■第3章■
(3)
何食わぬ顔で階段を下りながら、サンディはちらちらとリンクの方を窺う。
彼は、リンクが3日前図書館でカイリと話していたのを覚えていた。
胸元に大事に抱えているカードを見るまでもなく、彼女がカイリに誘われるままに此処を訪れたのだろうという見当はつく。
おそらく、こういう場所には今まで来た事がなかったのだろう。やや不安げな様子が初々しくて可愛らしい。
――こんな純真そうな子を誑すんだから、カイリのヤツ悪党だよなぁ。
そんな事を考えているうちに扉の前まで辿り着いたサンディは、くるりと背後を振り返った。
そうして、胸に手を当て、軽くお辞儀をしながら『夢幻水族館』の扉に手を掛ける。
「さぁどうぞ、お姫さま」
そのおどけた仕草に緊張の糸が緩んだのか、リンクは微かに表情を和らげた。
だが、店の中に一歩足を踏み入れた途端、その表情は驚愕にとって変わられる。
其処は、碧に支配された空間だった。
「水族館」といえば普通硝子越しに水槽の中の生き物を眺めるものだが、どうやら此処は水の中の世界を模しているらしい。
カウンターやテーブルセット、壁紙といった白一色で統一された調度品を、様々な角度から青いライトが照らしている。
どういった仕組みなのか、空気さえ染め上げる青い光は足許にいくほどその色味の深さを増す。
テーブルの上に置かれたランプの中で蒼白い炎が揺らめく度に躍る光の濃淡は、たゆたう波を思わせた。
店内を見回そうと首を廻らせたリンクの目の前を銀色の魚が横切る。
「きゃっ」
びっくりしたリンクが後退さった拍子に近くのテーブルにぶつかると、極彩色の小さな魚の群れがわらわらと散って行った。
「…わぁ」
その愛らしい姿に、リンクの唇が笑みの形に綻ぶ。
そこに、カウンターの奥から声がかかった。
「いらっしゃい」
見ると、ブルネットの髪を緩く編んだ女性が柔らかな笑みを浮かべてリンク達の方を見つめている。
彼女の眼差しに軽く手を上げる事で応えて、サンディはすたすたと歩き出した。
リンクも、少し距離をおいておとなしくその後をついて行く。
サンディは、カウンターまで来ると、待ち構えていた女性に親しげに話しかけた。
「よぉ、マリナ!カイリ来てる?」
「えぇ。今は子供達の相手をしてるところ」
マリナは、そう言いながら視線を店の片隅へと向ける。
其処には、テーブルの上に広げた紙を指差しながら周りの子供達に何やら説明しているカイリの姿があった。
彼を取り囲む子供達の中には、リンクと同じ年かそれより小さな子もいる。
彼等の質問に答えながら話を進めるカイリは、研究室のリーダーか学校の教師のようだ。
「もうちょっとしたら一休みになるんじゃないかしら」
「そんじゃ、それまで待ちますか」
マリナの言葉にんっと伸びをしながら応えたサンディは、ちょいちょいとリンクを手招きする。
誘われるまま、リンクがカウンターに備え付けられた椅子に腰掛けると、マリナがにこやかな笑顔と共に氷水の入ったグラスを差し出した。
「はじめまして。マスターのマリナ=ソルフォードよ」
「あ、リンク=クラウディアです」
つられて名乗ったリンクの後を受けて、サンディも改めて自己紹介をする。
「俺はアレクサンダー=レイク。アレクって呼んでくれれば――」
だが、彼の言葉が終わらないうちにカウンター内のドアが開いて、見覚えのある少年が勢い良く顔を覗かせた。
「サンディ!来てるのか?」
「あ」
それがつい先日名前を知ったばかりのウィルだと気づいて、リンクが小さく声を上げる。
それを聞いたマリナが、不思議そうな顔をしてリンクに問いかけた。
「ウィルと知り合い?」
「えっと、隣のクラスで…」
どぎまぎと答えるリンクの声は、だが、すぐそばで交わされる会話にかき消されてしまう。
「ウィル〜っ、その女の子みたいな呼び方は止めてくれって言ってるだろぉ」
「サンディはサンディだろ」
どうやら名前の略し方が気に入らないらしいサンディに対し、ウィルの反応は素っ気ない。
「だーかーらーっ、俺にはアレクサンダーっていう立派な名前が――」
「立派過ぎる名前が、ね」
これまでにも何度も繰り返したのだろう台詞を力説するサンディに、横合いからマリナの訂正が入る。
おまけに、肝腎のウィルはサンディの苦言などちっとも気に止めるつもりはなかった。
「そんな事より、バイクがトラブった。俺じゃ手に負えないから見てくれ」
「ううう、せめてアルとかアレクとか…」
言いたい事だけ言ってさっさと出て行くウィルの後姿を恨めしそうに眺めて、ダブルパンチでKOされたサンディは情けない声を漏らす。
それでも、依頼に応えるべく渋々席を立ったサンディに、マリナは優しい調子でこう言い添えた。
「良いじゃない。「砂の【サンディ】」って素敵だと思うけど?」
「…まぁ、な」
足を止めて振り向いたサンディは、実はまんざらでもないらしい様子で苦笑する。
「そういう意味では結構気に入ってんだけどね」