リヴェレ
―光と水の郷―


 「このような地に豊かな水の郷がある事に驚かれましたでしょう?」
 先に立って俺達を導く傍ら、案内の女性は慎ましやかな中にも誇らしさの滲む声音で街の謂れを語り聞かせる。
 「リヴェレの街は水神様の加護を受けているのです」
 実際には、この街に齎される水の恩恵は卓越した治水技術の賜物だろう。
 白い石造りの建物が集まって出来たこの城塞都市は、広い台地を幾つも重ねた「頂上の平らなピラミッド」のような外見をしている。
 …生クリームを塗りたくったデコレーションケーキを思い浮かべてもらうと解り易いかもしれない。
 正面の門から真直ぐに伸びる階段状の目抜き通りの両脇は各階層毎に巨大な貯水池が設けられた広場になっていて、そこから高低差を計算に入れて張り巡らされた水路が街の隅々まで水を運ぶ構造だった。
 もちろん、ひとつひとつが25mプール並みの大きさでしかも底が見透かせないほどの深さを持つ貯水池の水が天水で賄える筈がない。
 そこで登場するのが、途中まで俺達が歩いて来た涸れ川に築かれた石垣だ。
 あの石垣は、雨季にのみ姿を現す川の流れを堰き止める一種のダムみたいなものだった。
 上流に溜められた水は、岩壁で固められた用水路を通って、丁度俺達の辿って来たルートそのままにリヴェレの街へと流れ着く。
 用水路は最上層の貯水池に繋がっていて、そこから溢れた水が上から順番に各階層の貯水池へと注ぎ込み、最後には街を囲む濠を満たす仕組みになっているのだ。
 縦横無尽に走る水路を渡る風のおかげで街の中は思いの外涼しくて、灼けつく大地を延々歩いて来た身にはさながら楽園のように感じられた。
 しかも、街中のいたる所に露出した水面は昼は陽光を反射してきらめき、夜には月明かりを映して揺らめく。
 まさに、「光」と「水」の幽玄郷だ。
 そんな環境だから、水神の加護、なんていう発想に行き着くのも無理はないと思う。
 余所者がその地に住む人々の信仰にまで口を出すのはルール違反だ。
 タブーを犯す気がない俺は、情報収集も兼ねて話の先を促す。
 「巫女姫様ってのは?」
 そう尋ねた途端、案内人の声が一際高くなった。
 「水神様の詔を聴くのが巫女姫様のお役目。殊に、今世のメア・マリス様はご自身も水の魔法に優れ、水神様のご寵愛も篤くてあらせられますの」
 うっとりと憧憬の眼差しさえ浮かべる彼女を尻目に、レイの方を盗み見る。
 名前を聞けば何か反応を見せるかと思ったが、やっぱり聞き覚えはないらしい。
 だが、水の魔法云々のところですっとその双眸が細められたのを俺は見逃さなかった。
 腰を屈め、顔を寄せてレイの耳許に問いかけてみる。
 「何か心当たりでもあるのか?」
 「…ない事はない…かも」
 真直ぐ前を向いたまま応えるレイは、心なしか何やら難しい顔をしてるように見えた。



 ひたすら階段を上ってようやく辿り着いたのは、街の最上層より更に一段高い基壇の上に築かれた神殿のような建物だった。
 浄水宮という名前は、建物を取り囲む泉に由来するものらしい。
 不思議な事に、明らかに用水路よりも高い場所に在るにも拘らず、この泉の水はけして涸れる事がないのだという。
 蓮の葉の浮かぶ泉に架けられた橋を渡り、吹き抜けの廊下をまっすぐ進んで行くと、ちょっとした広間に突き当たる。
 どうやら、其処が巫女姫との謁見の場となっているようだった。
 中央に設けられた天蓋から下がる御簾の向こうに、やけに清らかな気配がある。
 俺達の訪ないについて先触れでも立っていたのか、御簾の前の床には毛皮の敷物が敷かれていて、ご丁寧に2人分の食事まで手配されていた。
 俺達を連れて来た女性は、広間の入り口に立ち止まると深々と腰を折って口を開く。
 「巫女姫様、レイ様をお連れしました」
 「ありがとう」
 薄い紗の御簾越しに返った声は、うら若い女性のものだった。
 声の主は、穏やかながら反駁を許さない口調で命を下す。
 「妾はこの方々と大切な話があります。触れを出すまでは何人たりとも此処に近づけぬように」
 「かしこまりました」
 再度恭しく頭を垂れた案内役の女性が去ると、広間にはしんとした静寂が降りた。
 何処からか聞こえてくるさらさらというせせらぎの音だけが辺りを包み込む。
 ややあって、御簾の向こうで巫女姫が小さく身じろいだ。
 「さて、と」
 呟く声の調子が何となく違って聞こえるのは、気のせい…ではないらしい。
 「あたしとあんたの間柄だ。堅苦しい挨拶は抜きにしましょ」
 つい今し方の慇懃さが嘘のような、婀娜っぽさを感じさせる言葉遣い。
 こちらに向かって伸ばされた繊手が、双方を隔てる御簾を払い除ける。
 「【機械誑し】のレイ。あんたなら必ず此処まで辿り着くと思ってたわ」
 「…マリア」
 莞爾と微笑む巫女姫を前に、レイは何とも言い難い表情で溜息を落とした。