ニヴェウス
―虚ろなる神の居城―


 巨大な鎌鼬の刃が石の盾を切り裂き、轟音と共に迫り来る火焔を渦巻く水流が呑み込む。
 朦々と水蒸気が立ち込める中をついて、俺はアル・ファズールの懐へと飛び込む。
 横薙ぎに振るった剣は、障壁に受け流されながらもアル・ファズールの腕を掠めて血煙を上げさせた。
 ヴィリディスの風、ラテリシウスの土、リヴェレの水、スカルラトゥムの火。
 4つの世界から集めた石版が呼応する火水風土の4大エレメントの力を引き出し、それぞれの属性の魔法が自動的に発動して立方体(キューブ)の持ち主をサポートする。
 それが、俺が思いついたままに提示し、レイがゲームシステムに組み込んだ立方体(キューブ)のマジックアイテムとしての効能だった。
 キャラクターとしての「レイ」は【黒】のステージアクィラスで鍵の石版と引き換えに封じられた。
 その状態で彼女がどうやってシステムに干渉してるのかは解らない。
 解ってるのは、今もレイが俺と一緒に戦ってるって事。それだけで充分だ。
 何しろ、自分はこの世界の神だと豪語して憚らないアル・ファズールにダメージを与えられてるんだから。
 単純な戦況だけなら、たぶん漸く五分五分になるかならないかってとこだろう。
 こっちはアル・ファズールの魔法攻撃を立方体(キューブ)のおかげでどうにか凌いでるけど、もしも相手が武器攻撃にも秀でてるとしたら結構苦しい状況になってた筈だ。
 でも、幸いにもアル・ファズールの攻撃は、ほとんどが魔力に頼ったものだった。
 武器を振るおうにもレイの姿を模している今の状態で装備してるのは彼女が使ってた特殊な飛刀のみだから巧く使いこなせないって所為もあるんだろうけど、何よりアル・ファズールの…システムの判断能力が鈍ってる節が見られる。
 所詮は機械だ。シミュレーションしてなかった事態に対応する為の再計算に追われてる上に、次々ちょっかいを出してくるレイに翻弄されてるんだから当然といえば当然だろう。
 対する俺の方は、自分でもプログラムを弄る人間だからこそ、次に何が起きるのかある程度検討がつけられるっていう強みがある。
 後は、反射神経の勝負だ。
 傷の手当てと反撃のどちらを優先するかで戸惑うアル・ファズールの一瞬の隙をついて火球を放ちながら、俺は冷静に次の手を予測する。
 予想通り火球の爆発を避けて飛び退いたアル・ファズールの着地点を狙って払った剣が、確かな手応えを返した。
 俺がこの任務に選ばれたのは、プログラムについて多少知識があったからでもRPGが特別得意だったからでもない。
 電脳界への順応能力の高さと反射速度、それから電気信号の扱いに長けてるのを買われての事だ。
 実は俺の得意分野といえばシューティングとか格ゲーとか、コンマ何秒の差が命取りになるような類のゲームだったりする。
 この手のゲームでは、コマンドの入力から実行までの僅かなタイムラグを読んで次の動きを指示しなきゃすぐにヤられちまう。
 そーゆーやり方に慣れてる俺は、リアルタイムで戦闘が進行するRPGでも一歩も二歩も先んじて行動できるってワケだ。
 立方体(キューブ)の――レイの的確な援護は、俺の行動を妨げない。
 むしろ、より戦いやすいように導いてくれてる。
 爆発の余波で漂っていた煙が晴れるに連れて明瞭になる視界に、傷ついた脇腹を押さえて膝をつくアル・ファズールの姿が映る。
 苦し紛れに放たれた火矢を叩き落とした風の防壁が、床に散らばる石片を巻き上げてアル・ファズールに襲い掛かった。
 咄嗟に顔を庇う為に翳されたアル・ファズールの右腕を、振り下ろした俺の剣が斬り落とす。
 ごとん、という音がして、細い腕が血溜まりに落ちた。
 片腕を失った「レイ」の姿にざらつく感情を押し殺して、俺はアル・ファズールの喉元に剣の切っ先を突きつける。
 「観念しな」
 これで終わると思った。
 油断してたのかもしれない。
 アル・ファズールは、不気味な笑みにくつくつと喉を鳴らしながら口を開いた。
 「私が負けると?万物の父たるこの私が?」
 俺は失念してたんだ。相手がこの世界を支配するシステムそのものだって事を。
 リアリティへの拘りと強者故の矜持とから現行のゲームシステムの維持に固執してただけで、それらをかなぐり捨ててしまえば事実上システムを掌る人工知能は無敵の存在になり得る。
 俺の存在を――【cubic world】というゲームの世界そのものを、リセット1つで消し去る事も可能なのだ。
 「そのような結末を私は認めぬ!我が意に反する世界ならこの手で創り変えるまでの事!」
 本来なら愛くるしい筈の顔をギラギラとした憤怒に醜く歪めて、アル・ファズールはそう宣告する。
 最も恐れていた事が、現実になろうとしていた。
 地響きと雷鳴。世界が悲鳴を上げて軋みだす。
 界を移動する時のあやふやな感覚とは違う。これは、明らかに滅びの前兆だ。
 ――ちょっとヤバイかも。
 ちょっぴり絶望モードに入りかけた俺の脳裏に、不意にレイの遺した言葉が蘇った。



 「忘れないで。あなたは独りで闘ってるわけじゃない」



 掌の中には、cubic worldの鍵となる立方体(キューブ)。
 そこで明滅してる石版には、それぞれの界で出逢った人達の想いが託されている。
 レイの言う通り、俺は独りで闘ってるんじゃない。
 ――こうなりゃ、レイの言葉に賭けるっきゃねぇだろ。
 俺は、起死回生の望みを賭けて鍵の石版を立方体(キューブ)から取り外した。