■第7章■

(1)

 「あーあぁ、無茶しやがる」
 突然の放水に慌てふためく警備隊員達に僅かな憐憫を込めて、サンディが溜息を落とす。
 はっきりと音声が聞き取れなくても、通信機越しに聞こえる歓声と悲鳴、それにモニタの映像から、彼には現場で何が起こっているのか把握できた。
 「まったく、しょーがねぇなぁ」
 それでもどこか愉しげに路面の排水作業を指示するサンディの耳に、ぽつりと呟くカイリの声が届く。
 「サンディの師匠ってだけの事はあるよね」
 何だか聞き捨てならない台詞を聞いた気がして、サンディはいかにも不服そうな表情で訊き直した。
 「どーゆー意味だよ?」
 「そーいう意味だよ」
 カイリは振り返りもせずにサンディの目の前にあるコンソールパネルを指差す。
 そこには、彼が現在操作している信号機のオペレーションシステムが表示されていた。
 警備隊を妨害し、尚且つ混乱を来たさないように市内の信号機すべてを手動で動かそうというのだから、サンディも大概無茶をしている。
 とても人の事を言えた義理ではないのだ。
 それについて一応自覚があるサンディは、反論を諦めてモニタに向き直る。
 だが、その過程である異変に気づいて、サンディはぴたりと動きを止めた。
 「なぁ、気のせいかもしれないけどさぁ」
 彼の視線の先には、ガイドランプの消えた自動ドアがある。
 「もしかして、入口閉鎖されてないか?」
 おずおずと口を開いたサンディに、カイリはあっさりとこう応えた。
 「監査機構が動き出してるんじゃない?」
 不法アクセスしていたアリスから主導権を奪回したサンディは、カイリの情報操作の甲斐もあって――自分の作業の傍らカイリは定期的に巡回してくるチェック機能に正しいシグナルを送り続けているのだ――正当な操作者としてマザーに認識されている。
 だからこそここまでスムーズに作業ができたのだが、ここにきて新たな問題にぶつかったわけだ。
 ≪空の庭≫市は巨大コンピューター「マザー」による都市管理の実験下にある。
 この手の集中都市管理の最大の欠点は、万が一クラッキングやウィルスでシステムが誤作動を起こした場合市民生活に影響を及ぼすばかりでなく、最悪都市機能そのものが停止してしまう危険性を抱えている事だった。
 そのような惨事を防ぐ為に、マザーを監視する監査機構がネットワークからまったく独立した形で存在しているのだ。
 このシステムがダウンすると≪空の庭≫市そのものに致命的な影響が出かねない為、アリスやカイリも手を出していなかった。
 それが、思わぬ伏兵となったらしい。
 「こんなところでカイリと心中は御免こうむりたいなぁ」
 サンディは、切迫した状況にも関わらずやけに淡白なカイリへの意趣返しも込めてそうぼやいてみせた。
 だが、カイリからは更に性質の悪い提案が返される。
 「最悪の場合、一連の騒ぎの首謀者として俺を突き出せば外に出られると思うけど?」
 「…おまえね…」
 どっと疲れを感じて言葉を失ったサンディは、それでも溜息ひとつで見事な立ち直りを見せた。
 「ま、なんとかなるだろ」
 開き直った、と言った方が正しいのかもしれないが、何の勝算もなしにカイリが動くとは思えないから本当にどうにかなるんだろうと思う事にする。
 信号機のオペレーションシステムを自動に戻しながら、サンディはカイリの作業領域を覗き込んだ。
 「で、そっちはどう?」
 つい先刻まで、メカに強いとは言ってもどちらかというとソフトよりハードが専門のサンディには理解できない次元で激しい攻防が繰り広げられていたディスプレイ上に、今はシステム内の現在位置を示す仮想地図とパスワードの入力ウィンドウが表示されている。
 「とりあえずうまく潜り込めたみたいだな」
 「まぁね」
 カイリは、短く応えると肩を竦めた。
 「でも、ちょっと今手詰まり状態になってるところだけどね」
 その指が、画面上に「プログラム【aquarium】」と記された文字を弾く。
 「俺の欲しい情報を検索すると、必ずここに行き着くんだ」
 「ふーん。で、そいつを起動するにはパスワードが必要ってわけか」
 「そう。場所が場所だけに無理にパスワードを盗み見ようとするとシステムそのものが狂う可能性があるし、エラーの許容回数も解らないから迂闊に弄れない」
 口許に軽く手を当てて考え込むカイリの姿がやけに深刻そうで、サンディは思わずからかってみたくなった。
 「開けゴマってのは?」
 冗談半分でそう尋ねてみると、冷やかな眼差しが返る。
 「…試してみようか?」
 「いや、遠慮しときます」
 カイリを怒らせるつもりのないサンディは、それ以上食い下がったりはせずにあっさりと引き下がった。
 「【aquarium】――水族館、か。うーん…海、水、魚、ペンギン、イルカ、アシカ…」
 代わりに、腕を組み、連想ゲームよろしく思いつくままを並べたてるサンディに、カイリは幾分力の抜けた表情で苦笑する。
 が、不意に通信機から漏れ聞こえたリンクの声が彼の笑みを消し去った。
 「――ダレス?」
 確かめるような、問いかけるような響きで呼ばれたその名に何を感じ取ったのか、カイリは雷に撃たれたようにキーボードに指を滑らせる。
 その指示に従って、壁に並ぶディスプレイのひとつに大量の文字が表れた。
 「ちょっと待って…そうか、そういう事か!」
 「え?何だよ急に。何か解ったのか?」
 何処の国のものとも解らない見知らぬ文字を前に興奮気味に呟くカイリについていけずに、サンディが訝しげに問い質す。
 カイリは、ディスプレイから目を離さないまま、熱のこもった声で答えた。
 「ダレスっていうのは、ヘブライ文字って呼ばれる古い言語で「扉」を意味する言葉なんだ」
 そうする間にも文献の中から目的の単語を捜し出し、メインスクリーンのパスワード入力欄にその文字列を入力していく。
 キーボード上を走るカイリの魔法の指が最後に実行キーを叩くのと同時に画面が暗転した。
 ふたりが固唾を飲んで見守る中、続いて認証成功のメッセージが表示される。
 『パスワード受理。プログラム【aquarium】を起動します』


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