■第2章■
(3)
その日の放課後、リンクは大学院に併設して建てられた図書館を訪れた。
流線型と幾何学模様をメインにしたデザインのビルばかりが立ち並ぶ中、この建物だけはやけに前時代的な外装をしている。
それは内部にも共通していて、身長の何倍もあるような木目調の扉を抜けるとそこは3階まで吹き抜けになったエントランスホール、正面にある受け付けカウンターの脇から緩やかに弧を描いて上のフロアに続く階段は何処かの宮殿か高級ホテルのようだ。
館内はかなりの広さがあり、1階は一般向けの書架と読書スペース――電子ブック専用の端末とディスプレイ、ヘッドホンを備えたブース型になっている――、2階はパソコンやコピー機の完備された閲覧室と専門書や研究論文等のコーナーから成っている。3階は学習室及び資料室で、また1階の庭に面した一画には絨毯の敷かれた児童室が設置されていた。
リンクは、昔から此処の雰囲気が好きだった。
しんと静まり返った空気は秘密めいていて、けれどけして他者を拒む類のものではない。
喩えるなら、凪いだ湖のような穏やかな静けさ。
その独特の空気を愉しみながら、リンクは書架の間をゆっくりと見て回る。
一口に図書館と言っても、この時代ほとんどの出版物は電子化されている為、実際に収められているのは書籍よりもディスクの方が多い。
光学ディスクなら膨大な量のデータをコンパクトにまとめられて、保管も紙の本よりよっぽど楽なのだ。
それでも、中には「本」という形に拘りを持っている人達もいて、リンクもそんな中の1人だった。
自由研究の資料に使うディスクを2枚と読みかけのシリーズものの小説の他に、凝った装丁をした童話を見つけて手に取ってみる。
結局、その本も借りる事にして、リンクは貸し出しデスクへと向かった。
カウンターに近づくと、中で作業をしていた少年が顔を上げる。
リンクは、その少年を知っていた。
カイリ・F・マハラ。弱冠17歳ながら≪空の庭≫市のブレイン候補に名前の挙がっている英才だ。
同時に、神秘的な黒髪黒瞳と穏やかな物腰に惹かれる女子生徒も多く、リンクの憧れの存在でもある。
リンクは、やや緊張した面持ちでカウンター越しに声をかけた。
「貸し出しをお願いします」
それに対して、カイリは人当たりの良い微笑を返す。
「はい。ディスクを3枚と書籍が1冊ですね」
リンクから受け取ったIDカードを端末機に通したカイリは、カードを返しがてら1枚のディスクを差し出した。
「IMAGEの『Oceans』シリーズの新作が入ってるけど、持って行く?」
「えっ?」
IMAGEというのはネットゲームや環境再現ディスクを作っているアーティストだ。完成度の高い作品を数多く生み出しており、中でも海を題材にした『Oceans』シリーズは高い人気を博している。
リンクも、『Oceans』シリーズが大のお気に入りだった。
「でも、良いんですか?」
突然の申し出と憧れの人が自分の好みを知っていてくれた事への二重の驚きに戸惑うリンクに、カイリは悪戯っぽく笑ってこう付け加える。
「ここで借りて行ってくれれば、新作の棚に並べに行く手間が省けるし」
つられて笑ったリンクは、素直にカイリの好意に甘える事にした。
「それじゃ、これだけ新作扱いだから3日間、他は1週間以内に返却してください」
カイリは、司書見習いのアルバイトの顔で必要事項を告げる。
それから、ふと思いついた風にリンクにこんな事を尋ねてきた。
「良く海をモチーフにしたディスクや写真集、借りてくよね?研究の課題か何か?」
リンクは、ふるふると首を横に振る。
「ううん、そうじゃなくて、ただ何となく好きだから…」
「ふぅん。だったら、お勧めのお店があるんだけど」
そう言いながら、カイリは胸のポケットから小さな紙片を取り出した。
「『夢幻水族館』。俺も良く行くクラブハウスなんだ。良かったら、今度行ってみて」
おそらくそのクラブハウスの会員証か何かなのだろう。名刺サイズのカードには表に店の名前とリンクの知らない文字、裏には簡単な地図が記されている。
「…ありがとう」
躊躇いがちにカードを受け取ったリンクに、カイリはにっこりと微笑んだ。
「どういたしまして」
そこで、受け付けカウンターにいるカイリに事務室から照会の電話が入る。
そういえば、用件以外の事で随分と余計に話し込んでしまったような気がする。
受話器を取ったカイリにぺこりと頭を下げて、リンクはその場を後にした。