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 ゴンドリンの陥落【序】


 ノルドオル族フィンウェ王家のフィンゴルフィンの息子「賢者」トゥアゴンは、水の王ウルモの勧めにより環状山脈の中にあるトゥムラデンの隠れた谷間に美しい都を築いた。
 麗しきティリオンの都に倣って建てられたこの都は『水の音なう岩山』オンドリンデと名づけられ、後にゴンドリン即ち『隠れ岩山』と称される事となった。
 海辺の都ヴィンヤマアルを去ってゴンドリンへと向かうトゥアゴンに、ウルモは来るべき危機への予言と警告を与えた。
 曰く「汝の手の仕事、汝の心の策にあまりに執着するなかれ」「真の望みは西方にあり、大海よりもたらされるものなれば」「やがて来る危機を知らせ、滅亡と大火とを超えてエルフと人間にとっての望みを生じる者の身の証に武具と剣を残し行け」
 高き山々に囲まれ水の王の加護を受け、ゴンドリンは長き栄と喜びの時を得た。



 ゴンドリンの完成から200年程経ったある時、トゥアゴンの妹アレゼル・アル=フェイニエルは防備高い都への倦怠と広大な大地や森へ焦がれる想いから王の説得を振り切って都を立ち去った。
 彼女はナン・エルモスの昏き森にて優れた鍛冶の腕を持つ「暗闇エルフ」エオルの魔法に囚われ、彼の妻となった。
 2人の間には息子が生まれ、アレゼルによってノルドオルの言葉で『薄明の子』ローミオン、エオルには『鋭敏なる眼』マイグリンと名づけられた。
 マイグリンは父と同じくドワーフの都を訪ねてはその技を学んだが、彼の愛はむしろ母へと向いており、彼女の語る同族の事、とりわけトゥアゴンに世継ぎがいないという事実に強い関心を示すようになった。
 やがてアレゼルがゴンドリンへの帰還を望むようになった事もあり、マイグリンはエオルの反対を押し切り、彼の留守中に密かにナン・エルモスの森を後にした。
 彼等は無事ゴンドリンへと辿り着き、喜びを持って出迎えられたが、怒れるエオルもまた2人を追ってゴンドリンまでやって来た。
 トゥアゴンはゴンドリンの秘密を守る為都への道を見出した者が再び外界へと出る事を禁じていたが、エオルはこれを拒み、自ら死を選ぶと言い放つと同時に息子への所有権を主張し、マイグリンを道連れにしようと隠し持っていた槍を投げつけた。
 この槍は息子を庇ったアレゼルの肩に刺さり、そこに塗られた毒によって彼女は命を落とした。
 エオルはその行いにより王の怒りを買い、ゴンドリンの丘の北側、黒い岩の断崖カラグドゥアより投げ落とされた。
 彼は死の直前、マイグリンに呪いを残した。
 「この地でおまえはすべての望みを失い、私と同じように此処で死ぬが良い」
 しかし、アレゼルを都へと連れ戻したマイグリンはトゥアゴンの覚えもめでたく、その後ノルドオルの諸卿の中でも最も力ある者の1人にのし上がった。
 彼はゴンドリンの最も美しい宝である王の娘『銀の足』イドリル・ケレブリンダルを愛し、彼女を手に入れる事でより大きな権力を得る事を望んだが、イドリルは従姉弟という近い血族と結ばれる事を奇異と思うエルダアルの考え方に加え彼への愛がなかった事、彼の秘めたる野望への不審の念などから彼を疎んだ。
 それ故、マイグリンの愛は彼の心に闇をもたらし、禍いの種子となった。



 ゴンドリンの建国から350年余り後の嘆きの年に、トゥアゴンは唯一度モルゴスとの戦いの場に兵を率いて出陣した。
 「涙尽きせぬ戦い」と後に呼ばれる事となるこの大戦に於いてトゥアゴンの兄である上級王フィンゴンは討死し、味方は敗北を喫した。
 兄を継いで上級王となったトゥアゴンに、幼少の頃大鷲に連れられてゴンドリンの都を訪れ、今はフィンゴンに従っていたフオルは、死に逝く者の目で見た未来を予言し、こう告げた。
 「今しばらくゴンドリンが倒れずにあれば、殿の家からエルフと人間の望みが――殿と私とから新たな星が生じるでしょう」
 彼の言葉は王の傍に侍していたマイグリンの記憶に刻まれる事となったが、ともあれトゥアゴンはフオルの忠告を容れてエクセリオンとグロールフィンデルに護られて退却し、再びモルゴスの眼から遁れたのだった。
 フオルはトゥアゴンの殿後を護って斃れたが、彼の息子であるトゥオルはやがて予言通りエルフと人間の望みを導く者となった。



 水の王の導きにより、数多の艱難辛苦を乗り越え、トゥオルはかつてトゥアゴンの住まうたヴィンヤマアルの都へと辿り着き、彼の為に残された盾と鎖帷子、剣と兜を見出した。
 予言された武具に身を鎧って海岸に出た彼に、水の王はノルドオルの運命を告げ、ゴンドリンの探索を命じる。
 トゥオルはトゥアゴンが西方に送り出した使者の中で唯一水の王の采配で生き延びたゴンドリンのエルフヴォロンウェと出会い、彼の案内で遂に隠された王国へと辿り着いた。
 上級王トゥアゴンの面前に立ったトゥオルの口からは、水の王の警告が与えられた。
 「ノルドオルすべてにかけられた呪いの成就されるべき時は迫った。都を捨て海へ、西方へ向かえ」
 トゥアゴンはかつて水の王より与えられた予言を忘れてはいなかったが、結局は彼の矜持と遠きティリオンの都を偲ばせるゴンドリンへの執着とによって忠告を拒み、都を閉ざして外界との接触を禁じた。
 トゥオルはゴンドリンの都に留まり、やがて伝承と叡智を身につけた彼は王の娘イドリルに思慕を寄せ、同じように彼に想いを寄せるようになった彼女と結ばれるに至った。
 彼は王の寵愛を受けていたし、トゥアゴンはまた「涙尽きせぬ戦い」に於いてフオルが遺した言葉を覚えていたのだ。
 この喜ばしい出来事は、しかし、王の甥マイグリンがトゥオルに抱いていた憎しみを強める事となった。
 彼は愛情と権勢欲の双方から王の唯一の後継者たるイドリルを我がものにしたいと望んでいたのだ。



 トゥオルとイドリルの間には半エルフのエアレンディルが生まれた。
 彼はエルダアルの美しさと智慧、古の人間の力と不屈さを併せ持っていた。
 この頃、ゴンドリンは喜びと平和に満ち溢れていたが、先見の明を持つイドリルは心に兆した不安の為に秘密の道を用意させるよう手配した。
 彼女の予感は、やがて現実のものとなる。



 エアレンディルが幼い頃、マイグリンが行方知れずになった事があった。
 採掘や採石を好む彼は、王の言いつけを破ってしばしば環状山脈の外へと出かけていたのだ。
 オーク共に捕らえられ、モルゴスの本拠地アングバンドに連れ去られたマイグリンは拷問に屈し、ゴンドリンの場所と其処を見出し襲撃する術を明かす事で生命と自由を贖った。
 モルゴスは、ゴンドリン陥落の暁にはマイグリンにこの都を統治させイドリルを与える事を約し、都を襲う際に内部から手引きさせる手筈を整えて彼を送り返した。
 これこそ、上古の歴史の中で最も忌むべき裏切り行為の発端であった。


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