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ゴンドリンの陥落【1】
その年は冬が深く、トゥムラデンの平原を霜が覆い池には氷が張るなどその地方にしては随分寒さが厳しかったが、アモン・グワレスの泉は尚も湧き、2つの木に花は咲き、人々はモルゴスの胸に秘められた恐怖の日がやって来るまで陽気に過ごした。
このようにして厳しい冬が過ぎ、環状山脈にはかつてないほど深く雪が降り積もったが、驚くほど輝かしい春になると山々の裾を白く覆っていた雪は溶け、谷間に水は溢れ、花々が咲き乱れた。
ノスト・ナ・ロシオン即ち花々の誕生を祝う祭りが子供達の歓びと共に過ぎると、ゴンドリンの民の心は良き1年が約されたものと高揚し、遂にタルニン・アウスタ夏の門の大祭が迫った。
周知の通り、その夜は厳粛な儀式が真夜中に始まってタルニン・アウスタの日が明けるまで続き、深夜から夜明けまで一言も発せずに過ごすしきたりだったが、暁になると彼等は古の詩歌と共に歓呼の声を上げるのだった。
幾多の歳月の間、夏の訪れはこのように輝ける東の壁にて歌と音楽とに迎えられてきた。
そして今まさに祈りの夜は訪れ、街は銀のランプに満たされた。
新緑を纏った木々の並木には色とりどりの宝石を鏤めた灯りが吊るされ、道に沿って低く音楽が流れていたが、夜明けまでは誰ひとりとして歌う者はなかった。
太陽が丘の向こうへと沈み、人々は喜ばしく熱望していた祝祭の為に盛装し、期待を込めて東の方を見遣った。
するとどうだろう!太陽が去り、すべてが闇に包まれたにも拘らず、突然新たな光が灯り、次第に大きくなっていった。
だが、その光は北の高みを越え、壁と胸壁とを通り抜けてきていたので、人々は不思議に思った。
不審は光が増大し赤くなっていくにつれて疑惑となり、疑惑は人々が山々を覆う雪が血に染まるのを目にした時、恐怖へと変わった。
このようにして、モルゴスの炎の妖魔がゴンドリンに現れた。
それから、平原を越え、騎士達が頂で未だ祈り続ける人の波をかき分け、息を切らせてやって来た。
彼等は、炎の主と竜のような影について語り、こう言った。
「モルゴスが我等の許へやって来る」
大きな恐怖と哀しみが美しい街に広がり、大通りにも小道にも囁きを交わす女性と泣き叫ぶ子供が溢れ、兵が招集された広場には軍団が集った。
其処にはゴンドリンのすべての家系とその一族の輝かしい旗が閃いていた。
荘厳なのは王家の装束に身を包んだ一団で、彼等の纏う色は白と金と赤、その紋章は月と太陽と緋色のハートだった。
今、彼等の中央の高みにトゥオルが立っていて、その鎧は銀色に輝いていた。
彼の周囲は人々の中でも最も屈強な者達が護りを固めていた。
見よ!彼等は全員が白鳥か鴎の羽を兜に飾り、盾には白き翼の紋章があった。
同じ場所にマイグリンの一族も引き連れられていたが、彼等の武具は黒色で何の徽章も紋章も帯びず、丸い鉄の帽子はモールスキンで覆われていて、彼等はつるはしに似た双頭の斧で戦った。
ゴンドリンの公子マイグリンは、暗い顔つきに顰め面で彼を見つめる多くの兵を集めていた。
兵達の顔は紅潮し、磨き上げられた武具の表面はぎらぎらと輝いていた。
見たまえ!北方のすべての丘は燃え立ち、炎の川が坂を流れ落ちるかのようにトゥムラデンの平野へと流れ込み、為に人々は既にその熱を感じていた。
他にも、多くの一族が在った。
『燕』と『天の門』の一族、それにこれらの民の中から多くの優れた射手達がやって来て、壁面の広く見通しの良い場所に配置された。
『燕』の家の民は羽毛の扇を兜に飾り、白と暗い青を纏い、盾には紫と黒の地に鏃が配されていた。
彼等の家長はドゥイリンで、走ったり駆けたりする事にかけては誰より素早く、的を射る腕は最も確かだった。
一方、数え切れないほどの富を持つ『天の門』の一族は華やかな色彩を纏っており、彼等の武器には天空の光に照り映える宝石が嵌め込まれていた。
