ラテリシウス
―大地の民―

 
 山間を縫って緩やかな傾斜を描く参道を徒歩で進む。
 先に立って歩くサキはカカゼオを牽いているけど、俺が乗って来た馬は麓の草原に放してきた。
 聖地に対する配慮云々以前に、馬の方が二の足を踏んで入り口から先に進む事を拒んだのだ。
 敏感な動物と言われる馬を怯えさせるくらいにはヤバイ何かが、この道の先に存在するって事だ。これから起こるだろうあんまり楽しくない事態が容易に想像できて、非常に気に喰わない。
 だいたい、聖地とか神域とか呼ばれる土地の正体は、大まかに2つの種類に分けられる。
 ひとつは、そこで行われた偉業や奇跡の記念として遺されたもの。
 そしてもうひとつは、何らかの事物を封じ、或いは人々から遠ざける為の禁域として設けられたもの。
 破魔の磐戸がどちらに属するかは解らない。
 神を祀ってるのか封じてるのかで意味合いが大分違ってくるけど、この分だとどうやら後者の可能性が高そうだった。
 まぁ、魔物の類も恐れを生して近づいて来ないみたいだから、好都合といえば好都合だけど。
 参道の左右には馬鹿馬鹿しいほどの高さの――何しろ20メートル近い――大理石の柱が規則正しく配されていて、嫌が応でも厳粛な気分にさせられる。
 誰が、何の為に造ったのか…そもそも、これだけ巨大な石を何処からどうやって運んで来たのかからして、皆目見当もつかない。
 石柱の材質は、この辺で見られる岩石のものとは明らかに違うのだ。
 宗教的情熱の賜物か、権勢欲の権化か、とにかく目にした者にある種の感銘を与えるという意味でなら、製作者の意図は充分成功していた。
 少なくとも、どちらにも共感を覚えない俺でさえ、こうして圧倒されてるんだから。
 ひとつひとつの柱の根元と頂には、鎌首を擡げ爪と皮膜からなる翼を広げた蛇の彫刻が飾られている。
 これが、ラテリシウスを護る「眠れる神」の姿なんだろうか…。
 そんな事を考えながらぼんやりと坂道を登り続けてた俺は、危うくカカゼオの尻にぶつかりそうになって我に返った。
 「着いたぞ」
 いつの間にか立ち止まってこちらを振り返っていたサキが、誇らしげに目の前の眺めを指し示す。
 「此処が我が一族の聖地、破魔の磐戸だ」
 其処は参道の脇に並んでいたのと同じ石柱に囲まれた円形の広場になっていた。
 その一番奥の、山肌を背にした場所に2枚合わせの巨大な石の扉が建てられている。
 これが、破魔の磐戸の本体だった。
 どんな製法を用いたのか、岩壁そのもののような大きさの扉の表面はつるつるに磨き上げられていて、瑕ひとつ見られない。
 柱と同じ大理石製でも色が黒いせいで鏡のように見えるのが、神秘的なのを通り越して不気味なくらいだ。
 でも、この景色を見慣れているサキは、恐れも畏れもなく広場へと足を踏み入れる。
 「本来なら、余所者をこの地に招く事も扉に触れる事も禁じられているんだが、巫女並みの力を持つレイなら構わないだろう」
 そう言って悪戯っぽく笑う彼女は、禁忌を犯す事にさえ頓着する様子がない。
 「で、レイが探しているっていう鍵の石版とやらはどんな物なんだ?」
 胸に去来する危惧に気を取られていた所為もあって、俺はサキのその問いに咄嗟に答える事が出来なかった。
 サキが一族の宝として石版を持ってる可能性も捨てきれないから、ちょっと躊躇いがあったってのもあるけど。
 だが、レイは預けておいた立方体(キューブ)を取り出すと、あっさりとそれをサキに見せて石版の特徴を告げた。
 幸い、サキは立方体(キューブ)を見ても特別な反応は示さなかったけど、もし彼女に心当たりがあったらどうするつもりなんだ?
 何か考えがあっての事なんだろうか…レイの頭の中も結構謎だ。
 内心頭を抱える俺を他所に、きょろきょろと辺りを見回していたサキが不意に声を上げた。
 「ひょっとしてこれの事か?」
 見ると、固く閉ざされた磐戸の中央、2枚の扉が合わさった場所に窪みがあって、正方形の茶色い石版が嵌っている。
 「あぁ、たぶんそんな感じ」
 俺は軽い気持ちで頷きながら扉に目をやった。
 石版はしっかりと窪みに埋め込まれている――まるで扉を封印するみたいに。
 「ちょっと待った!」
 脳裏に浮かんだイメージの意味するところに血の気が引く思いがして、俺は思わずそう叫んでいた。
 だが、制止の声は、残念ながら間に合わなかった。
 「どうした?」
 顔だけはこちらを振り返りつつ、サキは扉から石版を外してしまう。
 「あぁっ!」
 悲鳴じみた声を上げる俺を見つめて、サキは不思議そうに首を傾げた。
 「ほら。何をそれほど恐れる必要がある?」
 しん、と広場を支配する静寂。
 異変の起きた形跡はない。その兆候も。
 「何って…」
 差し出された石版を受け取りながら、何でもない事のように言われた俺は思いっきり脱力した。
 半透明の小さな石版は、立方体(キューブ)の茶色の相にぴったりと収まる。
 「ふうん、それが鍵か」
 好奇心に瞳を輝かせて手元を覗き込んでくるサキを見てるうちに、ひとりで気を張っていたのが何だかバカみたいに思えてきて知らず知らずの内に苦笑が零れた。
 けれど、次の瞬間、ぞくりと背筋を這い上がる感触に、とてつもない恐怖が蘇る。
 嫌な予感がする…物凄く壮絶に嫌な予感がする!
 「サキ!」
 弾かれたようにはっと顔を上げたレイの視線の先、サキの背後で巨大な磐戸が音もなく開き始める。
 扉の向こうに広がる荒廃した空間。シューシューと空気の漏れる音。うねるようにのたうつ長い影。
 隙間から溢れ出る瘴気に触れた名もない草が、見る間に石と化していく。
 「バシリスク!!」
 その光景を目にした瞬間、今度こそ俺は本気で悲鳴を上げた。