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ゴンドリンの陥落【8】
このようにして、彼等はその高さの故に忌まれている場所クリストホルンにやって来た。
此処はあまりに高所にある為夏どころか春さえ訪れず、非常に寒かった。
まさに谷が太陽の中で踊っている間にもこの地の吹き曝しには1年中雪が残っており、彼等が其処にやって来た時も背後の北から来る風がひゅーひゅーと唸りを上げ酷く突き刺した。
雪が降っては風の渦巻きの中で舞い、彼らの目に飛び込んだ。
これは良い状況ではなかった。
道は狭く、右手もしくは西の方に多くの高巣の在る尖った頂点に到達するまでに450フィート近い切り立った壁が聳え立っているのだ。
其処には、エルダアルによってソロントールと名づけられたソロンホスの長、鷲達の王ソロンドオルが棲まっていた。
だが、もう一方の側は完全に垂直とまではいかないまでも険しく不安定な滝があり、岩の長い牙が散在していて、這い降りる事は――もしくは転落する事は出来ても登る術はなかった。
更に、深淵より逃れる道筋は峡谷の両端では側面以上に見出せず、底部にはソロン・サーが流れていた。
ソロン・サーはこの高度では細い小川であり、僅かな水を伴って大きな絶壁を超えて南側からその地へ流れ込み、大地の上、岩に覆われたかなりの距離を下って山の中に進む狭い流れに潅いだ後に北側に流れ出ており、その流れを押し進む事の出来る魚はほとんどいなかった。
ガルドールと彼の戦士達は、ソロン・サーが地底へと流れ落ちる淵近くにやって来た。
トゥオルの奮闘にも拘らず他の者達はだらだらと連なっており、峡谷と絶壁に挟まれた危険に満ちた道程を振り返ると、グロールフィンデルの民は道の始まりにすら到達していなかった。
その時、夜の闇を裂いて険しき地にこだまする喚声が湧き起こった。
なんと、ガルドール達が、岩陰から不意に飛び出して来た者達に包囲されているではないか。
彼等は、レゴラスの目からさえ逃れて待ち伏せしていたのだ。
トゥオルは、一行がモルゴスの整えた軍団に遭遇してしまったのだと思った。
そして、暗中の不意打ちを何より懼れて周囲の女性達や病人達を後方に退がらせる一方、彼の麾下の者達をガルドール達に合流させ、険しい道で闘争が起こった。
だが、今度は頭上から岩が落下してきて、忌まわしい事に彼等は耐え難い傷を負った。
背後から軍勢の物音が聞こえ、『燕』の一族の者がグロールフィンデルが背後から急襲され、その軍勢にはバルログもいるという報せを告げた時、トゥオルには事態がより悪しきものに思えた。
彼は、罠を懼れて途方に暮れた。
しかも、事は実際に彼らの上に降りかかっていた。
監視の目は、モルゴスにより環状山脈全域に配されていたのだ。
ゴンドリンの民が為した武勇により、都が奪われるより前に多くの者が襲撃に加わった為、偵察は疎らに広がっていた。
少なくとも、この南側の地ではそうだった。
にも拘らず、その内の1人が一行が榛の谷から山を登り始めた時から見張っていて、集まれるだけの隊を集めてクリストホルンの険しい道の途中で前後から亡命者達を襲撃する事を企てたのだった。
ガルドールとグロールフィンデルは不意打ちの襲撃にも屈せず、オーク達の多くが奈落に打ち落とされた。
しかし、降り注ぐ岩は彼等の勇気のすべてを挫くかに見え、ゴンドリンからの脱出は破綻しかけていた。
その時分には月は峠越えの道の上空に上り、そのかそけき光が昏き地に洩れ入って薄暗がりを幾分明るくしていたが、壁の高さの為に道を照らす事はなかった。
その時、鷲達の王ソロンドオルが起った。
彼は、モルゴスを憎んでいた。
モルゴスは彼の縁者の多くを捕らえ、尖った岩に圧しつけるように繋いで魔法の言葉を搾り取り、それによって空を飛ぶ術を知ろうとした。
(彼は、空においてさえマンウェと闘う事を夢見ていたのだ)
そうして、ソロンドオルに連なる者達が口を割らない時には彼等の羽を切り落とし、それを用いて彼自身の為の巨大な翼を作り出そうとしたが、徒労に終わった。
