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リヴェレ
―光と水の郷―
御簾の向こうから現れたのは、一見儚げかつ淑やかな印象の清雅な美女だった。
こちらを見つめる瞳の色はラベンダー。高貴の色とされる紫よりやや和らいだ色合いが女性的な印象を強める。
床にまで広がる金髪は緑の艶を帯び、緩やかに波打って白磁の肌を柔らかく包み込んでいた。
身に纏う清浄な気と線の細い体つきが、見る者の保護欲をかき立てる。
ただし、それも口を開くまでの事だった。
「あんたがこのゲームにアクセスしてるらしいって聞いてからずっと待ってたんだよ、レイ」
ちょっと斜に構えたような俗っぽい言葉回しと艶めいた声色が、その外見を尽く裏切っている。
「知り合いか?」
何となく溜息の意味を慮りつつそう尋ねた俺に、レイは複雑な表情をしてみせた。
代わりに、マリアが飄々と答えを返す。
「現実(リアル)の方でいろいろ、ね。ま、ご同類ってヤツ?」
その上で、マリアはレイの頭の天辺から足の爪先までまじまじと眺めて、感慨深げに嘆息した。
「それにしても、随分可愛らしいカッコだコト。その形はナナちゃんの入れ知恵?」
「入れ知恵って?」
実際人形みたいに愛くるしいレイのヴィジュアルについては敢えてノーコメントな方向で問い返した俺を面白がるように、マリアはくるりと瞳を動かす。
そんな子供じみた表情さえ大層魅力的だ…あんまり、人々から敬われる巫女姫らしくはないが。
「大抵のRPGには、成長期の子供は能力値の増え方が早いっていう隠し設定があってね。特に体力や力、生命力なんかは影響が大きいんだよ」
マリアの説明を聞くうちに、確かにレイの体力や生命力がゲームを始めた頃に較べたら格段に上がってる事に思い至る。
何しろ、【青】のステージに着いてからリヴェレの街に来るまでの道程を俺と同じペースで踏破したくらい…だ…。
「それを最初に証明してみせたのが、レイの妹のナナちゃんってワケ」
今更ながら体格の違うレイへの配慮の足りなさ具合に自己嫌悪に陥る俺の事はさっくりと無視して、マリアはレイに向き直る。
「で?あんたがアクセスしてるってコトは、ナナちゃんがこの件に巻き込まれたのかしら?」
軽い口調の割に真面目に心配しているらしいマリアとは対照的に、レイの答えは至って淡白だった。
「ナナは【cubic world】には参加してないわ」
「おや、「電脳の賢者」にしては珍しいコト」
その返答に安堵しつつ眉を上げて小さな驚きを表現するマリアに、レイはひっそりと微笑む。
「あの子は、勘が良い子だから」
「ふぅん」
マリアは、さりげなく妹自慢するレイに付き合う気はないとでもいうようにおざなりに相槌を打って、俺の方に興味を移した。
「で?こっちの漢前な兄ちゃんは何者なわけ?」
不意打ちで話題の主となった俺は、レイがどう答えるのかと柄にもなく緊張してみたりする。
だが、レイはこれまたあっさりとした一言で俺達の関係を片づけてのけた。
「パートナーよ」
「へぇ〜」
その上で、さっきとは打って変わって含みのある反応を示すマリアにそれ以上の発言を許さず、冷静に反問する。
「マリアは、こんなところで何をやってるの?」
すると、マリアは一転して気まずそうに視線を泳がせた。
「ん〜、いやぁ、あたしが水精系の魔法好きなの、知ってるでしょ?ゲームを始めてあちこち歩き回ってるうちに、水の魔法を極めるならリヴェレに行けってご宣託があって…」
そういえば、レイが「水の魔法」って台詞に反応してたのを思い出す。
あれは、マリアの事を思い浮かべてのことだったのか。
「それでこの街に来たら、ついうっかり巫女姫なんてモンに担ぎ上げられちゃってねぇ。メア・マリス、なんて名乗ってたのも悪かったのかもしれないけど」
「メア・マリス」という言葉がラテン語で「海」を意味するのだと知らせて遣す世話焼きなデータベースの脳内音声を聞きながらも、俺は呆れずにはいられなかった。
巫女姫なんて特殊なクラスに「ついうっかり」なるか?
胡乱な顔をする俺を尻目に、彼女の告白は続く。
「しかも、いつの間にやら水神との間に子を生した、なんてコトになってたりして」
――子を生した…って、え?えぇっ!?
「こぉら!何考えてんだい、スケベ!」
からかうようなマリアの声と同時に、混乱する俺の鼻先で小さな水球が破裂した。
少々ヤバイ想像にハマりかけてた俺の頭は、文字通り水を被る事で強制的に冷やされる。
マリアは、言うほど怒るわけでもなく状況を説明してくれた。
「そういう設定になってるだけで、実際にはある日気がついたら子持ちになってたの!まぁ、巫女姫と水神の子ってコトなら魔力も高いし、切り札にはなるだろうどね」
盛んに恐縮しつつ耳を傾けていた俺は、最後の一言に引っ掛かりを覚えてマリアを見遣る。
その辺りは、彼女も狙っての発言だったようだ。
「あたし自身は立場上此処から動けないけど、いろいろと情報は入ってくるのよ」
悪戯っぽく片目を瞑ってそう告げるマリアの表情は、なかなかに不敵で色っぽい。
「そもそも、cubic worldの6つのステージにはそれぞれ石版が隠されていて、それらは各々が強力なマジックアイテムであるのと同時にそれぞれのステージの鍵になってる。6つの石版を揃えれば――つまり6つの鍵を外せば、cubic worldは解放される。それが、このゲームの大まかなシナリオだったのよね。ところが、この世界がイカれだした頃から、新たな設定が加えられたらしい節があるのよ。曰く、鍵となる石版はその大いなる力で属する世界を支え、護っている。石版を失えば、その封じていた「何か」が属する世界そのものの崩壊を呼ぶ。世界の崩壊を防ぐには、石版の代わりに封印の「核」となる存在が必要になる、ってね」
こちらの反応を窺うように1度言葉を切ったマリアの予想外に真剣な眼差しに、俺は不覚にもドキッとしてしまう。
マリアは、俺から目を逸らさずに淡々と先を続けた。
「自分の取った行動の所為で滅びる世界を目の当たりにしたプレイヤーは、先に進む事を躊躇うようになるでしょ?たとえ何らかの犠牲を払って世界を護れたとしても罪悪感だの自責の念だのはどうしたって免れない。そうやって、【cubic world】を支配してる「何者か」は、プレイヤーからゲームクリアを目指す意志を奪ってる――どう?このゲームの異常に気づいたプレイヤーから集めた断片的な情報からの推測に過ぎないけど、たぶんそう的外れでもないんじゃないかしら」
半ば確信を持って投げかけられた問いに、俺は言葉を失う。
彼女の指摘は、心当たりのあるものばかりだったのだ。
内心酷く動揺する俺を他所に、レイは肝心な要点を確認する。
「水神の子供を「核」にするの?」
「さぁ」
本来の彼女らしい――それほど彼女の人となりを知ってるわけじゃないけど、たぶん彼女らしいんだと思う――表情と仕草で、マリアは肩を竦めて見せた。
聖なる巫女姫というよりは気の良い姐御といった感のある態度で、マリアはにこやかに口を開く。
「何にしても、あんた達はこのゲームを終わらせる為にリヴェレに来たんでしょ?せっかくこんな立場にいるんだもの、協力は惜しまないわ」