■第1章■
(4)
――声だ…誰かが呼んでる声がする。
重力の鎖から解放され、ゆらゆらと水面に浮かびながら、ウィルはゆっくりと目を開いた。
太陽の色の髪、大地の色の肌、海の色の瞳。
在りし日の美しい自然そのままの色彩をその身に持つ青年が、真上から物言いたげな表情で彼を見つめている。
――これは幻だ。
ウィルは、静かに目を閉じた。
今は喪われて久しい故郷の亡霊だ。だって、生身の人間が宙に浮かんでいる筈がない。
そう自分に言い聞かせてもう1度瞼を開けると、そこにはもう青年の姿はなかった。
天井も壁も灰色の部屋の中で、蛍光灯の光だけが目に痛いほどに白い。
未だに名を呼び続けている声の主を捜して視線を廻らせると、プールサイドにしゃがみ込んでいる女性の姿が目に入る。
「…マリナか」
「そろそろ上がらないと、学校に遅れるわよ」
素っ気ない反応を気に病むでもなく話し掛けてくるマリナを一瞥して、ウィルはたいして広くもないプールを横切ってプールサイドへと向かった。
水から上がると、マリナがタオルを差し出してくる。
「相変わらず、「姉さん」とは呼んでくれないのね」
ほんの少し寂しげな呟きは聞こえないふりで、ウィルは短く刈り込んだアッシュブロンドの髪をがしがしと乱暴に拭いた。
ブルネットの髪にオークルの肌という色彩もふっくらとした体つきも柔らかな印象のマリナと、緑灰色の瞳に宿る眼光も口調ひとつとっても鋭角的な印象のウィルとは似ても似つかない。
それもその筈、2人の間に血の繋がりは全くなかった。
≪空の庭≫市では、こういった家族は珍しくない。
『天罰』以降の環境の変化によって自然分娩による出生率は激減しており、今や大半の子供達は人工受精で生を受け、人工胎盤内で育つ。
そうして生まれた子供は、マザーシステムの管理下に置かれるのが普通だった。
もちろん、両親が望めば体外受精によって生まれた我が子を引き取り、「家族」として暮らす事もできる。
だが、現状ではほとんどの子供が統計に基づいてシステムが生み出した「孤児」だった。
彼等は、成長するにつれて「親子」や「家族」といった人間関係を知識の上で学ぶ事になる。
そして、いつしかそういう絆に憧れを抱く者が現れ、「擬似家族」というこの街独特のユニットが生み出された。
「家庭」を持ちたいと望む市民は市のシステムに自分の希望する家族形態等を登録し、条件が合う者同士が契約を結んで「家族」となるのだ。
ただ、この2人の場合、亡くなったウィルの育ての親がマリナの実の父親と親友同士だった為に自然の成り行きで一緒に暮らすようになった点が、他の「擬似家族」とは異なっている。
2人の父も既に亡く、15歳という親子にしては近く姉弟にしては遠い中途半端な年齢差もあって、思春期に差し掛かったばかりのウィルにとってマリナの存在は非常に微妙なものだった。
マリナが望んでいるのが解っていてもどうしても距離を縮められないのもその所為だ。
自分に注がれた穏やかな眼差しに背を向けたウィルは、冷たい調子で口を開いた。
「毎朝呼びになんて来るなよ」
ドアに向かって歩き出しながら、ぶっきらぼうに続ける。
「…身体が冷えるだろ」
マリナは、血の繋がらない弟の不器用な優しさに金赤色の瞳を細めた。
「大丈夫よ、このくらい」
童女のようにあどけない表情で笑うマリナに、ウィルはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
そんな2人のやり取りを、深い碧の瞳がじっと見守っていた。