■第3章■

(4)

 サンディが裏口から出て行くのと丁度入れ違いに、子供達相手の講義が一段落したカイリがカウンターにやって来る。
 カイリは、ちょっと緊張気味の面持ちのリンクに気づくと嬉しそうに微笑みかけた。
 「来てくれたんだね」
 心からの歓迎の意を感じられる笑顔に、リンクも相好を崩す。
 「気に入った?」
 「うん」
 自信有りげなカイリの問いに瞳を輝かせてリンクが頷くと、2人分のグラスを用意していたマリナが誇らしげに口を挿んだ。
 「凄いでしょ。これ、全部サンディが造ったのよ」
 ああ見えても、彼、優秀な技術者なの。
 そう言ってくすりと笑うマリナを、リンクは意外な想いで見つめ返す。
 確かにサンディは全然技術者らしく見えなかったけれど、それ以上にマリナの彼に寄せる信頼と親愛の情が透けて見えるようで、何となくくすぐったかった。
 リンクにオレンジジュース、カイリにジンジャーエールを出したマリナは、他の子供達の相手をする為に席を外す。
 カイリは、手にしたグラスを軽く持ち上げて乾杯の仕草をしてみせた。
 「改めて、「水の子供達」の住処へようこそ」
 「「水の子供達」?」
 「そう」
 鸚鵡返しに訊き返しながらもつられて掲げられたリンクのグラスにカチンとグラスを合わせて、カイリはにこやかに答える。
 「此処に集まってくるのは、「海」とか「水のある風景」に惹かれる子供達ばかりなんだ」
 それは、リンクにも解るような気がした。
 彼女自身も含めて、海の記憶に憧れを抱く者にとって、『夢幻水族館』はそれこそ夢のような場所だ。
 だが、カイリの説明には続きがあった。
 「他にも、彼等には幾つか共通点がある」
 含みを持たせた言い回しは、リンクの興味を惹きつける。
 「此処にいる子供達の大半は『天罰』以前生まれなんだ。だからこそ、今は見る事の出来ない海に魅せられるのかもしれないけどね。或いは、生まれる前の記憶、なのかも…」
 特に、最後の一言はリンクに謎めいた印象を与えた。
 しかし、カイリはそれについては触れずに話を進める。
 「それから、今、この世界に対して、何らかの疑問を抱いている事。例えば、さっき海を見る事が出来ないって言ったけど、本当ならバイオテクノロジーやCGを使えば擬似的に海を再現する事くらいは可能な筈なんだ。この店みたいにね。現に、仮想動物園は存在してるわけだし。でも、実際には水族館は作られていない。それはどうしてだろうって思わない?」
 思い当たる節のあるリンクは、内心の驚きを隠してじっと考え込んだ。
 そんなリンクの反応をどう取ったのか、カイリは普段の人当たりの良い穏やかな彼とは別人の観さえある挑発的な表情で先を続ける。
 「それだけじゃない。俺達は、≪空の庭≫市が地球上の何処に位置するのか、まったく知らされていない」
 「『天罰』の所為で地形が変わってしまって、位置を示す術がないとか…」
 カイリの態度にどこか不穏なものを感じて、リンクはおずおずと反論を試みた。
 だが、カイリはそれさえもあっさりと切り捨てる。
 「それでも、旧世界のどの大陸にあたるのかくらいは解る筈だよね?それに、問題なのは「知らない」という事実だけじゃない。「知らない」事をちっとも不思議に感じない事の方なんだ」
 カイリが指摘した事実は、リンクの胸にまっすぐ突き刺さった。
 そう。確かにこの街に住む人間は、最初は不思議に感じた事もいつしか当たり前のように受け入れてしまう。
 現実の他に選択肢を持たないからと、仕方がないと諦めている訳ではない。
 平穏な日常の中で、彼等はどんなに不自然な事にも慣れてしまうのだ。
 そうして摩滅した感覚は、人々から次第に猜疑心や好奇心そのものを奪い去って――。
 色の薄い瞳を大きく瞠るリンクに、カイリは尚も囁きかける。
 「俺達は、普段≪空の庭≫市の在り方やその運営方針についてまったくと言って良いほど疑問に思う事がない。それには、おそらくこの街の監理システムが絡んできてるんだと思う。各家庭に設置が義務付けられているホームセキュリティシステムを使って睡眠中の脳に働きかけて意識を操作をする事は理論上不可能じゃない」
 相手の精神に衝撃を与え、そうして生じた隙に疑惑の火種を植えつける――彼の言葉は、煽動者のそれだった。
 彼自身自覚している部分もあるのだろう。
 リンクの怯えを察したカイリは、微苦笑浮かべて話題を切り替える。
 「まぁ、そんな物騒な話はともかく、とりあえず今は≪空の庭≫市の地図を作ってるんだ」
 テーブルを囲んで盛り上がる子供達を見守るカイリの眼差しからは、それまでの剣呑さが嘘のように消え失せていた。
 「あの子達は、たとえウィルスの関係や他の理由で街の外に出る事が出来ないとしても、せめてこの目で外の世界がどうなっているのか見てみたいって言ってる。俺も同感だよ。その為には、この街の大きさがどれくらいなのか、何処に行けば外との境界に出られるのか、知っておく必要があるからね」
 カイリと目が合った子供が、手を振って彼を呼び寄せる。
 それに応えて、カイリは再び子供たちの輪の中に戻って行った。
 「いきなりあんな難しい話で、驚いたでしょう?」
 ぼんやりとその後姿を見つめていたリンクに、マリナがカウンター越しに話しかける。
 「今の話に関係なく、此処が気に入ったらまた来てね。いつでも歓迎するわ」
 彼女の柔らかな笑顔に救われる思いで、リンクは小さく頷いた。


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