峠を越える道からの騒音が大いなる高巣へと届くと、彼は言った。
「何故邪悪なる輩、丘のオーク共が我が玉座の傍近くに上り来たるか?そして何故ノルドオルの息子等は低き場所にて呪わしきモルゴスの子供を恐れて泣き叫ぶか?決起せよ、ソロンホスよ!鋼の嘴と鉤爪の剣を持つ者達よ!」
そうして、岩場の颶風の如き急襲が為された。
鷲の一族の民ソロンホスは小道の上によじ登ったオーク達の頭上に襲い掛かり、彼等の顔や手を切り裂いて遥か下方のソロン・サーの岩へと投げ落とした。
ゴンドリンの民はこれを喜び、後に彼等は歓喜の印に鷲を一族の徽章とした。
イドリルもこれを身に帯びたが、エアレンディルは彼の父親の白鳥の翼の方を好んだ。
今やガルドールの戦士達は何の妨げもなく対立する者共を押し分けていた。
相手は然程多勢ではなく、ソロンホスの突撃を非常に恐れていたのだ。
それで一行は再び前進を始めたが、グロールフィンデルは殿でうんざりするほど戦い続けねばならなかった。
既に半数が険しき道とソロン・サーの滝を過ぎた頃、後方の敵と行動を共にしていたバルログが渾身の力で道の左側にある亀裂の縁に聳え立つかなり巨大な岩に跳躍した。
そして、憤怒の高まるままにグロールフィンデルの麾下の者達を追い越すと、前方にいた女性達や病人達の只中で炎の鞭を打ち据えた。
グロールフィンデルは前方へと急行した。
彼の黄金の鎧は、不思議な事に月光の下で輝いていた。
バルログが再度巨岩に飛び移るとグロールフィンデルも後を追い、その魔物に斬りかかった。
今や、民の上方にある高き岩場に於いて、命懸けの闘いが繰り広げられていた。
一行は後方から追撃され前進を妨げられた為に一部始終のほとんどが見える程接近していたが、グロールフィンデルの麾下の戦士達が彼の傍に駆けつけるより早く死闘は決着を迎えた。
グロールフィンデルの情熱はバルログを次から次へと追いやり、彼の鎧は鞭と鉤爪からその身を護った。
彼はバルログの鉄の兜に重い一撃を打ちつけ、鞭を持つ腕を肘から斬り落とした。
バルログは、グロールフィンデルに対する大いなる恐怖と激痛とに飛び上がった。
グロールフィンデルは蛇の矢の如く刺突を繰り出したが肩までしか届かず、両者は掴み合って絶壁の上にある滝の方に傾いた。
そこで、グロールフィンデルは短刀を見出した。
彼が突き刺した短刀は彼自身の顔の傍にあったバルログの胸(その魔物は彼の2倍の背丈だったのだ)を刺し貫いた。
バルログは絶叫し、岩の上から後ろに落ちた。
そうして落下しながらグロールフィンデルの帽子の下の黄色い髪を掴み、2人は諸共に奈落へと堕ちていった。
それは、何とも嘆かわしい出来事だった。
グロールフィンデルは、心から最も愛されていたのだ。
彼等の墜落の衝撃は丘の周りに反響し、ソロン・サーの深淵は鳴り響いた。
バルログの断末魔の声に前後にいたオーク達は浮き足立ち、或いは逃げ出し、或いは殺された。
強大な鳥であるソロンドオルは、深淵へと舞い降りてグロールフィンデルの亡骸を引き上げた。
だが、バルログは其処に放置され、ソロン・サーの水はトゥムラディンの遥か下流まで長い間黒く染まった。
今でも、エルダアルは邪悪の猛威に対し大いなる力を持って善戦する様を目にする時、こう語る。
「あぁ哀しきかな、グロールフィンデルとバルログだ」
そして、今なおその心は素晴らしき彼のノルドオルを悼んで悲嘆に暮れるのだ。
彼等の愛の為に、新たな敵の到来への恐れと急を要する旅路とにも拘らず、トゥオルは鷲の高巣の絶壁近い危難に満ちた道を越えた地にグロールフィンデルの亡骸の上に立派な石塚を築かせた。
ソロンドオルはあらゆる危害を寄せつけず、黄色い花々だけが冷酷なその地にあって塚の周囲に広がり、今も風に吹かれている。
しかし、『金華』の民は石塚の前で嘆き悲しみ、その涙が乾く事はけしてなかった。
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