■第4章■
(2)
ティーカップの中ですやすやと眠る鼠の画像が表示された状態で待つ事3分。
賑やかな声と共に、ディスプレイに栗色の髪の少女が現れる。
「ごめーん、リンク!お待ちどうさま」
画面の中では10歳くらいの女の子の姿をしているものの、実年齢ではリンクより3歳年上の彼女は電脳界では名の知れた情報屋だった。
「アリス」という愛称から、同じ名前の少女が主人公になっている昔の童話にちなんだモチーフを好んで使っていて、本人のグラフィックもそこから来ている。
彼女の多忙振りを知るリンクは、すまなそうに詫びの言葉を口にした。
「私の方こそごめんなさい。アリスのお仕事邪魔しちゃったんじゃない?」
それに対して、アリスはひらひらと手を振ってみせる。
「良いの良いの。どーせサンディのお手伝いだもの」
≪空の庭≫市の特殊技術職従事者であるサンディの仕事をサポートできるという事は、アリスも市の運営を掌るマザーコンピューターと密接な関わりを持っているのだろう。
実際、電脳界での彼女の活動には優遇措置が取られている節も見受けられる。
その一方で、アリスは必ずしも≪空の庭≫市に対して無条件に従順でいるつもりはないようだった。
最近になって知った事だが、一連のメディアジャックも彼女とカイリの仕業らしい。
漫然と与えられた特権の上に胡坐をかいているのではなく、自分の頭で考えて行動する彼女達に、リンクは憧れと羨望を抱いていた。
「それで、訊きたい事って何?」
アリスの問いかけに我に返ったリンクは、肝腎の用件を口にする。
「ある人の事を教えて欲しいの」
人じゃないかもしれないけど、と前置きして、リンクはその人物の特徴を上げていった。
真夏の陽射しのように煌めく金色の髪。大地と同じコーヒーブラウンの肌。深い海の色をした碧の瞳。
まるで、かつての美しい世界をそのまま写し取ったかのような色彩でその身を飾るその青年は、何とも不可思議な存在だった。
彼は、時には部屋の片隅に、時には雑踏の中に現れては慈しみと哀しみに満ちた瞳でじっとこちらを見つめてくる。
そのくせ、手を伸ばし、話しかけようとするとふっと消えてしまうのだ。
褐色の肌に金髪という取り合わせといいその神出鬼没ぶりといい到底普通の人間とは思えなかったが、それならそれで誰が、何の為に彼を創り出したのかが知りたかった。
だから、リンクは一縷の望みに縋る想いでアリスに頼る事にしたのだが…。
アリスは、あっけないほど簡単に答えを口にした。
「あぁ、それってダレスの事じゃないかしら?」
「彼を知ってるの!?」
勢い込んで訊き返したリンクに、アリスはあどけない顔立ちには似合わない微苦笑を浮かべる。
「知ってるって言うか、まぁ、同類のよしみでね」
僅かな躊躇いの後にアリスが告げたのは、意外な事実だった。
「彼、「アリス」と同じで仮想世界にしか存在していないの」
「え?でも、私は何度も彼の姿を見かけてるのに…?」
「それは、ホログラムだと思うわ」
リンクの困惑を予期していたのだろう、その疑問を解くべくアリスは言葉を継ぐ。
「彼の姿を見ているのはリンクだけじゃないの。『夢幻水族館』に入り浸ってる子供達は、たいてい1度は彼を見ているんじゃないかしら。それも、場所は自分の部屋だったり、教室だったりまちまちだわ。学校の中はともかく、個人の家に勝手に入り込むのは難しいでしょう?」
それはそうだが、リンクにはやはりまだ納得がいかなかった。
「だけど、それならどうやってその姿を投射してるの?」
そう食い下がったリンクに対して、アリスは簡潔な答えを返す。
「簡単だわ。ホームセキュリティーシステムよ」
リンクは、思わず目を瞠って息を呑んだ。
確かに、ホームセキュリティシステムには、緊急時にニュース映像を流したり、住人の話し相手や家庭教師を務める人間の姿を室内に映し出したりする機能が組み込まれている。
「それじゃ、彼はマザーコンピューターが生み出した存在なの!?」
リンクの驚きはもっともだと思ったが、アリスは小さく肩を竦めると敢えて淡々と応えた。
「解らないわ。ただ、≪空の庭≫市の管理システムそのものが絡んできてるのは間違いないと思う。街中に不自然に現れるのも、この街の空を描き出すのと同じ手法だと考えれば不可能じゃないでしょう?」
≪空の庭≫市の上空には、空気中の水蒸気をスクリーン代わりに空の映像が映し出されている。
その為の投影装置を使えば、謎の青年の神出鬼没ぶりにも説明はつくのだ。
だが、アリスも自ら立てた仮説を全面的に信じきっているわけではないらしい。
「ただ、腑に落ちない点もあるのよね」
どこか苛立たしげに親指の爪を噛んで、小さな呟きを漏らす。
「彼の出現のタイミングには、ある共通点があるのよ」
「共通点?」
リンクが鸚鵡返しに問い返すと、アリスは何やら考え込みながら続けた。
「そう。彼はいつも、海にまつわるイメージと共に現れるらしいの。例えば波の音を聞いたような気がしてふと顔を上げた瞬間に、或いは潮の香りの風に誘われて振り返った時に、視線の先に彼の姿がある――」
それは、リンクにも心当たりがある。
「それに、あたしみたいに一日中ずっと「こちら側」にいると、彼の言葉…思念みたいなものが届く事があるの。彼は、こう繰り返しているわ。「私はダレス。私は待ち焦がれる。子供達が海への回帰に目醒める日を」。これって、何かに似てると思わない?」
ちょっとの間考え込んでいたリンクが、見えない雷に撃たれたようにはっと顔を上げた。
「…カイリ達の…?」
アリスは、リンクの出した答えに深く頷く。
「≪空の庭≫市の管理システムは、私達に海を想起させる事を避けようとしているんだと思うの。だから、海の光景を復元する事も水族館を造る事もしていない。そのシステムに懐疑的な立場で手探りで何かを求める「水の子供」達、そしてダレス。これは偶然なのかしら?もしも偶然でないとしたら、≪空の庭≫市にとって不都合な筈のダレスの存在がどうして管理システムに組み込まれているのかしら?」
アリスの言葉は途中から半ば独り言になっていたけれど、それはリンクの胸に開けてはいけない箱を開けてしまったような不安と興奮を刻みつけた。