■第6章■

(1)

 ニュースボード上のカウントダウン。
 午後8時の時報と同時に画面が暗転する。
 ざざあーっと打ち寄せる波の音と共に、漆黒の闇に真紅の文字が浮かび上がった。
 「思い出せ、水の子供達」
 直後に閃光が溢れ、画面は一転して真っ白に染まる。
 視界を埋め尽くす白は、陽射しに灼かれる砂の色だった。
 燦々と照りつける太陽に向けられた視線は、降り注ぐ光を追って鬱蒼と繁る密林に迷い込む。
 鮮やかな色彩の鳥達が飛び交う中、滴るような深緑を湛えた葉先から朝露が零れた。
 木々の根元を縫う小川に落ちた雫はいつしか森を抜け、草原を横切り、町を通ってやがて海へと注ぐ流れとなる。
 「閉じられた記憶の彼方に失われた世界を。かつて、生命の生まれた場所を」
 映像と文字の語るもの、それは、在りし日の自然の美しさを描くと同時に海への回帰を訴えるメッセージだった。
 「その手で何かを掴む為に。その瞳で何かを見つける為に」
 広場でしゃがみ込んでいた子供達が、1人、また1人と立ち上がる。
 「今夜、まどろみから目覚めて箱庭の外へ!」
 わぁっという歓声が上がり、子供達は踊るように軽やかな足取りで歩き出した。



 「まずは上々ね」
 デジタル化された情報の海の中、アリスは満足げな笑みを浮かべる。
 現在、≪空の庭≫市の情報ネットワークは彼女の支配下にあった。
 非常事態宣言が出されれば緊急回線やライフラインに関する部分は再びマザーコンピューターに掌握される事になるが、警備システムは既に手懐けてある。
 人間の警官は、無抵抗の子供を攻撃できない。
 ウィル達にとって脅威となるのは、相手を選ばず与えられた命令を実行する警備マシンだった。
 警備システムを無効化し、同時に交通管理システムを操作してパトロール隊の動きを攪乱してやれば、彼等の負担はかなり軽減される筈だ。
 実際に交通管理システムを弄るには医療関連の救急車両や生活物資の運送の妨げにならないように配意する必要があるが、その辺りの運用はサンディに任せてある。
 彼なら、市民への影響を最低限に抑えつつ効率的にウィル達をサポートできるだろう。
 アリスは、自分の仕事に集中する。
 彼女の目の前には、ホームセキュリティシステムを通じて各家庭に配信されているのと同じ映像を映し出すディスプレイがあった。
 本来なら定時のニュースを放映している筈のそれは、中央ステーションから北地区に向かう通りを集団で進んでいく子供達の姿を映している。
 彼女のもうひとつの役目、それは、できるだけ多くの人に彼等の行動を伝える事だった。
 それで何が起きるかは解らない。
 もしかしたら、かえって彼等を追い詰める事になるかもしれない。
 それでも、今夜の出来事が闇に葬られないように――人々の記憶に留まるように。
 アリスは彼等の姿を追い続ける。



 TVのスピーカーから聞こえてきた歓声に、マリナはグラスを磨く手を止めた。
 「…始まったのね」
 溜息混じりに呟くその声に、いつもの明るく華やいだ様子はない。
 水に、海に惹かれる想いは、マリナも同じだった。
 子供達の情熱は理解できるし、ウィルの願いもカイリの理想も知っている。
 でも…。
 画面の向こうで行進を続ける子供達の姿に、マリナは瞳を翳らせる。
 こうして彼等の姿を撮影できるという事は、街中に≪空の庭≫市の管理システムの監視が行き届いている事を意味していた。
 それでなくともこの街以外に住む場所を持たない彼等にとって、喧嘩を売るには相手が悪すぎる。
 もちろん、これが遊びではなく本当の闘いなのだと承知の上で、マリナは「水の子供」達を見守り、送り出したのだけれど。
 ――どうか、無事で…。
 マリナは、おそらく最前線に立つであろう義弟と、別の意味でもっとも危険な場所に乗り込んでいる恋人に想いを馳せる。
 そんな不安を宥めるように、彼女の胎に宿った生命が小さく身じろいだ。


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