとはしなかった。
「原因に心当たりがある、と?」
ゆっくりとした口調で尋ねるガランサスの懐疑に満ちた眼差しを真直ぐ見つめ返して、レイは町で仕入れたネタの中からあっさりと切り札を出す。
「「風鳴りの樹に棲む魔物に気をつけろ」。数日前、瀕死の重傷を負って旅篭町に辿り着いたハンターが最期に遺した言葉よ」
「まさか」
咄嗟に反駁したガランサスだったが、その瞳には明らかに動揺に色が浮かんでいた。
それは、続くレイの言葉で更に深まる。
「戦いに身を置く者が命がけで齎した警告を疑うの?」
自身も戦士である彼には、その一言は重い意味を持ったようだった。
しばらく逡巡する様子を見せた後、改めてこっちに向き直り、慎重に口を開く。
「事は、私に判断できる領分を超える。来なさい。貴方達を領主に引き会わせよう」
そう言って、ガランサスは素早く身を翻すと、森の奥へと向かう隠された道に俺達を導いた。
「なぁ、やっぱりガランサスってNPCなのか?」
張り出した木の根や降り積もった落ち葉に足を取られる事もなく身軽に駆けるガランサスの後姿を見失わないように気を使いながら、俺は声を潜めてレイに問いかける。
「こっちの事情がばれないように無難な話の持ってき方してただろ?向こうの反応もシナリオ通りって感じだし」
彼女の話しぶりからストーリーから逸脱しない方法で謎解きをするつもりなのだろうと予測を立てていた俺に、レイは「さぁ?」と小さく肩を竦めてみせた。
「彼がプレイヤーキャラかNPCかなんて、ほとんど無意味よ」
レイは、視線を前に向けたまま表情を動かさずにそう答える。
「【cubic world】に囚われた意識は、この世界での生こそが現実だと思い込むように洗脳されている可能性が高いもの。幾ら現実の危険を訴えたって、彼等には理解できないわ」
彼女の言葉は、今更ながら俺にシビアな現状を思い出させた。
俺の受けたショックが伝わったんだろう。レイがちらっと気遣わしげにこちらを見遣る。
「判断の基準を現実(リアル)か仮想現実(ヴァーチャル)かに頼るのは止めた方が良いわ。自分を見失う事になるわよ」
彼女の忠告を、俺は肝に銘じておこうと思った。
ヴィリディスの森の領主は、ガランサスよりも幾分年嵩の、落ち着いた雰囲気をしたエルフだった。
降り積もった星霜を思わせる銀色の長い髪を背中に流し、黄金の枝にエメラルドの葉を鏤めた冠を額に嵌めてゆったりと玉座に掛ける姿は、いかにも彼の種族らしい優雅さを醸し出している。
深い叡智を木賊色の瞳に宿したエルフの殿は、最後までこちらの言い分を聞き終えると憂わしげに溜息を落とした。
「風鳴りの樹は、我等の森の要。魔物が棲みつくなど考え難いのだが」
「でも、現に魔物を追っていたハンターが其処で襲われて命を落としてるんだぜ?」
俺は、無礼を承知で普段の口調を改めずにそう言ってやる。
交渉の過程で、エルフ達はレイが何らかの事情で身分を隠す必要に迫られているやんごとなき立場の人物だと思い込むようになった。
人間よりも鋭敏な感覚を持つ彼等の事だから、彼女の高い魔力に何か感じる所でもあったのかもしれない。
で、俺は彼女の護衛に雇われた傭兵あたりに見られてるってワケだ。
面倒事は好きじゃないし、これはこれで好都合だ――レイの方がサポートで俺がシステムに挑む本命だってのは知られない方が良い――から、俺達は敢えて誤解を解かずにそれを利用させてもらう事にした。
「少なくとも、低俗な魔物が入り込めるほどに森の気が乱れている事は私にも感じられます」
追い討ちを駆けるように告げるレイの愁いを秘めた瞳の毅さに気圧されたかのように、エルフの殿は視線を伏せて考え込む。
「この森に異変が生じているのが事実である以上、私には領主として何某かの手を打つ義務があるな」
ややあって、再び顔を上げた彼は、背後に控えていたガランサスに向き直ると穏やかに命を下した。
「彼等を風鳴りの樹までご案内しなさい。必要とあれば、おまえの力を貸して差し上げるように」