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 ゴンドリンの陥落【終】


 今となっては、誰が山々を越えてトゥムラディンの谷間の南に広がる荒野に於けるトゥオルとゴンドリンからの亡命者達の放浪の旅について語る事になろう。
 彼等を待ち受けていたのは苦悩と死、飢えと寒さ、そして不断の警戒だった。
 彼等がモルゴスの手下の魔物が蔓延るこれらの土地をどうにか切り抜ける事が出来たのは、モルゴスが大規模な虐殺を行い、その襲撃の為に力を損ねていた事と、彼等を率いたトゥオルの迅速さと慎重さの為だった。
 確かにモルゴスは彼等の逃亡に気づいており、それ故酷く立腹した。
 ウルモは遥かな海で彼等の為した行いについて聞き及んでいたが、彼等が川や水辺から隔たった場所にいた為に救う事が出来なかった――そう、彼等はまさに酷い渇きの中にあり、道も解らずにいたのだ。
 だが、荒野の魔法に囚われ長く混迷した旅路の果てに再び自分達の通った跡に出る事もしばしば、というような状況の中を1年以上彷徨った後に、再び夏が訪れ、彼等は遂に丘の近くの小川に出て、その流れを辿って幾分過ごし易い土地に辿り着き、僅かなりとも元気づけられた。
 此処では、ヴォロンウェが一行を案内した。
 晩夏のある夜、彼は小川の中のウルモの囁きに捕らわれたのだ――そして彼は、水音から非常に多くの叡智を得た。
 彼は、その小川が流れ込んでいるシリオン川まで一行を導いて来た。
 そこで、トゥオルとヴォロンウェはその地が古の逃れの道の出口から然程離れていない場所で、彼等が再び榛の谷深くにいる事を知った。
 其処では茂みはすべて踏み躙られ、木々は焼かれ、谷の壁には炎の爪痕が残されていた。
 彼等は、以前にトンネルの入り口で分かれた人々が辿った運命を思い嘆き哀しんだ。
 それから一行は、再びモルゴスに脅かされつつもシリオン川を下って行った。
 彼等はモルゴスのオークの群れと交戦し、ウルフライダーに殺されもしたが、炎の蛇はゴンドリンの攻略で火焔が枯渇した事と川が大きくなるにつれてウルモの力がますます強大になった事の双方により姿を現す事はなかった。
 そのようにして、長い日々の果てに――彼等はとてもゆっくりと進んでおり、糧食を得るのも非常に困難だったのだ――一行は柳の国の先に広がる広大なヒースの荒野と沼沢地にやって来た。
 ヴォロンウェはその地方について知らなかった。
 この地でシリオン川は雄大な地下水流となって騒がしき風の大洞窟に潜っていたが、薄暮の湖沼の上流、トゥルカスがモルゴス自身と戦った跡地で再び澄んだ流れとなっていた。
 トゥオルは、ウルモが葦の只中に彼を訪れた後に夜と夕闇の中この辺りを旅した事があったが、道を思い出す事は出来なかった。
 其処は、不毛でじめじめした土地だった。
 その為、一行は遅滞し、未だ秋であったが為に不快な蝿に苦しめられる事となった。
 一行の間には悪寒と熱が蔓延し、彼等はモルゴスを呪った。
 しかし、彼等は遂に柳の国の中で最も静かな地の端にあたる大きな湖沼へと辿り着いた。
 湖からの風は一行に静養と平穏を齎し、その地の快適さはこの大いなる陥落による死者の喪に服していた人々の哀しみを和らげた。
 この地で少女達や女性達は再び美しさを取り戻し、病は癒され、古傷の痛みは途絶えた。
 だが、人々はただ今尚鉄の地獄で苦々しい奴隷状態で生きている同胞を案じて、歌う事はおろか微笑みを浮かべる事もなかった。
 人々は長い間この地に留まり、エアレンディルはウルモの法螺貝の音がトゥオルの心を惹きつける以前に少年へと育っていた。
 トゥオルの海への憧れは、何年もの間に重苦しく深まる渇望となって蘇った。
 そして、人々は彼の命令で立ち上がり、シリオン川を海へと下って行った。
 グロールフィンデルの死を目にし、鷲の高巣を越えた民は800人近かった――彼等は大規模な旅団であり、とても豊かで美しい都の哀しき残存者でもあった。
 だが、数年を経て柳の国の草地を発って海へと赴いた者、春になって草原に金鳳花の花が咲く頃、グロールフィンデルの追悼に哀しい宴を行った者の数は、320人の男達と少年達、260人の女性達と少女達に過ぎなかった。
 女性の数が少ないのは、彼女達が隠れていたり血縁の者によって都の秘された地に匿われたりしていた為である。
 其処で彼女達は或いは焼かれ、或いは殺害され、或いは捕らえられて奴隷にされて、救助隊に発見された者はほとんどなかった。
 これは、考えるだに哀れな事だった。
 ゴンドリンの乙女達は太陽のように美しく、月のように愛らしく、星々よりも輝かしかったのだから。
 輝かしき誉れに包まれた7つの名を持つゴンドリンの都、その滅亡は地表のあらゆる都市の劫掠の中で最も恐ろしいものだった。
 バビロンでも、ニネヴェでも、トロイの町並みでも、人の世で最も偉大なローマによる数多くの侵掠でも、その日アモン・グワレスのノームの民に降りかかった程の恐怖を目にする事はなかった。
 この事は、モルゴスがこれまでに思い描いた悪行の中でもこの世で最も悪しきものと評されている。
 今では、ゴンドリンからの亡命者達は大いなる海の波が寄せるシリオン川の河口に暮らしていた。
 その地で、彼等はロスリム、花々の民の名を用いた。
 ゴンドリンの民の名は、彼等の心にあまりに辛いものだったのだ。
 そして、ロスリムの間で、エアレンディルは父の一族の者として麗しく育っていった。
 こうして、トゥオルの物語は終わりに近づきつつあった――。

ゴンドリンの陥落 了 


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