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ゴンドリンの陥落【5】
ここで、トゥオルは大いなる泉の水を口にし、活力を取り戻した。
そして、エクセリオンの兜を緩めて彼に水を飲ませ、顔に水飛沫をはねかけると、彼は昏睡から目醒めた。
それから、トゥオルとグロールフィンデルの2人の領袖は広場を一掃すると、全ての民を入り口から引き戻し、ひとまず南方のみを除いて防壁で彼等を取り囲んだ。
まさにこの時、残しておいたその領域からイガルモスがやって来た。
彼は、防壁の上で部隊を指揮していた。
だが、もう大分前から胸壁からの射撃より通りの近くで直接攻撃を行うよう指示すべき情勢にあると考えていた彼は、『門』と『燕』の幾許かの者達を周囲に集めると、手にしていた弓を打ち捨てた。
それから都の側まで行って、敵の部隊に遭遇する度に強烈な攻撃を与えた。
この働きによって、彼は虜囚となっていた多くの隊を救出し、追いやられ、或いは逃げ惑っていた少なからぬ人々を集め、王の広場まで激しい戦闘を繰り広げつつ辿り着いた。
彼が討死してしまったのではないかと懼れていた人々は、喜んで彼を迎え入れた。
イガルモスに連れて来られたり、自ら集ったりしていた全ての女性と子供達は王の広間に収容され、それぞれの家の戦士達は最期の時に備えた。
少数ではあったが、数ある名家の中で『憤怒の槌』を除く全ての軍勢が幾らか残っており、王家のそれには未だ手をつけられていなかった。
これはけして恥ずべき事ではなかった。
彼等の役目は、最後まで戦力を維持し、王を守護する事にあるのだから。
だが、モルゴスの兵士達は戦力を結集し、バルログを背に乗せオークの群れを従えた7匹の竜が王の広場を目指して北方と東方の全ての道を下って来た。
障壁では大虐殺が起こり、イガルモスとトゥオルは守備隊のあちこちに出向いたが、エクセリオンは泉の傍に横たわっていた。
この時の守りは、記憶に留められている全ての歌や物語の中で最も頑強で勇敢なものだった。
やっとの事で、竜の一匹が北側から障壁を焼き払った。
其処はかつて薔薇の小道の入り口で、散策するにも観賞するにも素晴らしい場所だったが、今では騒音に満ちた陰鬱なただの路地となってしまった。
トゥオルは獣の道を阻んで立っていたが、イガルモスから引き離され、泉に近い広場の中心にまで押し戻されてしまった。
彼は息も出来ないような高熱の為に弱り、大いなる悪魔、モルゴスの息子、バルログの長たるゴスモグに打ち倒された。
だが、見よ!
エクセリオン、灰色の鉄の如き蒼白な顔色で盾持つ腕を弱々しく吊った彼が、跪くようにしてトゥオルの上に跨って立ったではないか。
このノームは魔物を追い払ったが斃すには至らず、それどころか剣持つ腕に傷を負い、武器を取り落としてしまった。
その直後、『泉』の家の主にしてノルドオルの中で最も公明なエクセリオンは、今まさに鞭を振り上げたゴスモグに全力で飛び掛ると、1つの角を持つ兜をその悪魔の胸に打ち込み、足を敵の太腿に絡みつかせた。
バルログは、喚き声を上げて前に倒れ込んだ。
2人は、王の泉のとても深い水盤に落ちた。
其処でバルログは自身の破滅を見出し、鋼を纏ったエクセリオンは深みへと沈んでいった。
こうして、『泉』の主は炎の如く苛烈な闘いの後に、冷たき水の中にて死を得たのだった。
エクセリオンの攻撃によって生じた隙を突いて立ち上がったトゥオルは、麗しき『泉』のノームを愛するが故に、彼の偉大な行為を目にして涙を流した。
しかし、戦闘の最中に置かれた彼は、王宮近くの一族の許まで辛うじて道を切り開いた。
軍勢の司令官であるゴスモグの死による恐怖で敵軍が浮き足立っているのを目にして王家の人々は攻撃に転じ、王もまた彼等の中に壮麗に降り来たって共に敵を斬り倒した。
彼等は再び広間のほとんどから敵を追い払い、40体ものバルログを倒した。
これは、まさに非常に素晴らしい武勇だった。
だが、彼等は更に偉大な事を成し遂げた。
燃え盛る火焔にも拘らず炎の竜を取り囲んで泉の中に追いやり、それによって竜を斃したのだ。
しかしながら、これが清浄な水の最期となった。
泉の水は蒸気と化し、湧き水は干上がって2度と天に向かって噴き上がる事はなかった。
一方でかなり巨大な水蒸気の柱が空へと立ち上り、そこから生じた雲が全土に漂った。
泉が終焉を迎えた事により、恐怖が全ての人々に襲い掛かった。
広場は火傷するほどまでの熱を持つ霞と視界を奪う濃霧とで満たされ、王家の民はその中で熱と敵と悪しき蛇と、そして互いとによって殺められた。
だが、彼等の集団が王を救ったし、グリンゴルとバンシルの下に再結集された部隊もあった。
その時、王が言った。
「大いなるはゴンドリンの陥落である」
人々は戦慄した。
それは、古の預言者アムノンの言葉だった。
