ラテリシウス
―大地の民―

 
 周囲を取り囲む黄色く濁った眼、じりじりと迫り来る狂犬じみた息遣い。
 「くっそー、キリがないな。こいつら何処から湧いて来やがるんだ!?」
 荒い息の下、苛々と呟く俺に背後からレイが冷静な指摘を挿む。
 「ジャッカルは蟲じゃないから沸いて来たりはしないと思うけど?」
 …いや、だからそーゆー問題じゃなくってな。
 がっくりと脱力した俺は、半ば自棄気味な気分で目の前に屯する魔物の群れに向き直った。
 現在地は【茶】のステージの序盤、頂上に残雪を戴く山々の麓に広がる緩やかな丘陵地帯だ。
 草原と呼ぶには荒れて地面が剥き出しになったところが目に付く大地には、見渡す限り遮蔽物らしきものは見られない。つまり、身を隠す場所も背後の安全を確保する術もないって事だ。
 こういう環境で、群れで行動するタイプの敵に遭遇したのは運が悪かった。
 次から次へと向かって来る敵を片っ端から切り伏せてはいるものの、如何せん多勢に無勢ってのはどうしようもない。
 同時に何匹かに飛び掛られるとさすがに全部は躱しきれないから、必然的に多少の傷は負う事になる。
 初めは攻撃に参加してたレイは、途中からすっかり治癒魔法に専念していた。
 しかも、精神力や魔力をかなり消耗してるらしく、先刻から胸元を押さえて随分辛そうにしてる。
 そもそも、彼女の能力値は長期戦向きじゃないしな。
 俺の方も、常に360度全方向に気を配り続けてるおかげで集中力も落ちてきてるし、剣を持つ腕も大分重くなってきていた。
 これ以上戦闘が長引けば、明らかにこっちが不利だ。
 ここは一時的に回復を諦めてでも、大きな魔法で一気に片をつけた方が良いのかもしれない。
 そうレイに告げようと僅かに視線を動かした隙を、相手は見逃さなかった。
 「アルっ!!」
 珍しく切羽詰ったレイの声と共にタンッと地を蹴る音がして、強暴な牙を剥き出しにしたジャッカルが俺の首筋めがけて飛び掛ってくる。
 咄嗟に眼前に翳した剣を咬ませる事でどうにか最初の一撃は防いだものの、敵は見事な連携で波状攻撃を仕掛けてきた。
 思いの外強靭な顎に剣を取られて動きを制限されてるところに2匹目が体ごとぶつかって来て、俺はその場に仰向けに倒れ込む。
 レイが放った炎に怯んでそれ以上近寄ってくるヤツはいなかったけど、状況は最悪だった。
 2m近い巨体に組み敷かれ、両腕と太腿を頑強な四肢で押さえ込まれて、身動きの取れない体がぎしぎしと軋む。
 レイの援護は期待できない。彼女自身も、かなりやばい状態な筈だ。
 絶体絶命の大ピンチ。
 生臭い息を吐き、涎を滴らせる大顎が迫る恐怖に耐えられず、ぎゅっと目を瞑って顔を背ける。
 殺られる!と思ったその時、鈍い衝撃と共に不意に手足の拘束が緩んだ。
 次いで、毛むくじゃらの肉塊がぐったりと胸に倒れ込んでくる。
 何が何だか解らないままに顔を上げた俺は、絶命したジャッカルの身体越しに褐色の風を見た。
 天馬も斯くや、という速さで丘を駆け下りてきた栗毛の馬が、俺達と敵との間に立ちはだかる。
 魔物を威嚇するように高々と前脚を掲げて立つ馬の背に跨っているのは、レザーアーマーに身を包んだ十代半ばの少女だった。
 「おまえ達、誰の許しを得てラテリシウスの地に足を踏み入れたか?」
 通りの良い凛とした響きの声からは、他者に命じる事に慣れた者の尊大さとそれを相応しいと思わせるだけの気高さが感じ取れる。
 「腐肉漁りの獣風情が我が国の土を穢す事、断じて赦すまじ!」
 一声そう叫ぶと、少女は長柄の斧を振りかざしてジャッカルの群れに飛び込んでいった。
 耳の下で切り揃えた栗色の髪を風に靡かせて馬を駆り魔物を狩る様は、なかなかに勇ましい。
 見れば、俺の上に圧し掛かるジャッカルの背にも彼女が投げつけたらしい投擲用の小型の斧が突き刺さっている。
 どうやら、彼女が俺の救い主らしい、んだけど…。
 「…この世界では、初対面の人間に矢だの斧だのを放つって決まりでもあるのか?」
 助けてもらっておいて何だけど、俺は頬を引き攣らせて独りそうごちた。
 前のステージのガランサスといい、この少女といい、いくらこっちを助ける為とはいえ出会い頭に飛び道具を向けるのはどうかと思うぞ?
 そうこうするうちに、大地を揺るがす足音と舞い上がる土煙とを引き連れて騎馬の一群が近づいて来た。
 「姫!」
 「サキ様!」
 「姫様!」
 「遅いぞ!」
 口々に呼びかけるむくつけき男達に、馬上の少女は高らかに笑いかける。
 手に手に槍や斧を持つ彼等の活躍で、程なくして俺達を取り囲んでいたジャッカルの群れは殲滅された。
 「他愛もない」
 無残な敵の有様を鼻で笑って、少女は俺達の方へと馬首を廻らせる。
 それに合わせて、男達は統率の取れた動きで各々の馬を操って遠巻きに俺達を包囲する円陣を組んだ。
 魔物じゃないとは言っても、彼等からすれば部外者である事に変わりはないわけで、包囲網の威圧感と相俟ってこちらとしてはちょっとした緊張を強いられる。
 だが、馬上から俺達を見下ろした少女は、屈託のない笑顔でこちらへと手を差し伸べてきた。
 「ようこそ、大地の民の国ラテリシウスへ!」