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リヴェレ
―光と水の郷―
割れた竜玉の欠片の中から【青】の石版を拾い上げる。
それと同時に、ぴきぴきと妙に不安定な音が足元から聞こえてきた。
「げっ!」
嫌な予感を抱きつつ視線を落として、そこに見出したモノに思わず呻き声が漏れる。
龍神の体が、泉に触れた部分から透き通りつつあった。
しかも、その体表に細かな罅が走って、端から砕け始めている。
慌てて飛び降りた俺の背後で、氷の彫像と化した龍神は敢え無く崩れ落ちた。
しゃらしゃらと音を立てて氷の破片が降り注ぐ様はなかなかに壮観で、俺は思わず状況も忘れて見惚れてしまう。
だが、それも切羽詰ったマリアの声を聞くまでの事だった。
「レイ!」
振り返った俺の視線の先で、レイの身体がぐらりと傾ぐ。
間一髪で駆け寄って抱き止めた彼女の顔からは完全に血の気が失せていた。
龍神を凍らせる大きな魔法の直後に重傷の俺を一瞬で癒すなんて無茶を重ねた所為だ。
ぐったりと力の抜けたレイを抱えてなす術もなく立ち尽くす俺の傍に、マリアがゆったりとした足取りで歩み寄る。
マリアは、ほんの少し呆れたような、それでいて慈愛に満ちた表情でレイを見下ろして口を開いた。
「仕様のない子ね。まったく、少しは自分の身を惜しみなさいな」
彼女が翳した掌から、水の気配を宿した温かな波動が注がれる。
蒼褪めていたレイの頬に生気が戻るのを確認して、俺はようやく落ち着きを取り戻した。
「しっかし、水神が「水」で出来てるとはなぁ」
石版を立方体(キューブ)に嵌め込みながら、氷の融けた泉を覗き込む。
「で?どーすんだ?とりあえず水神の子供を身代わりに立てるか?」
「そうね」
レイの治療を終えたマリアは、俺の隣までやって来て中空に腕を差し伸べた。
その指の先に、水の皮膜に覆われた球体が現れる。
ふわふわと宙に浮かぶ球体の中では、マリアと同じ色の髪をした赤ん坊が身体を丸くしてすやすやと眠っていた。
「作りモノ」の我が子の安らかな寝顔を眺めていたマリアが、やがてぽつりと呟く。
「…あたしの負けよ。この子を、水神の代わりには出来ない」
「何言ってんだよ!?コレがシステムの罠だって解ってんだろ!?」
マリアと水神の子供はNPCだ。
自分の意志で動けない嬰児をキャラクターに選ぶプレイヤーなんているワケがない。
それは、彼女も承知してる筈だった。承知していて、切り札にするつもりだった筈だ。
それなのに、この期に及んでそんな事を言い出すマリアが理解できずに、俺は彼女に詰め寄る。
「それでも」
俺の剣幕にも気圧される事無く、マリアは笑みさえ浮かべてこう応えた。
「あたしも「母親」だったってコトね」
その表情があまりに穏やかで、俺は何も言えなくなる。
マリアは、俺の隣を離れるとレイの許まで歩いて行った。
「あたしはリヴェレを護る為に此処で眠りに就くわ」
彼女が何でもない事のようにそう告げるのを聞いて、レイの肩が僅かに揺れる。
まるで、その言葉を最も懼れていたとでもいうように。
それは本当に小さな動きだったけど、俺もマリアも見逃しはしなかった。
「そんな顔しないで。あたしを救ってくれるんでしょ?」
岩の床に膝をついて、マリアはレイの頬を両手で包むようにして俯いた顔を上げさせる。
「あんたを信じてる。だから、何があっても諦めないで。必ず、このイカレた世界を壊して」
レイの大きな黒瞳を真直ぐ見つめて願いを口にしたマリアは、最後にほんの少しだけ瞼を伏せてこう付け加えた。
「レイには、辛い役目を押しつけちゃうけど…」
「解ってる」
弱々しく消える語尾をかき消すように、レイははっきりと頷いてみせる。
「マリアと関わると、いつだって碌な事がないもの」
半分以上は強がりだろう、それでもいつもの小憎らしいくらい落ち着いた声音で憎まれ口を叩くレイに微笑みを返して、マリアは立ち上がる。
そのままの足で泉に向かった彼女は、すれ違いざま俺の耳許にそっと囁いた。
「レイを頼むわね」
その台詞の意味を図りかねた俺は、咄嗟に歩み去るマリアを振り返る。
だが、マリアが俺を顧みる事はなかった。
これまでのステージと同じように視界が歪み、景色が滲んで溶けていく。
俺達がリヴェレで最後に目にしたのは、泉の中に緑の金髪を広げて横たわるマリアの満足げな笑顔だった。
虚空に浮かぶレイの小さな背中を、俺は黙って見つめる。
どんな時にも迷いを見せずに凛と立っていた後姿が、今は酷く頼りなげに思えた。
いつだったか、俺は彼女に疑惑の念をぶつけた事を思い出す。
石版を失えばその世界は崩壊する――それを防ぐ為には相応の犠牲を払わなければならないって事を最初から知っていたんじゃないかと、俺は詰るように問いかけた。
確かに、レイは途中からその事に気づいてたんだと思う。
気づいていて、それでも毅然とした態度で闘いを挑み続けてたんだ。
それは、どれほどの痛みと覚悟を彼女に強いてきたんだろう。
レイだって、けして傷ついていないわけじゃなかったのに。
「…行こう、レイ」
光を失った【青】の壁の前にひっそりと佇むレイに、俺は静かに声をかける。
「この狂った世界に、終止符を打つ為に」
レイは、悼みを振り切るように天を仰いで瞳を閉じた。
それから、一言も口を利く事のないまま踵を返す。
立方体(キューブ)の壁面を構成するステージは残り1つ。その後には、無彩色の天地が待ち受けてる。
俺達は、赤く光る壁の向こうに足を踏み入れた。