リヴェレ
―光と水の郷―


 ひんやりとした洞窟を、マリアの後に続いて進む。
 場所は浄水宮の地下。水神へと詣でる秘密の通路だ。
 此処には、水の気配が溢れている。
 ひたひたと壁を伝う雫、反響するせせらぎの音色…清浄な大気さえしっとりと濡れて俺達を包み込む。
 地下洞窟なんてシチュエーションのわりに、辺りは仄明るい。
 これは通路を構築してる蓄光性の高い岩壁が、先を行くマリアが手にした燈篭の僅かな灯りを受けていつまでも柔らかな光を放ち続ける為だ。
 「光と水の郷」リヴェレの隠された、そして真実の姿が此処に在る。
 確かに、水神が住まうに相応しい、神秘の在り処だ。
 この場所で、水神がリヴェレの石版を守っているのだとマリアは言った。
 その事を知っているのは、浄水宮に出入りが許される一握りの人間だけなんだとも。
 本人はついうっかり巫女姫に担ぎ上げられた、なんて嘯いてるけど、本当は俺達みたいにゲームクリアを目指す同志の導き手として敢えてこの場に留まってるのかもしれない。
 そういう戦い方もあるのだと行動で語れる程度には、マリアは大人の女性だと思えた。
 その彼女が、歩みを止めて俺達を振り返る。
 「着いたわよ」
 彼女が指し示す先で、洞窟は行き止まりになっていた。
 ちょっとした広間を思わせる空間の一番奥に滾々と湧き出る泉があって、やたらと長大な生き物が溢れ出す清流に半身を浸している。
 「…うっそだろぉ…」
 その生き物は、竜と呼ばれる神獣だった。
 竜と言っても恐竜に翼が生えたような西洋ドラゴンじゃなくて、水を司るとされる東洋の龍神だ。
 年経りし古木を思わせる角に威厳のある口髭、虹色の光沢を持つ鱗は鋼より硬く、しなやかな尾の一撃は容易く岩をも砕く破壊力を秘めている。
 しかも、その大きさが半端じゃない。
 何しろ、顎ひとつとってもそれなりに上背のある俺があっさり丸呑みされそうなサイズなのだ。
 できれば…っていうか、たとえ冗談でも絶対敵に回したくない相手だった。
 だが、願いも空しく、俺の優秀な目は前脚に握られた所謂竜玉とやらの中にきらりと青く瞬く欠片があるのを見て取ってしまう。
 「…神殺しはヤバくねぇ?」
 「あら、大丈夫よ」
 無駄と知りつつ何とか戦闘を回避する手立てはないものかとおずおずとお伺いを立ててみたりする俺に、マリアはにっこりと微笑んだ。
 「一応跡継ぎはいるんだし、安心して存分に戦ってらっしゃいな」
 ひらひらと気軽に手なんて振ってみせる彼女の言葉に反応して、龍神の金色の眼が俄かに険を帯びる。
 ここは、【青】のステージに入ってから戦闘がなかった分のつけだと思って諦めるしかないらしい。
 とはいえ、これだけ大きさの違う相手を正攻法で攻略できるとはさすがに思えない。
 こちらを見据える龍神の視線にじりじりと気圧されながらも、俺は必死に頭を巡らせた。
 「ええっと、水棲系ってコトは、雷の魔法に弱かったり――」
 ようやく思いついた妙案を言い終えるより早く、俺の足元にビシャッと雷光が叩きつけられる。
 「――しないワケね」
 そう言えば、昔話の中の怒れる龍神は黒雲を呼び嵐を巻き起こしたりもしてたっけ。
 これはもう、はは、と力なく笑うしかない。
 「しゃあない、肉弾戦だ!」
 覚悟を決めたというよりはただ単に居直った勢いでレイに援護を任せて、俺は龍神へと斬りかかった。
 不遜にも神に挑みかかろうという人間に、龍神は本格的に敵意を見せる。
 大きく吐きかけられた炎熱の息は、レイの張った障壁が防いだ。
 次いで、前脚を薙いだ勢いで生じた衝撃波も彼女の魔法が相殺する。
 鋭く閃く爪をかいくぐり、見事接近戦に持ち込んだ俺は、龍神の身体に力一杯剣を振り下ろした。
 しかし、キン、と高い音がして、必殺の気合を込めた刃は軽々と弾かれてしまう。
 渾身の力を跳ね返された反動で、俺は姿勢を崩した。
 其処に、龍神の尾撃が襲い掛かる。
 咄嗟に自ら飛び退いたおかげで僅かなりとも衝撃を緩和できたとはいえ、背中から岩壁に叩きつけられたのはまずかった。
 剣を支えによろよろ立ち上がりかけて、腰から背中にかけて走った激痛に敢え無くその場に沈み込む。
 上がりかかった苦鳴は、胸の痛みに呑まれて声にならなかった。
 こふっと小さく咳き込むと、口の中に血の味が広がる。
 苦しい息の下、折れた肋骨が肺を傷つけたんだろうと他人事のように考えた。
 ひょっとしたら、脊椎も痛めたかもしれない。結構シャレにならないけど。
 あぁ、でも、痛覚が生きてるうちは大丈夫かな?
 リアル過ぎる痛みさえありがたく思えるなんて、我ながら現金なものだ。
 そんな事をぼんやりと考えているうちに、俺はふと疑問を抱いた。
 レイは?彼女はどうしたんだ?
 幾らなんでも相棒の俺が瀕死の重傷を負ってるってのに治癒魔法の1つもかけてくれないほど、レイは薄情じゃない。
 考えられるのは、レイ自身が余裕のない状況に追い込まれてるって事だ。
 痛みを訴える肉体を騙し騙し首から上だけを捻って、視線を走らせる。
 レイは、俺が駆け出した時と同じ場所に立っていた。
 恐怖に竦んでるのかと思ったけど、そうじゃなくて、大きな魔法に全神経を集中してるらしい。
 雷や炎の息から身を護る為の結界さえ張らず、身動ぎひとつせずに呪文を詠唱している彼女に、怒りに駆られた龍神が襲い掛かる。
 裂帛の咆哮が放たれるのと、レイが呪文を唱えきるのとはほとんど同時だった。
 研ぎ澄まされた爪がレイの身体を引き裂こうとしたまさにその瞬間、金縛りにでも遇ったかのように龍神の動きが止まる。
 最初、何が起こったのか解らなかった俺は、ぴしぴしと罅割れるような音と共に周囲の温度が急激に下がっていくのに気づいてようやくレイの意図を理解した。
 彼女が発動したのは冷却魔法だった。
 泉の水を凍りつかせる事で水の眷属である龍神の力を奪い、あまつさえ龍神そのものの動きまで封じてのけた機転に感心する俺に、レイが鋭く声を投げかけてくる。
 「竜玉を!」
 その時になってようやく体の痛みが消えている事に気づいた俺は、言われるままに龍神の身体を駆け上った。
 そうして、渾身の力で竜玉に斬りつける。
 かしゃん、と儚い音を立てて、透明な珠が砕け散った。