ニヴェウス
―虚ろなる神の居城―


 俺が、神を継ぐ者だって?
 自ら神を名乗る狂ったシステムの戯言を、俺は鼻で笑い飛ばす。
 確かに、このゲームを始めたばかりの頃の俺なら、この展開に多少は動揺しただろう。
 何も知らずにプレイしてきた一般人だったら…或いは俺独りで此処まで来たんだとしたら、気づかぬうちにこの世界の流儀に染まってたかもしれない。
 でも、俺にはレイがいた。
 「剣と魔法のファンタジー」にはそぐわない格好と冷静な言動で、彼女は常に俺の意識を現実(リアル)に繋ぎ止めてくれていた。
 だから、俺はシステムの用意した姦計に惑わされる事なく状況を分析する事が出来た。
 「それで?そんなつまんないネタで俺をこの世界に縛りつけられるとでも思ってんのか?」
 マリアは言ってなかったか?この世界がイカれだした頃から、シナリオに新たな設定が付け加えられたらしい節があるって。
 俺を「神」に祀り上げようなんて話も、ゲームをクリアさせない為にシステムが急遽創り出した応急措置でしかない。
 つまりは、そーゆーコトだろ?
 そもそも、こいつの容姿からしていただけない。
 子供=無垢ってイメージで聖性を表してるつもりかもしれないけど、勘違いも甚だしい。
 無邪気である事が罪がないって意味だなんて思ってたら大間違いだ。
 子供ってのは可愛いだけの穢れのない存在なんかじゃない。無知ゆえに加減を知らず、理論武装や常識も通用しない恐るべき暴君でもある。
 まぁ、常に自分が世界の中心にいると思い込んでるあたり、ある意味アル・ファズールとやらの人格形成は分別のない幼子と同レベルかもしれないけど。
 それに、単純な見かけの愛らしさだって、レイの方がよっぽど上だ。
 そんな事を考えていると、俺の思考を読んだかのようにアル・ファズールが悠々と問いかけてきた。
 「この姿はお気に召さないかな?」
 言っているそばから、彼の身体の輪郭がジジッと翳む。
 次の瞬間、そこには天使のような少年の代わりに見慣れた人形のような少女の姿があった。
 「では、これでどうだろう?おまえを誘惑し、手懐けようとした魔導王国の裔、「無」たる「レイ」の名を持つ娘のものだよ」
 気がついたら、俺はアル・ファズールに斬りかかっていた。
 思ってもみなかった行動に自分でも驚いたけど、レイを侮辱されたと感じた瞬間、突き動かされるように剣を抜いていたのだ。
 だが、俺の渾身の一撃を、アル・ファズールは片腕であっさりと受け止めてのけた。
 正確には腕じゃない。魔法で現れた金剛石の盾に阻まれたのだ。
 剣を弾かれた勢いで態勢を崩したところに、追い討ちをかけるように無数の石礫が飛んで来る。
 障壁魔法の発動は間に合わなかった。
 避け損なった礫が肌を掠め、そのうちの1つが左の太腿を射抜く。
 「愚かな」
 堪らず蹲る俺を見下して、アル・ファズールは稚い姿には不似合いな出来の悪い子供を諭すような調子で口を開いた。
 「私の言った事を聴いていなかったのかい?私はこの世界の神。その程度で傷つける事など出来ないよ」
 確かに、さすがはコンピューターだけあって計算能力や処理速度は半端じゃない。
 相手の処理能力を超えた負荷を掛けられるんでもない限り、こっちの仕掛ける攻撃は容易く防がれちまうだろう。
 じりじりと焦燥に駆られる俺をいたぶるみたいに、アル・ファズールはレイの顔でにたりと微笑んだ。
 「聞き分けのない子にはお仕置きが必要かな?」
 小柄な身体を取り囲むように、大気中の水分が氷結して出来た矢が浮かび上がる。
 怪我した片足を引き摺ってすべてを躱わしきる事はまず不可能だ。
 俺は、覚悟を決めてぎゅっと目を瞑った。
 ガガッと矢の突き刺さる音。
 でも、予想してた衝撃は来なかった。
 代わりに、温かな水の感触が切り裂かれた肌と穴の穿たれた左足を包む。
 おずおずと瞼を持ち上げた俺が目にしたのは、俺を庇うような形でそそり立つ岩の壁だった。
 「ばかな!大地の守護【アースガード】に復活水【エリクシール】だと!?」
 アル・ファズールの言葉に、俺は傷が完全に癒されてる事を知る。
 一方、それまで常に優位に立って余裕を見せていたアル・ファズールは、明らかに動揺していた。
 さしずめ、マニュアルに載っていない想定外の「エラー」に人工知能が反応できずにいるってところだろう。
 尤も、驚いてるのは俺だって同じだ。
 大地の守護【アースガード】と復活水【エリクシール】は、防御と回復の上級呪文――土と水の高位魔法だ。
 こんなもの会得した覚えもなけりゃ、それを使えるだけの魔力だって俺にはない。
 困惑しつつ我が身を摩っていた俺は、ふとポケットの中の硬い物体に気づいた。
 【cubic world】の謎解きの為に用意されたキーアイテムの立方体(キューブ)だ。
 何気なく取り出してみると、【茶】と【青】の石版が光を放っていた。
 それを目にしたアル・ファズールが、驚愕に目を瞠って叫ぶ。
 「立方体(キューブ)か!?」
 その瞬間、俺は状況を理解した。
 レイの仕業だ!彼女がシステムに介入して俺を救う為の設定を書き込んだんだ!
 それなら――。
 「鍵の石版を集めた立方体(キューブ)はcubic worldの雛形。それ故立方体(キューブ)を制する者は、この世界の理をも制する!」
 俺は、そう声高に宣言する事で新たなルールを提唱した。
 咄嗟のアドリブ、と言えば聞こえが良いが、要は勢い任せのはったりだ。
 それでも、勝算はあった。
 コンピューターってのは、今も昔も融通が利かないもんだ。
 それに引き換え、こっちはまだまだ若い分頭も柔らかい。
 あとは、このルールをシステムに認めさせられればこっちのもんだ
 「この世界がちゃちな紛い物じゃないってんなら、ご都合主義で逃げやしねぇよな?」
 俺は、敢えてアル・ファズールのプライドを刺激するような挑発的な態度でそう尋ねた。
 暴走したシステムは、無駄にリアリティに拘る傾向にあった筈だ。
 そこをついて、駆け引きに持ち込む…コンピューター相手に心理戦を仕掛ける破目になるとは思わなかったけど、これは思いの外効果的だった。
 データベース直結の脳内音声が、マジックアイテムとしての立方体(キューブ)の使用方法を告げて遣す。
 それは、システムがこっちの言い分を受け入れた事を意味した。
 「俺はあんたの言いなりのまま神になんてならない」
 感情を装うだけの容量の空きがないのか、無表情に立ち尽くすアル・ファズールを見据えて、俺は俺の出した答えを口にする。
 「あんたを斃して、この世界を終わらせてやる!」