■第7章■
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街頭のニュースボードから、各家庭のTVから、ダレスの暴く≪空の庭≫市の秘密が溢れ出す。
人々は誰も――子供達に取り残されて憔悴しきった親達も、ずぶ濡れの警官達さえも――呆然とした面持ちでそれに見入っていた。
魅入られていた、と言った方が正しいのかもしれない。
『夢幻水族館』でウィル達を待つマリナもまた、その中の1人だった。
突きつけられた現実は確かにショッキングなもので、けれどマリナは不思議と凪いだ心でそれを受け止める。
【aquarium】というプログラムの名前は水に惹かれる子供達に相応しい。そんな事を思いながら、マリナは更なる真実を求めてTVを見つめ続けた。
ネットワーク上に新たに出現した領域にカイリ達の成功を知ったアリスの元を普段より明確な存在感を伴うダレスが訪れたのは、街中に彼の姿が現れる少し前の事だった。
「アリス。デジタルの魔法使い。貴方に頼みたい事があります」
「なぁに?」
童女姿のあどけなさそのままに小首を傾げて見せるアリスに、ダレスは真摯な眼差しを向ける。
「私の言葉を――私に託された願いを、どうか子供達に伝えてください」
――あぁ、この人は消えてしまうのね。
ダレスの言葉とその表情から、アリスは瞬時にその事を悟ってしまった。
似たようなスタンスで在り続けた彼を喪う事には、一抹の寂しさを禁じ得ない。
「解ったわ、ダレス」
それでも、アリスは彼の最後の願いを叶える為に、微笑を浮かべて頷いた。
『子供達に真実を伏せる事を決めた後も、大人達は逡巡を続けていました』
ダレスは、カイリの発言を受けて述懐を続けた。
『秘密を持つ者の罪悪感や母なる星を子供達に忘れて欲しくないといった感傷的な理由もありましたが、それ以上に深刻で現実的な問題も孕んでいたのです』
彼の言葉に反応して、画面上に幾つかの実験データが表示される。
『ひとつは、出生率の低下という問題です』
その言葉に、サンディの肩が微かに揺れた。
『月面では、胎児の正常な成長が妨げられるという研究結果が出ていたのです。≪空の庭≫市は地下に比重の高い物質を埋め込む事で人工的に重力を調整しています。それはやはり大きな質量に伴って生じる引力とは本質的な部分で別のものです。更に、地球と月との潮汐力の違いも母胎に何らかの影響を及ぼすものと考えられます。他にも、地磁気の強さや精神的な面の問題もあるのでしょうが、ともかくこの街では胎児の成育を人工的な手法に頼らねばならず、その事による種としての衰退が心配されました』
一連の解説を頬を強張らせて聞いていたサンディが、ぎゅっときつく目を瞑る。
痛々しげな表情で眉を顰めたダレスは、それでも語る事を止めはしなかった。
『加えて、≪空の庭≫市を維持するシステムの老朽化という問題がありました。形有るものは永遠ではあり得ません。いつか必ず滅び消えゆく運命にあります。遠い将来、この街を護るシステムが停止した時に、真実を知らされずにいた子供達が為す術も無く終焉を迎えなければならないのだとしたら、それこそ自分達のエゴは赦されざる罪だと彼等は考えました』
そこで1度言葉を切って、ダレスはほんの少しだけ声を落とす。
『そうして、彼等は、ひとつの賭けに出ました』
そう切り出す彼の表情は、秘密を打ち明ける者のそれだった。
『もしも≪空の庭≫市の与える安逸な日常に溺れず、「マザー」による意識操作にも打ち克つ強い意志を持つ子供達が現れたなら、その時は隠された真実の重みをも乗り越えて子供達が新たな時代を築いてくれると信じて――そう希望を託して、彼等は≪空の庭≫市の管理システムに細工を施しました』
彼自身在りし日の地上の楽園を思わせる風貌を与えられたダレスは、夜空にぽっかりと浮かぶ青い惑星に親愛の眼差しを向けて言葉を紡ぐ。
『地球や月を想起させる事物を封じる一方で「月」と称して地球の姿を夜空に映し出し、海をイメージさせる現象をランダムに街中で起こして子供達の好奇心を煽り、図書館の片隅にひっそりと謎を解く手がかりとなる資料を隠して…そうやって、彼等は子供達が地球への回帰願望に目醒める日を待つ事にしたのです』
