■第4章■

(4)

 しんと静まり返った廊下に、2人分の足音だけが響く。 
 市立病院の特別病棟。
 飾り気のない広い廊下と電子錠を備え付けた重厚な扉だけが続く無機質な眺めは、病院というより研究室か何かのような寒々とした印象を与える。
 「サンディは≪空の庭≫市のライフラインの整備なんかをするんでしょう?」
 普段は足を踏み入れる事のできない場所に素直に好奇心を表しながら、リンクはサンディに問いかけた。
 「その他に、医療関係の仕事もするの?」
 重い機材の入った鞄を肩に担いで先行するサンディは、何やら考えあぐねて宙を仰ぐ。
 「んー、まぁ、普通特殊技術職っていえばひとつの仕事に専念するもんだけどな。俺も、専門は都市整備だし。ただ、マリナやアリスとは研修生の頃からの付き合いだからさ」
 良く言えば大らかな――つまるところが大雑把な彼らしい返答に、リンクはくすりと笑みを零した。
 それに気分を害するでもなく、サンディは廊下の突き当たりにある扉を開く。
 「よぉ、アリス。リンク連れて来たぞ」
 彼がそう声をかけると、部屋の中からリンクの良く知っている明るい声が返った。
 「ほんとに?じゃあ今日は、サンディと不毛な舌戦を繰り広げなくて済むのね」
 普段から彼女達のテンポの良い軽口の叩き合いを聞いているリンクは、「不毛な舌戦」というアリスの表現に笑みを深めつつ室内に足を踏み込む。
 さほど広いとは言えない病室の中程に様々な医療機器によって築かれた壁があり、ベッドの置かれた奥のスペースを外部から隔離していた。
 見慣れた「アリス」の姿を映し出すモニターとスピーカーも含む仕切りの上部は、患者の様子を観察できるよう透明なガラス製になっている。
 そのガラス越しに何気なく視線を廻らせたリンクは、その日2度目のショックに言葉を失って立ち尽くした。
 「びっくりした?」
 そんな彼女の反応を予期していたのだろう。すぐそばのスピーカーからは、ほんの少し困ったようなアリスの声が聞こえてくる。
 だが、目の前の光景に心を奪われているリンクには、アリスの心情を気遣う余裕はなかった。
 薄い水色の壁と天井を目が痛いくらい晧々とした蛍光灯の光が照らし出す中、白いシーツの上に1人の少女が横たえられている。
 肌の色は赤銅色、扇状に広がる髪は黒髪の巻き毛で、そこには彼女が好んで使うグラフィックの童女の面影は少しもない。
 しかし、そういった差異以上にリンクに衝撃を与えたのが、少女の身体の酷い衰弱ぶりだった。
 自らの力ではけして動かす事のできない、小さな小さな肉体。
 呼吸器に覆われた頬はこけ、寝間着から剥き出しになった手足は触れれば折れそうなくらい痩せ細っている。
 皮膚の色が生命力に溢れた血潮を思わせるだけに、その弱り方は傍目にも酷く痛々しかった。
 「大抵の人は驚くのよね。驚かなかったのは、サンディくらいじゃないかしら?」
 モニターの中のアリスは、溜息混じりに苦笑して肩を竦める。
 その上で、女の子特有の気紛れさを装って巧みに話題をすり替えた。
 「そうそう、聞いてよ!サンディったら、メンテナンス中はネットに繋げなくて退屈だろうからってお伽噺をはじめたのよ。しかも、作業しながら!信じられないわよね」
 彼が話して聞かせた童話に端を発して現在の「アリス」が生まれた事実は棚上げして憤慨してみせる彼女に、サンディも調子を合わせる。
 「いーんだよ!お子様にはお伽噺か子守唄って決まってんの」
 「そーゆーのって、子供に対して失礼よね。だいたい、マリナの時は出逢ったその日に「俺があんたのその黄金色の瞳に光をやるよ」なぁんて口説いたくせに」
 「な、何故それを!?」
 「ふふん、≪空の庭≫市一の情報屋を甘く見ないで欲しいわ」
 いつもと変わらない2人のやり取りは、沈みがちなリンクの気持ちを幾らか浮上させた。
 アリスは、幼い少女の外見に似合わない慈愛に満ちた眼差しをリンクに向けて、誇らしげに語りかける。
 「ねぇ、リンク。私は確かに自分の足で歩く事も、ベッドから起き上がる事さえできないわ。でも、思う通りに生きる事はできる。心は何ものにも縛られないもの。≪空の庭≫市のシステムは、動かない肉体の代わりに仮想現実の世界を自由に動き回れる力を与えてくれた。私は、この力でみんなの役に立てる事を嬉しく思ってるの」



 「…あいつらは強いよな」
 病院からの帰り道、リニアカーの運転席で、サンディがぽつりとそう呟いた。
 「マリナも、アリスも…女ってのはみんなあぁなのかな」
 隣に座るリンクの問うような視線には応えず、まっすぐ前を見据えたまま、サンディは独白を続ける。
 「俺は怖いよ。マリナを喪うかもしれない。生まれてくる子供が苦しむかもしれない。そう考えるだけでいてもたってもいられなくなる」
 せめて原因が解れば何とかできるかもしれない。それだけの技術は身につけてきた筈だという自負をサンディは持っていた。
 だが、≪空の庭≫市の管理システムは何も語ろうとしない。
 職業柄、≪空の庭≫市の中枢部に接する機会の多い彼だからこそ、不自然な情報隠蔽に不審感が募る。
 「俺は、真実を知りたい。崇高な理想なんかじゃなくて、ただ大事な人を護る為に、必要な知識が欲しい」
 常に笑顔を絶やさないサンディのいつになく真剣な横顔が、彼が胸の裡に秘めた焦燥と苦渋を物語っているようで、リンクは何も言えないままそっと目を伏せた。


BACK   TOP   NEXT