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スカルラトゥム
―氷と炎の秘境―
光の花を咲かせる樹氷の林の奥、雪に覆われた岩に埋もれるように、その洞窟の入り口はあった。
一見自然に穿たれた穴のようにも見えるけど、中に足を踏み入れると明らかに人為的に手を加えられたと思しき階段状の通路が地下へと続いている。
日が射さない所為で1年中氷に閉ざされてるんだろう。
壁も足元も凍りつき、鍾乳石の代わりに氷柱が垂れ下がる洞窟の中を、足を滑らせないように注意しながらグレンの後について下る。
不思議な事に、下に向かえば向かうほど、洞窟の中の温度は上がっていくようだった。
地下から湧き出る水が夏冷たくて冬温かいってのと同じ理屈なのかな?
そんな考えが過ぎるほど、俺達はひたすら地下に潜り続けた。
このまま行ったら地底に辿り着いちまうんじゃないか、なんて、半分くらい本気で考えたほどだ。
おまけに、どっちをむいても似たような氷結した壁と氷の彫刻だらけで、方向感覚も何もあったもんじゃない。
いい加減どのくらい深い場所まで潜って来たのか、どちらの方角を向いてるのか解らなくなる頃になって、俺達はようやく目的地までやって来た。
「…これが…」
通路を下りきった所で立ち止まり、両膝に手をつき肩で息をしている俺の隣で、レイが息を呑む。
つられて顔を上げて、俺もその意味を悟った。
そこだけやや天井の高くなった円形の広場の中央に、蒼い炎を閉じ込めた氷の柱が立っていた。
炎は氷の中でも消える事無く燃え続けていて、ちらちらと揺れる光が氷に乱反射して、そこら中でハレーションを引き起こしてる。
「…神秘の炎」
眩しさに目を眇めて呟く俺に、グレンが重々しく頷いた。
「そう、これが、我が一族が守り通してきたスカルラトゥムの秘宝」
炎を内包する氷の柱の前に立った彼は、柱の表面に掌を滑らせ、感慨深げに炎を見つめて続ける。
「スカルラトゥムの生命の源にして災いの引き金――それが、この神秘の炎じゃ」
グレンの告げた言葉の孕む不吉な響きも気にかかったけれど、それ以上に彼の視線の先にある物が俺の意識を奪っていた。
蒼い炎の中心で、それだけが異質な煌めきを宿した、赤い色硝子の欠片のようなソレ。
間違いない。【赤】の石版だ。
それに気づいたんだろう。
神秘の炎から目を逸らさないまま、グレンが俺達に問いを投げかける。
「おまえさん達が求めとるのは、この石版じゃな?」
その口調は、質問というよりは確認に近いものだった。
一定しない光に照らされる彫りの深い顔からは何の表情も読み取れなくて、その事が何故だか言いようのない不安を呼び起こす。
そして、その不安は的中した。
「じゃが、神秘の炎を護るのが儂の役目でな」
穏やかな調子でそう言いながら、グレンがゆったりとした動きで振り返る。
俺達を見据える彼のカッパーの瞳は、今や燠火のように赤々と燃え立っていた。
「悪いが、炎を封印から解き放つわけにはいかん」
樫の杖を握る彼の腕に、すぅっと力が込められる。
「石版を手に入れたければ、儂を斃せ」
「バカな!」
よりによってグレンがこのステージのラスボスだってのか!?
呆然とする俺を他所に、グレンは容赦なくレイへと撃ちかかった。
咄嗟に間に入って剣を構えたものの、突き出され振り下ろされる杖を或いは受け止め、或いは払い退けるのが精一杯で、防戦一方に追い込まれる。
何度目かに互いの武器を合わせた拍子に、グレンは挑発的にこう言い放った。
「どうした?本気で攻めてこねば命を落とすぞ!」
そんなコトは、言われるまでもなく百も承知してる。
それでも攻撃に転じる事が出来ないのは、彼を斬る覚悟が決められないからだ。
グレンは、手加減して戦える相手じゃない。
年に似合わぬ剛力、冴え渡った技量、高潔な精神の在り様、何れをとってもステージの取りを飾るに相応しい強敵だ。
今の俺のレベルじゃ、せいぜい全力で当たってどうにか勝てるってとこだろう。
でも、剣を武器とする俺が本気で攻撃するって事は、相手の命を奪う事を意味するのだ。
魔物の類ではない人間、それも尊敬に値する志を抱く命の恩人に当たる人物を殺せと言われてはいそうですかと従えるほど、俺は良くも悪くも達観してない。
迷いを捨てきれず攻めあぐねる俺の弱さを嘲笑うかのように、グレンが問う。
「石版を集めて、道を拓くのではないのか?」
彼の問いに無意識に答えを求めた瞬間、俺はふっと意識が醒めるのを感じた。
そうだ。俺は、俺達は、この狂ったゲームを終わらせなきゃいけない。
此処まで犠牲にしてきた人達に応える為にも、この期に及んで泣き言を口にするわけにはいかないんだ。
レイもまた、同じ事を感じたのだろうか。
それまで戦闘に参加していなかったレイが、躊躇いを振り切って剣を構え直した俺の腕をやんわりと押し留めると、神秘の炎の前に立ちはだかるグレンの方に1歩足を踏み出した。
「レイ?」
戸惑いがちに呼びかける俺には応えず、レイは手にした飛刀に何やら魔法をかける。
それが司祭クラスの神聖魔法のひとつ、祝福と浄化の呪文だと気づくより早く、彼女はグレンに向かって飛刀を投げつけた。
元より物理攻撃型じゃないレイの一撃は、グレンに易々と躱わされる。
だが、それはレイが張った罠に過ぎなかった。
ひゅんひゅんと飛び交う刀先に気を取られていたグレンは、そこに結ばれた糸が網の目のように彼を取り囲んでいっているのに気づけない。
飛刀を避けた拍子に張り巡らされた糸に触れたグレンの膚が、じゅっと煙を上げて焼け落ちた。
「…気づいておったか」
思わず目を瞠る俺とは対照的に静かに口を開いたグレンに、レイは淡々と答える。
「あなたの傷口からは、微かに屍臭が漂っていた」
灼け爛れたグレンの傷からは、まったく血が流れなかった。
ここまで来て、俺はようやくレイの攻撃の意図に思い至る。
先刻、グレンが治癒魔法を拒んだ訳にも。
彼の身体は、生きた人間のものではなかったのだ。
「死人祓いの神聖魔法まで使うか…」
静かに独り呟いたグレンの頬に、疲労の翳と共に弱々しい笑みが浮かぶ。
そうして、彼はレイを見つめて意外な言葉を唇に上らせた。
「さすがは古代魔導王国王家の末裔」と。