それがプログラム【aquarium】だとダレスは告げた。
かつて「水の惑星」と呼ばれた地球に生まれ、今尚海の幻想に惹かれる≪空の庭≫市の子供達の為のプログラムに水の生き物を集めた水族館【aquarium】の名を冠した人物のセンスに、カイリは僅かに失笑する。
皮肉めいたものではないそれは、リンク達大半の子供達にとっても似たような感慨を抱かせるものだった。
だが、続くダレスの台詞が、彼等から再び笑みを奪う。
『それから約半世紀の間、子供達は忘却と覚醒の危ういバランスの上で日々を過ごしてきました。多くの市民が日々に埋没する中、一部の人々は確実に真実を求め続けていました。それは、けして平穏なばかりの年月ではなくて、私達は新たな罪を犯しもしました』
彼の背後に、宇宙船と思しき乗り物を格納したドックが映し出された。
画面のずっと奥、透明なドームのすぐ外に転倒した一台のバイクが見える。
その光景を目にした途端、ウィルは強化ガラスの障壁に飛びついた。
「あれは親父のっ?!」
ウィルが幼い頃から見知っていた、彼の養親の愛用のマシン。
映像の中のその代わり果てた姿が、彼に残酷な事実を伝える。
『彼等は数年前、偶然北地区に隠された宇宙港に辿り着きました。此処が月面上だなどと思いもしなかった彼等は、警備システムの制止を振り切って街の外に飛び出して行ったのです』
機密服も身につけずに真空の世界に出て行った彼等の運命は推して知るべし、だった。
これでは、遺品も遺体も回収できなかった筈である。
「…あやつらの情熱は知っておったが、まさか此処まで来られるとは思ってなくての。わしが気がついた時には、2人は外に出てしまっとったんじゃ」
がっくりと崩折れるウィルの背中に、そう声をかける者があった。
「あれは、お主の親御だったんじゃな」
己の知る事実をウィルに告げる為だけに、不自由な足で無理を押して彼等の後を追って来たのだろう。
サンディの師でもあるXナンバーの老人は、いたたまれない様子で頭を下げる。
「すまなんだ。わしは、あやつらを助けてやれなかった」
ウィルは、それに応える事も、振り向く事もしなかった。
老人の所為ではないと思っても、振り返ったら詰ってしまいそうで、そんな自分が許せなくて。
「親父…お袋…」
一瞬の苦痛の中で真実を悟って死んでいった2人は、一体どんな想いだったのだろうか。
ぎりっと指先が白くなるくらい強く拳を握り締めて衝動に堪えていたウィルは、やがて静かに顔を上げるとダレスを睨みつけて口を開く。
「そんな風にしてまで隠してた事を俺達に告げて、あんたらは何をさせたいんだ?!」
『…解りません』
ダレスの返答は、極めて端的だった。
『私に与えられた役目は、プログラム【aquarium】を護り、やがて目醒める子供達に伝える事。プログラムが起動した今、私の為すべき仕事は終わったのです』
たぶん、ダレスを生み出した当時のスタッフは、本当にただ単に子供達に真実を伝えたかっただけなのだろう。
リンクは、何となく彼等の気持ちが解るような気がした。
無責任なようだけれど、現実などというものは得てしてそんなものだ。
『【aquarium】にはこの街の秘密と人々の遺した智慧が組み込まれています。これをどう使うかは、すべて貴方達次第です』
その言葉が最後通牒であったかのように、ダレスの姿が徐々に薄れ始める。
物心ついた頃から見知っていた彼、夢の中にまで現れた彼が消えてしまう事を、リンクは恐れた。
「待って!」
思わず呼び止めた彼女に、ダレスは今まで見せた事のない幸福そうな微笑を浮かべる。
『大丈夫』
そう囁く声に誘われるまま視線を動かしたリンクは、其処にいる子供達の表情に息を呑んだ。
衝撃に打ちひしがれている筈の彼等の瞳には、絶望ではなく未来を見つめる毅さが宿っていた。
泣き笑いを浮かべるリンクの耳に、ダレスに託されたメッセージが届く。
『愛しい「水の子供」達。貴方達の未来に海の星の祝福を――』
振り仰いだ空に、碧い惑星の放つ光が儚く強く揺れるのを、リンクはいつまでも眺めていた。