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ゴンドリンの陥落【6】
その時、蛇達の中でも最も長大な数匹が、霧の中でギラギラと光りながらやって来た。
トゥオルは必然的に無計画に戦いつつ、一行に駆け足で進むよう命じなければならなかった。
一方、グロールフィンデルは非常に多くの『金華』家の民が斃れていく中、断固として後衛を維持した。
そのようにして、彼等は泉の道を過ぎ、ガル・アイニオン、神々の座に辿り着いた。
其処は非常に開けた場所で、都の中で最も高い地の中程に位置した。
此処でトゥオルは一体の悪魔が立っているのを目にし、これ以上遠くへ進む望みが潰えたものと思った。
だが、良く見ると敵は既に弱りきっている様子で、付き従うものもなかった。
これは、不思議な事だった。
トゥオルは先頭に立って婚姻の場にやって来た。
するとどうだろう!其処にはイドリルが、かつて結婚式の日にしていたように髪を結わずに彼の前に立っているではないか。
彼の驚嘆は大きなものだった。
彼女の傍にはヴォロンウェ以外にはおらず、一方イドリルの眼差しは今はやや下方となった王の座に向けられていて、トゥオルをすら見てはいなかった。
この時、全ての民は立ち止まり、彼女の見つめる先、彼等の心が今尚留まるその場所を振り返った。
そうして、彼等は何故敵がこうも僅かしか追って来なかったのか、彼らの救いとなったその理由を知った。
何と!一匹の竜がまさに宮殿の階段でとぐろを巻き、その白さを穢していた。
一方、オークの群れは宮殿の中を隈なく捜索しては置き去りとなった女性や子供達を引きずり出し、或いは単独で戦っている男達を殺めた。
グリンゴルは大軍に縮み上がり、バンシルはすっかり黒く汚れて、王の塔は包囲された。
塔の上には王の姿が見て取れたが、麓付近には焔を噴出した鉄の魔物が鞭打ち据えつつ尾で周囲を薙ぎ払っており、バルログ達がその周りにいた。
王の家の者は大きな苦痛の只中にあり、恐怖の悲鳴が見守る者達の許まで届いた。
トゥアゴンの広間の略奪はこのような様子であり、また最も勇敢な王家の守備隊が敵の関心を惹きつけていた。
これによって、トゥオルは同胞に追いつき、今は神々の座に涙に濡れて立っていた。
その時、イドリルが口を開いた。
「お父様が今まさに塔の頂で滅びを待っている事が私に悲嘆を齎します。けれど、夫がモルゴスの前へと去り行き、2度と我が家に戻らないという事実はその7倍も哀しいのです」
彼女は、その夜の精神的な疲労により取り乱していたのだ。
トゥオルは言った。
「見なさい、イドリル!私だ、私は生きている。今から行って、父上をモルゴスの地獄から此処に連れて来よう」
妻の嘆きに猛り狂って、彼はそう言い様単独で丘を降って行こうとした。
だが、イドリルは涙の嵐の中心の平静を取り戻し、トゥオルの膝に取り縋って「貴方!貴方!」と呼びかけ彼を思い止まらせた。
そうして彼等が話している間にも、大きな騒音と叫び声が苦痛の場から上がった。
見よ、竜達が塔の基壇と其処にいた全ての人々を押し潰し、その為炎に浮かび上がった塔は焔の苦痛の中に崩れ落ちた。
この恐るべき崩落による轟音は凄まじく、ゴンドリンの民の王トゥアゴンはその中へと消えて去った。
この時をもって、勝利はモルゴスのものとなった。
イドリルは重々しく言った。
「哀しむべきは、叡智の目が曇ってしまった事です」
だが、トゥオルはこう言った。
「我等が愛した人々の不屈さもまた、哀しむべきものだ――たとえそれが、英雄的な過ちだったとしても」
それから、彼は身を屈めるとイドリルの顔を上げさせて口づけた。
彼にとっては、全てのゴンドリンの民より彼女が大切だったのだ。
だが、イドリルは父の為に激しく嘆き悲しんだ。
トゥオルは将達に向き直って言った。
「さぁ、我々は取り囲まれぬよう、この場から全速力で去らねばならない」
そして、彼等は直ちにあたう限りの速さで移動し、オーク共が王宮の略奪やトゥアゴンの塔の崩落への歓喜に飽く前に其処から遠く離れた。
今、彼等は都の南方にいて、一方では彼等以前にやって来て散在していた略奪者の群れと出くわした。
その一方で、敵の無慈悲さ故の炎と、それによってあらゆる場所が焼失しているを目にした。
彼等が出会った女性達の内何人かは赤子を連れており、また幾らかは家財を荷に積んでいたが、トゥオルは僅かばかりの食料以外の品を運び去らせようとはしなかった。
ようやく大いなる静寂が訪れると、トゥオルはイドリルがほとんど気を失わんばかりで話せなかった為、ヴォロンウェに状況を尋ねた。
ヴォロンウェは、戦闘の物音が大きくなり彼等の心を揺さぶっていた間、イドリルと彼がどのように屋敷の扉の前で待っていたかを語った。
イドリルは、トゥオルからの知らせがない為悲嘆に暮れていた。
ついに、彼女はそうして離れ離れになる事を嘆き悲しみながらも護衛のほとんどの者に緊急の命を持ってエアレンディルと共に秘密の道を下るよう急がせた。
彼女自身は、夫を喪った後の生など望まないと言って留まるつもりだった。
それから、彼女は集まっていた女性達と放浪者達の許に赴き、急ぎトンネルを下らせ、僅かな手勢の者達と共に略奪者達を打ち負かしていった。
何者も、彼女が剣を帯びる事を思い止まらせる事は出来なかったのだ。
とうとう、彼等はやや数の多い一団と出くわしてしまった。
幸運に援けられてヴォロンウェはイドリルをその場から連れ去ったが、他の者は全員が殺され、敵はトゥオルの屋敷に火をかけた。
だが、秘密の道は発見されなかった。
「この所為で」
ヴォロンウェは語った。
「姫君が疲労と悲嘆から取り乱し始め、闇雲に都に向かう事を私は懼れました――私は、彼女が興奮のあまり突撃してしまわないようにしなければならなかったのです」
こういった事を話しているうちに、彼等は南の防壁の、トゥオルの家の傍にやって来た。
するとどうだろう!屋敷は破壊され、残骸が煤けているではないか。
トゥオルはその場で激昂した。
しかし、オーク共の接近を告げる騒音が聞こえて来た為に、トゥオルは一行を出来る限り素早く秘密の道を下るよう急いで送り出した。
この時、階段のところでゴンドリンに別れを告げる亡命者の上に大いなる悲しみが下りた。
彼等は、しかし、丘を越えて生き延びる望みを持ってはいなかった。
一体どのようにしてモルゴスの手からすり抜けようというのだろう?
