■第4章■

(1)

 結局、リンクは週末毎に『夢幻水族館』に通うようになった。
 カイリが最初に見込んだ通り、彼女もやはり「水の子供」だったという事になるのだろう。
 IMAGEのコンポーザーにデザインを依頼し、市公認の技術者でもあるサンディが創りだしたという仮想現実の海は、リンクにとってとても居心地の良い空間だった。
 今も、遠い水面越しの陽光のように揺らめきながら天井から降り注ぐ柔らかな光と青い空気の中を乱舞する小さな魚達を眺めるだけで、心が穏やかになっていくのを感じる事ができる。
 もちろん、いつも笑顔で迎えてくれるマリナの存在も大きかった。
 いつでも自分を待っていてくれる誰かがいるという事が何だか嬉しくて、それだけであたたかな気持ちになれる。
 家族というのはこういうものなのかもしれない。
 それに、カイリ達の活動も気になっている。
 現在彼等が取り組んでいる地図作りには、地図そのものがほとんど出来上がりかけている事もあってリンクは参加していない。
 だが、≪空の庭≫市の外の世界を見てみたいという思いはリンクにもあった。
 丸いテーブルを囲んで熱心に意見を交わす子供達を見ていると、マリナがカウンター越しに話しかけてくる。
 「あら、それカイリのカードキーじゃない」
 「カードキー?」
 手持ち無沙汰のリンクが指先で玩んでいたのは、カイリに手渡されたカードだった。
 何となく返しそびれて持ち歩いていたのだ。
 「そう。この店の鍵よ。もちろんカードだけじゃなくて、コードを入力しないと開かないけど。カイリ、良く此処に入り浸ってるから渡しておいたの」
 マリナの返答にリンクは慌てたが、当の本人は特に気に留める様子もなくリンクには読めなかった表面の文字を指差してみせる。
 「ほら、ここに名前が書いてあるでしょう?天原海里【まはらかいり】。カイリの育った国の文字で、意味は「天」の「原」に「海」の「里」ですって。ロマンチストのカイリにぴったりの名前よね」
 マリナ曰く、カイリはクールで情熱的な、現実主義のロマンチストなのだそうだ。
 それは、リンクにも解る気がする。
 いつだったか、家まで送ってもらう帰り道、彼とこんな会話を交わした事があった。
 「カイリは、≪空の庭≫市のブレイン候補なんでしょう?」
 「そうだね」
 「ブレインになれば、こんな風に無茶をしなくても誰でも街の外が見られるようにできるんじゃないの?どうして、今、市の方針に逆らってまで動こうとしているの?」
 無遠慮なほどストレートなリンクの問いかけに気を悪くした風もなく微笑んで、カイリはこう応えた。
 「俺達にはもうあまり時間が残されてないんだ」
 その言葉の意味を図りかねたリンクが口を開くより早く、逆に質問を投げかける。
 「リンクは、市民コードにどんな意味があるか知ってる?」
 初等部で学んだ知識をひっくり返しながら、リンクは慎重に答えた。
 「えっと、最初のアルファベットがメールとフィメールで性別、次の数字が0が未成年、1が成人、9が特殊技術職従事者。あとは、≪空の庭≫市の成立に携わってきた研究者がXじゃなかったかな?」
 「それ以外は?」
 「解らないわ。残りの数字は市民登録の順番?」
 リンクは、素直に降参する。
 それを受けて、カイリが説明を始めた。
 こんな時のカイリは、まるで学校の先生のようだとリンクは思う。
 「まず、最後のアルファベット2文字だけど、このうち初めの文字は自然出産か人工授精児かを表している。ナチュラルのNとアーティフィカルのAだね」
 「どうしてそんな事を…?」
 リンクが受けた授業ではそこまでは触れなかった筈だ。
 不思議そうな表情で訊き返すリンクに、カイリは淡々と応じた。
 「きちんとデータを調べて、ちょっと考えれば解る事だよ。幸い俺は、ブレイン候補って事である程度機密扱いの資料も閲覧できるしね」
 最後の一言が苦い響きを帯びているのは、特権階級の在り方に否定的でありながら一方で利用できるものは利用している自分自身への皮肉なのだろう。
 カイリは、表面上は内心の葛藤を無視して先を続けた。
 「で、最後の文字はTが『天罰』以前生まれ、Lがそれ以外の子供を指してる」
 「そのふたつはどんな意味があるの?」
 リンクは期待に満ちた瞳でカイリを見つめたが、意外にもカイリはあっさりと肩を竦めてみせる。
 「由来になった言葉が何なのか、確かなところは解らない」
 含みのある言い回しからして彼自身の中では思うところがあるらしいのだが、カイリはその点については言及せずに話を本筋に戻した。
 「そして、真ん中の5桁の数字には2通りの意味がある。ひとつは≪空の庭≫市で生まれた新しい世代。この場合、リンクが言った通りコードは基本的に昇順になっている。もうひとつは、この街に移住してきた子供達。こちらは最初の2桁が冷凍睡眠に就いた時の年齢を、残りの3桁がその年齢の同性の子供の内何番目に覚醒したかを示しているんだ。例えば俺の場合、05290だから、5歳で冷凍睡眠に就いた男子の中で290番目に目覚めさせられたって事になる」
 「私は03299だから…」
 カイリの話につられて、リンクは自分のコードを説明通り当てはめてみる。
 その途中で、ある事実に気づいたリンクの顔色が変わった。
 彼女の反応を予期していたのだろう。カイリはリンクをまっすぐ見据えて頷く。
 「そう。この街に移住してきたのは、0歳から15歳まで男女各300人ずつ。コードは0番から始まっている。つまり君は、同じ年で移住してきた女の子の中の最後の1人って事になる。そして、『天罰』以前生まれの最後の子供でもあるんだ」
 「そんな…」
 救いを求めるように顔を上げたリンクは、カイリの真摯な眼差しを前にして口にしかけた言葉を飲み込んだ。
 カイリは、何の根拠もなく他人を不安に陥れるような事を言う人ではない。
 だから、きっとこれも彼が知る真実の内のひとつなのだ。
 「後数十年もすれば、『天罰』以前の記憶を持つ子供は1人もいなくなってしまう。その前に俺達は動き出さなきゃいけない。『天罰』以前生まれの世代の方が現状に疑問を持ちやすいっていう事も確かにあるけど、それだけじゃなくて…これは俺の感傷でしかないのかもしれないけど、俺達はもう1度この目で外の世界を見るべきだと思う」
 あの時、熱っぽく呟いたカイリの横顔には、冷徹なまでの意志の力が宿っていた。
 カイリは、ただ夢を見るだけではなくて、誰より現実を見通している。
 その上で、彼は理想を求めるのだ。
 「そうね。凄くカイリに似合ってる」
 マリナの言葉に頷きながら、リンクは「ロマンチック」というのに相応しい風貌の人物の事を思い浮かべた。


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