その軍勢のすべての盾は天上の青で、その装飾突起にはルビー、アメジスト、サファイア、エメラルド、クリソプレイス、トパーズ、琥珀の7つの宝石が配され、兜には大きなオパールが嵌め込まれていた。
イーグルモスが彼等の隊長で、水晶の星を縫いとめた青いマントを身につけており、彼の剣は湾曲していたが――ノルドオルで彼以外に弧を描いた剣を身に帯びる者はなかった――、彼は剣よりもむしろ弓を好み、その上その軍勢の誰よりも遠くに矢を飛ばす事が出来た。
『支柱』と『雪の塔』の一族もいて、彼等はノームの内で最も丈高いペンロドに率いられていた。
『樹木』の族、彼等は大きな一族で、その装いは緑色だった。
彼等は鉄の棘のついた棍棒か投石器を用いて戦い、その首長であるガルドールはトゥアゴンを除くすべてのゴンドリンの民の中で最も勇敢な者とされていた。
放射状に輝く太陽を盾に描いた『金華』家の民もおり、主公のグロールフィンデルは春の野の如くに菱形模様をあしらった金鳳花の花を金糸で刺繍したマントを纏っていて、彼の武器には精巧な金の象嵌が施されていた。
それから、都の南から『泉』の民がやって来た。
エクセリオンが彼等の主であり、銀とダイアモンドとが彼等に歓びを与えた。
彼等の剣は非常に長く、彼等がそれを振るう度蒼白く輝いた。
彼等は、フルートの音に合わせて戦場へと赴いた。
彼等の後方からは、『竪琴』の一族の人々が来た。
彼等は勇敢な戦士の一団だったが、統率者のサルガントは臆病で、マイグリンに諂っていた。
彼等は金と銀の房で装っており、紋章には黒地に銀の竪琴が見られたが、サルガントのそれは金だった。
彼は、すべてのゴンドリンの民の戦いにただ馬を乗り入れるだけで、ぎこちなく身を潜めていた。
そして、最後に現れたのは『憤怒の槌』の民からなる軍団で、彼等の多くは優れた鍛冶や細工職人であり、他のどのアイヌアよりも鍛冶のアウレを崇拝していた。
彼等は金鎚に似た槌鉾で戦い、強い腕力を持っていた為にとても重い盾を用いた。
古の時、彼等の多くはモルゴスの鉱坑を逃れてノルドオルに受け入れられた。
それ故この一族のモルゴスの悪しき所業と彼の妖魔であるバルログへの憎しみは異様なまでに強かった。
彼等の首領はログで、ノームの中でも『樹木』の一族のガルドールと比してさえほとんど遜色のない強さを誇っていた。
彼等の徽章は打ち鳴らされた鉄床で、盾には火花を散らす金鎚が描かれ、赤味の金と黒い鉄を好んだ。
軍団は非常に大勢で、彼等の間には怯懦心もなく、破滅に抗って闘ったすべての素晴らしい家々の中で最も偉大な栄光を勝ち取った。
彼等は悪しき運命の下でさえ誰一人戦場から逃げ出そうとはせずにログの傍らで斃れ、大地に消えていった。
そうして彼らと共に多くの職人の業と技術とが永遠に喪われたのだ。
これが、ゴンドリンの11の家々の徽章と紋章を伴った衣服と装備であり、トゥオルの近衛を務める『翼』の一族は12番目に数え上げられた。
隊長であるトゥオルの顔は険しく、生き長らえられるとは思えなかった。
壁の上の彼の家では、イドリルが鎧を身につけてエアレンディルを探していた。
エアレンディルは、彼が眠っていた寝室の壁にちらつく奇妙な赤い灯と、時折胸に沸き起こっては心を病ませる気まぐれによって激し易いモルゴスに加担した子守のメレスが創り上げた物語の所為で涙に暮れていた。
だが、彼の母親が来て密かに誂えさせておいた小さな鎖帷子の上着を着せると、今度はとても満足して喜び、嬉しさに声を上げた。
イドリルは、彼女がとても大切に思っていた美しい都や素晴らしい家、其処に宿ったトゥオルとの愛情を思って嘆き哀しんでいたが、間近にそれらが破壊される光景を目にすると、彼女の目論見が悪しき者の恐怖の圧倒的な力の前で費えるのではないかという恐れを抱いた。
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