トゥオルは全員が入り口を通り過ぎた事を喜び、惧れが和らいだ。
実のところ、ヴァラールの恵みによる幸運があったからこそ、全ての民がオーク共に見張られずに中に入る事が出来たのだ。
其処で数人が残り、武器を手放して鶴嘴で道の入り口を塞ぎ、出来るだけ後から来る軍勢を遠ざけるべく精を出した。
だが、民が階段を谷間の平原へと下っている時には、都の傍にいる竜の炎の為に熱気は苦痛になっていた。
掘削はそれほど地中深くには達しておらず、彼等は本当にその近くにいたのだ。
大地の振動で緩んだ巨岩がたくさん崩れ落ちて砕け、大気中の有毒ガスの所為で松明やランプは消えてしまった。
此処で、彼等は先に行って殺された者達の死体に躓いて足を取られた。
トゥオルは、エアレンディルの身を気遣った。
彼等は、多大な苦痛と闇の中強行し続けた。
地中のトンネルで2時間近く、終わりが見えず、一方で両側は低く険しくなっている中で彼等は出口に向かっていた。
その後、遂に彼等はトンネルが開けている所まで進んで来て、かつては水が張っていた、だが今ではこんもりとした潅木の茂みに覆われている滝壺に慎重に出て行った。
此処にはイドリルとヴォロンウェが先に送り出した少なくはない数の混合した群集がいて、疲労と悲しみに秘めやかに涙を落としていた。
だが、エアレンディルは其処にはいなかった。
その為、トゥオルとイドリルは胸の裡で非常に悲しんだ。
彼等の傍の平原の中心、アモン・グワレスの丘の後ろに、微かに光る郷里の都市が在った辺りが炎を冠してぼんやりと現れ、人々の間にも悲しみが沸き起こった。
炎の蛇が都の付近にいて、鉄の魔物が門を出たり入ったりしており、バルログ達とオーク共の略奪は酷いものだった。
それでも、この事は大将達にとって幾許かの慰めとなった。
彼方での破壊行為に伴う騒ぎに行ってしまった為、モルゴスの軍勢は都のすぐ近くを除いて平原にはほとんど存在していなかったのだ。
「今のうちに」
それ故、ガルドールは言った。
「我々は夜明けが訪れる前に此処から環状山脈へ行かねばなりますまい。夏が近いゆえ、然程時間は与えられておらぬだろうが」
その時、多くの者がトゥオルがしようとしているようにクリストホルンに行くのは馬鹿げていると言い出して、意見の相違が生じた。
「太陽は」
彼等は言った。
「私達が麓の小さな丘に辿り着くずっと前に昇ってしまうだろう。そして、平原の只中で竜達と魔物達とに圧倒されるのだ。バッド・ウスウェン、逃れの道に行こう。それなら移動は半分で済むし、傷ついたり弱ったりした者でもその距離なら辿り着く望みがある」
一方、イドリルはこれに反論し、かつて探索より道を守っていた魔法を信頼しない宗主達を説き伏せた。
「ゴンドリンが陥落してしまえば、どのような魔法が持ち堪えるというのでしょう?」
それにも拘らず、大勢の男女がトゥオルの下を離れ、バッド・ウスウェンに向かった。
そして、モルゴスの謀略により、マイグリンの案内で外側の出口に配されていた怪物の顎に掛かり、誰一人として通り抜けて来なかった。
一方、残った者達は、夜目が利き日の光の下でも闇の中でも平原を知り尽くしている『樹木』の家の緑葉レゴラスに導かれ、疲労にも拘らず大変な速さで谷を越え、かなりの距離を進んだ後ようやく足を止めた。
もう2度とゴンドリンの美しさを目にする事のない悲しい夜明けの灰色の光が地上の全てを包んでいた。
しかし、平原には靄が充満していた――不思議な事に、これまでは1度も霞や霧がかかった事はなかったのだが。
おそらくこれは、王の泉が滅びた際に発生したものだった。
再び彼等は立ち上がり、霞がかった大気の中では丘や廃墟と化した壁から彼等を見つけ出すには既に遠過ぎる場所まで霧に包まれて安全の内に下って来た。
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