ラテリシウス
―大地の民―

 
 「どうした、腰でも抜かしたか?」
 地面に座り込んだままぽかんと間抜け面を晒してる俺に、勇敢な馬上の姫君は笑みの混じった声を投げかける。
 「情けない護衛殿だな。そっちのお嬢ちゃんの方がよっぽどしっかりしてるじゃないか」
 …いや、だって、つい今しがたまでジャッカルの死骸の下敷きになってたし。
 俺が内心そう思いつつも反論できずにいると、周りの兵士達が助け舟を装ってやいのやいのと口を挿んできた。
 「仕方ありませぬよ。当世は、女性も逞しくなっておりますからな」
 「そうそう、何処ぞの誰かのように」
 「けして我ら男が軟弱になったわけではございませぬぞ」
 「どーゆー意味だ?」
 うんうん、としたり顔で頷きあう男達をじろりと一睨みして、サキは怖い顔で凄んでみせる。
 それでも、やっぱり声には笑いが含まれてるし、男達の方でもその辺は心得ているから険悪なムードにはならなかった。
 姫様なんて呼ばれてる割に気さくで気取らないサキの人柄もあるんだろう、彼等の間に良好な関係が築かれてるのが解る。
 それにしても、せっかくなかなか可愛い顔をしてるのにここまで言葉遣いが荒っぽいのはちょっといただけない気もするけど。
 「それにしても、良くそんな軽装でこの地を訪れる気になったものだな」
 ひとしきり仲間達と戯れ合っていたサキが、こちらを振り向いてしみじみと呟く。
 「街道を使う隊商だって、この辺りではもうちょっとマシな武装をしてるものだぞ?」
 確かに、何処の令嬢だって感じのゴスロリの女の子とせいぜいが都会の盗賊といった程度の装備の兄ちゃんが2人きりで旅するような場所じゃないよな。
 荷物だって、野営の準備ひとつしてないし。
 「まぁ良いか。今夜は私達の居住地に泊まると良い。たいしたもてなしは出来ないが、雨露は凌げるからな」
 だから、サキのその申し出はまさに渡りに船だった。
 何しろ、【茶】のステージにアクセスしてすぐ無人の丘陵地帯に放り出されたおかげで、情報収集はおろか冒険の準備だって何ひとつ出来てないのだ。
 俺達は、サキの好意に甘えることにした。



 俺達が案内されたのは、幾つもの天幕が集まって出来た集落だった。
 天幕といっても俄か造りの掘っ立て小屋紛いの物じゃなくて、恒常的な生活に充分耐え得る機能性と荒削りな芸術性を兼ね備えた立派な住居だ。
 柱にはひとつひとつ彫刻と彩色が施され、原材料の毛皮に滲み込んだ油のおかげで高い撥水性を誇る毛織物の幕布には美しい模様が織り込まれている。
 特に、サキが寝泊りする天幕は面積も広く、支柱と支柱の間に布を張り巡らせて幾つかの部屋に仕切られているという凝り様だった。
 これでいて、いざ移動となれば半日もかからず解体して持ち運べるというのだから感心するしかない。
 昼間の戦いぶりからしててっきり狩猟系の騎馬民族なのかと思っていたけど、ラテリシウスの民は羊と馬の放牧を主な生業とする遊牧系騎馬民族らしい。
 夏の間は牧草地を求めて高原を転々とし、冬になると雪を避けて麓の村へと下りて行って、毛織物や酪農製品を売って生活の糧を得る。
 サキが率いていた軽騎兵は、魔物化した野獣の襲撃や略奪行為を働く山賊の類から家畜や民を守る為に必要に駆られて組織された自警団が基になっているんだそうだ。
 さすがに遊牧の民らしく、夕食に饗されたチーズや乳酒は素朴な味ながら存分に舌を愉しませてくれた。



 夕食を終えた俺達は、物珍しさを装って集落の中を歩き回っていた。
 今のところ、このステージの鍵の在り処についての情報はないが、サキが名実ともにラテリシウスのお姫様なら、一族の宝とかいう名目で手許においている可能性がある。
 そうでなくても、何らかの伝承くらい耳にしてるかもしれない。
 とにかく、1度サキから話を聞いておく必要がある。
 お宝探索を兼ねて探し回っていた彼女の姿は、集落の外れにある厩で見つかった。
 「良い馬だな」
 愛馬の首筋に顔を埋めるようにして1日の労を労うサキの背中に、お世辞でなくそう声をかける。
 実際、彼女の愛馬は他のどの馬よりも速く、どの馬よりも美しく大地を駆けた。
 「カカゼオは天馬の血を引いているからな」
 心からの俺の賛辞に、サキは愛しげな手つきでカカゼオという名の愛馬の鬣を撫でてやりながら誇らしげに微笑む。
 「でも、私がカカゼオを愛するのは彼の血の為ではない。カカゼオとは物心ついた時から常に共に在った。父も母も早くに亡くした私にとって唯一の肉親のようなものだ」
 予想外の告白にどう応えて良いか解らずに困惑する俺とは裏腹に、サキはあっさりと話題を変える。
 「そういえば、おまえ達がこの国を訪れた目的を訊いていなかったな」
 まさか国に伝わる秘宝かもしれない品を奪いに来たとは言えずに――この時点で、此処がゲームの中だって事をすっかり失念してた――俺はう、と言葉に詰まってしまった。
 だが、レイは涼しい顔で尤もらしい口実を口にする。
 「私は、我が故国への道標となる「鍵」の石版を探しているの」
 咄嗟の言い訳にしては出来過ぎの感があって、俺は思わずレイの顔を覗き込んでしまった。
 まぁ、「鍵」を揃えてゲームをクリアすれば元の世界に戻れる訳だからあながち嘘じゃないんだけど、レイの言葉には何となくそれ以上の含みがあるような気がしたのだ。
 幸い、サキは自分の記憶を辿るのに集中してたおかげで俺の顔色までは見てなかったらしい。
 「ふーん、鍵の石版ねぇ。この国にあるのは間違いないのか?」
 問われてレイが頷くと、うーんと眉間に皺を寄せて考え込む。
 この分だと、空惚けてる訳じゃなくって本当に何も知らないんだろう。
 そう推測して、がっかりする反面ちょっぴり安堵していると、サキがこんな事を言い出した。
 「生憎心当たりはないけど、破魔の磐戸に行けば手がかりくらいは見つけられるかもしれないな」
 「破魔の磐戸?」
 そんな地名は地図には載ってなかった筈だけど?
 俺の脳裏を、一抹の不安と疑問が過ぎる。
 案の定、続くサキの台詞は見事にそれを裏付けるものだった。
 「我が一族の聖地だ。うまい具合に此処からならそう遠くない。2、3日待てるなら連れて行ってやろう」
 2、3日か…俺はサキが提示した日数と「聖地」という言葉に逡巡する。
 ゲーム中の時間の経過が現実の時間と同じとは限らないけど、クリアは早ければ早い方が良い。
 でも、聖地といわれるような場所に部外者が勝手に足を踏み入れると、いらぬ争いを招く恐れがある。
 返答に迷う俺の心を見透かしたように、サキはこちらの痛いところを突いてくる。
 「言っておくが、仮にも聖地とされる場所だ。外つ国の者が案内もなしに辿り着くのは容易ではないぞ」
 何となくイヤな予感があったけど、その場はサキの提案を受け入れるのが最善の方法に思えた。