アクィラス
―古の魔導王国―


 長い間使っていなかった関節を無理矢理動かそうとするような痛覚に訴える軋轢音と共に、闇の中で何かが目を醒ます。
 邪悪な気配は感じない。
 感じない、けど…。
 「…何だか、すっげぇヤな予感がすんだけど…」
 とっくの昔に滅びた国の、それもこんな地下深くに息づく生き物ってだけで、充分警戒には値する。
 しかも、肌が粟立つ程のこの殺気!
 「来る!」
 短く警告を発する零姫を護る位置に立って、俺は剣を抜き放った。
 同時に、零姫が軽く手を振るって壁に掛けられたランプに明かりを灯す。
 「ガーゴイルか!!」
 ゆらゆらと揺らめく炎が映し出した幾つものシルエットは、教会や神殿でお馴染みの魔除けの置物に酷似していた。
 凶暴化した蜥蜴みたいな兇悪なご面相に蝙蝠じみた皮膜の翼。どう見ても魔物って感じだけど、これで魔除けだって言うんだからソッチの世界ってのは理解に苦しむ。
 ひょっとして、同族嫌悪ってヤツか?
 …まぁ、この際見た目はどーでも良いんだけど。
 問題は、こいつらがただの飾り物じゃないって事だ。
 手に手に槍や剣を持ち、真直ぐこちらを目指して飛び掛ってくる彼等は、平時には石像と化して通路を見張り、いざ事が起きれば息を吹き返して戦う魔法生命体だった。
 何とも魔導王国らしい仕掛けではあるけど、こんな歓迎は出来れば丁重にお断りしたい。
 中空から振り下ろされた一撃を剣の鍔で受け止めて、俺は零姫を振り返る。
 「何だって王宮を護る筈のこいつらが王族の零姫まで攻撃して来るんだよ!?」
 まさか、このくらい倒せなきゃ王宮に入る資格はない、なんてコトじゃあるまいし。
 これまでどんな場面に直面してもほとんど動揺する事のなかった零姫は、今回もまた冷静に状況を説明するに止まった。
 「彼等は、最後に出された命令に忠実に従ってるに過ぎないわ」
 「命令?」
 鸚鵡返しに訊き返す俺に、零姫は手首を翻して飛刀を投げつけながら端的に答える。
 「「侵入者を排除せよ」」
 彼女の投げた飛刀が俺の間近に迫っていたガーゴイルの翼を貫き、金属製の糸が絡めとった腕を切り落とすのを目にしつつ、俺は咄嗟に計算を巡らせた。
 ガーゴイルに相手を判別する能力が与えられていなかったのか、それとも此処に足を踏み入れる者すべてが敵ってくらい追い詰められた状況だったのか…どちらにしても、有り難くない話には違いない。
 零姫との契約は、彼女をアクィラスに連れて来る事。一応、その義務は果たし終えてる。
 でも。
 「しょーがねぇっ、強行突破だ!」
 力一杯剣を振り抜いて目の前の相手を斬り伏せて、俺は敵が待ち受ける廊下へと突っ込んだ。
 途端に群がって来た何体かを炎の壁で足止めして、零姫が後に続く。
 廊下の両側から次々と襲い掛かってくるガーゴイルを、或いは風刃で翼を切り裂き、或いは氷雪魔法で氷漬けにしたところを叩き斬って、俺達は玉座のある王の間へと続く廊下を駆け抜けた。
 今の俺達のレベルなら一体一体は苦戦するような相手じゃないけど、何しろ半端じゃない数で向かって来るもんだから文字通り血路を開くって勢いになる。
 それにしても…と、零姫をちらっと横目で見ながら俺は考えた。
 こんな風に捜し求めて来た故国から拒まれるような仕打ちを受けて、零姫はどんな気持ちなんだろう。
 いくら相手の方から情け容赦のない攻撃を仕掛けて来てるとはいっても、それを一切手加減せずに撃退してのける零姫の心情を量る事は出来ない。
 在りし日の王宮の様子に焦がれる想いとかご先祖様の遺産を傷つける事への躊躇いとか、そういった諸々の感情を、彼女はその小さな身体の奥底に完全に隠し切ってしまうのだ。
 そうして非情になりきる事が王族に課せられた務めなのだとしたら、哀しい生き方だと思う。
 「これで全部か?」
 幾つも角を曲がり、その都度現れるガーゴイルを殲滅しながらようやく辿り着いた王の間を前に一旦足を止めて、俺は呼吸を整えつつ辺りを見渡す。
 王に拝謁する者が控える場として作られたのか、扉の前にはかなり広い空間があって、俺達が立っているのは丁度その広間の入り口に当たる部分だった。
 「まだよ」
 さすがに肩で息をしながらも、零姫が天井高く吊るされたシャンデリアに灯を点ける。
 広間を皓々と照らす光がそれでも尚届かない広間の片隅、黒い壁に溶け込むようにとぐろを巻く闇の中に、ソレはいた。
 「あれが、アクィラスの技術の粋を集めて生み出された、玉座を護る最強のガーディアン」
 ごつごつとした無骨な巨体をゆっくりと起こすソレの動きを真直ぐ見据えて、零姫が低く告げる。
 「護法機人、ゴーレム」
 口に出されたその名前に、俺は思わず目を閉じて天を仰いだ。