だが、トゥオルは王への愛と慈悲故に激しく叫んだ。
「ゴンドリンは未だ持ち堪えております。それに、ウルモはこの都に滅びを蒙らせはしない筈です」
かつてウルモの使命を語った時の如く、この時トゥオルは『樹木』の民の側に立ち、王は階段の上に立っていた。
しかし、トゥアゴンは応えて言った。
「私はウルモを無視して平原の花々に厄災を齎した。今や、ウルモは都を炎の中に消え行くに任せるのだ。見よ!我が心に、美しき我が都への望みは潰えた。だが、ノルドオルの子供達は永遠に打ち負かされる事はないだろう」
側で起立していた多くのゴンドリンの民は武器を打ち鳴らしたが、トゥアゴンはこう語った。
「滅びに向かって闘うなかれ、我が子等よ。もし時が許すなら、汝等は危険から逃れる事を求めよ。トゥオルに従うが良い」
一方、トゥオルは告げた。
「王は貴方です」
トゥアゴンはこう応えた。
「私は、これ以上振るうべき攻撃を持たぬ」
そうして、彼はグリンゴルの足元に王冠を投げ捨てた。
其処にいたガルドールが王冠を拾い上げたが、トゥアゴンはそれを受け取ろうとはせず、頭上に何も戴かぬまま王宮の傍に立つ尖塔の頂へと上って行った。
その場所で、彼は山々に響き渡る角笛のような声で叫んだ。
霧に包まれた広場で塔の下に集まっていた『樹木』の民と敵の全員がそれを耳にした。
「大いなるは、ノルドオルの勝利である!」
それは真夜中の事で、オーク達は嘲笑して罵声を上げたと言われている。
人々は突撃について語りながらも決定を下しかねていた。
多くの民は、敵を押し分けて進む事も平原を越えるなり丘を抜けるなりする事も不可能なのだから、王の傍で果てる方が良いという意見だった。
だが、トゥオルは数多くの麗しい女性達や子供達が最後の手段として同族の手にかかって命を落としたり敵の武器によって殺されたりする事を良しとせず、トンネルの掘削と秘密の道について話した。
そして、トゥアゴンに心を変えて彼等の許に赴き、残存者を南の壁にある小道の入り口まで率いてくれるよう懇願する事を提案した。
一方で、彼自身は防壁に行ってイドリルとエアレンディルがどうしているか知りたいと、若しくはゴンドリンが占領された以上速やかに退去するよう命じる使いを出したいと強く熱望していた。
トゥオルの計画は、君主達には実に向こう見ずなものに――トンネルの狭さと、其処を通らねばならない集団の規模からして――思えたが、彼等はこの難局に乗り出す事を厭わなかった。
しかし、トゥアゴンはこれに耳を傾けず、取り返しがつかなくなる前に発つよう命じた。
「トゥオルを指導者とし、彼に率いらせよ」
彼は言った。
「だが、私トゥアゴンは我が都を去る事はせぬ。都と共に燃え堕ちようぞ」
その後、彼等は再び塔に伝令を送って語った。
「殿、貴方が斃れてしまわれては、誰がゴンドリンの民と言えましょう?我々を導いてください」
だが、トゥアゴンは応えた。
「我は此処に留まるぞ!」
そして3度目に送られた使者にトゥアゴンはこう告げた。
「私が王だというであれば、我が命に従え。これ以上、敢えて私の下した指令について討議する事はない」
この後、彼等はそれ以上使者を送ろうとはせず、虚しい企ての準備を始めた。
だが、未だ命ある王家の者達は動こうとはせず、王の塔の下に結集した。
「此処に我々は留まろう」
彼等はそう言った。
「王がこの場を離れぬ限り」
そうして、彼等を説得する事は叶わなかった。
今、トゥオルは王への敬愛とイドリルと息子への愛との間で激しく引き裂かれ、為に心を取り乱していた。
だが、獣達は死者と死にかけた者とを踏み躙って広場の近くまで来ており、敵は最後の総攻撃の為に霧の中で集っていた。
選択は為されねばならなかった。
そして、宮殿にいる女性達の嘆きとゴンドリンの民の悲痛な生存者達への大いなる慈悲によって、トゥオルは哀れを誘う一行、少女達、子供達と母親達の全てを集めると彼等を中央に整列させ、兵達に出来る限り彼等を囲むようにさせた。
トゥオルは、彼自身は後衛として最善を尽くして戦いつつ南へと退却する事を目指し、民を後方と側面から最も遠い位置に配置した。
そして、できる事なら敵の大軍が妨害に送り出される前に泉の道から神々の座へと下って行こうとした。
彼の考えは、流水の道に沿って南の泉を過ぎ、防壁と彼の家に向かうというものだった。
その一方で、トゥオルは秘密のトンネルの通路について非常に心配していた。
彼の動きを密かに見張っていた為に、敵軍は彼が撤退を開始するとすぐさま甚だしい猛攻撃を左側面と後方――東と北――からしかけた。
しかし、彼の右側面は王の広間に護られており、縦隊の先頭は既に泉の道に少しずつ入りつつあった。
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