運命の流れが一巡りした時〜ハルディア〜
横 顔-8-


 彼らが旅立った後のロスロリアンは、慌ただしく時間が過ぎて行った。
 翌日に、モリアで亡くなった筈のミスランディアが、思いがけず白の魔法使いとして現れ、殿と奥方と長い間、話し合っておられた。
 ミスランディアが去った後は、エルロンド卿の使者が頻繁に出入りする様になった。(使者と言っても、それは鳥を使ったものなのだが)
 やがてローハンの危機が伝えられ、エルフの援軍が送られる事が決定した。
 私がその軍の長として、彼らを率いてヘルム峡谷へ向かう事になった。
 ロスロリアンが旅の仲間達を匿った事がサウロンに見抜かれるのも時間の問題の今、何時攻撃されるやも知れぬ時に、ここを離れるのは心苦しかった。
 だが私は行かねばならなかった。我が主君・ガラドリエル様の為に…。――否、愛しいレゴラスの為に。
 彼と共に戦い、彼を守って死ねたら本望だ。ロリアンエルフとしてでなく、愛する者を守る一人の男として。
 多分、これが私の最初で最後の我が儘だろう。
 出発の日。弟達が準備を手伝いに来てくれた。
 誰も一言も発せず、淡々と儀式を進めている様だった。ただ聞こえるのは、ロスロリアン中に響き渡る、ガラズリムの歌う歌ばかりだ。
 髪を結って貰っている最中、弟のその手が止まった。
《泣くな、ルーミル。私は決して、死ぬ為に行くのでは無いのだから》
 私には長年、ガラドリエル様に仕え、ロスロリアンの近衛隊長として外敵と戦い、幾多の戦を経験して来た実績と自負がある。
《…判っております。ですが…》
 ルーミルは袖口で、涙を拭った。
《私を笑顔で送り出して欲しい》
 私の心はやけに落ち着いていた。
 髪を終え、鎧を身に付ける。
 久しく使われなかった鎧は、丁寧に磨かれており、身に付けると私の身体に吸い付く様に、やけにしっくりと馴染んだ。
 多くのガラズリムに見送られ、ガラドリエル様、ケレボルン様、エルロンド卿、そしてスランドゥイル様の御旗を掲げ、我々はヘルム峡谷へ向かった。
 昼夜問わずして、我々エルフの軍隊はヘルム峡谷へと進んで行く。
 何としても、アイゼンガルドの黒い軍隊より早く着かねばならなかった。
 そして日が沈んだ頃。ヘルム峡谷に辿り着いた。
 砦で戦の準備が進められている様子が、外からでもよく判った。
《開門の角笛を鳴らせ!》
 角笛城へ続く石橋を渡って来る我々を見て、ローハンの兵士は半ば呆然と見つめていた。
「開門! 王へお知らせしろ!!」
 城門をくぐると、ローハンのセオデン王が、信じられないと言った表情でやって来た。実際、口にした言葉も、その通りのものだったが。
「…信じられん。エルフが…まさか」
 私はエルフ式の礼をし、エルロンド卿からの伝言を伝える。
「裂け谷のエルロンド卿より伝言です。『かつて、我々エルフと人間は同盟を結び、共に戦い、倒れた仲。盟友への忠誠を果たしに参りました』」
 石段を駆け降りて来る音がし、視線を移すと、現れたのはアラゴルンとレゴラス。
《ハルディア! 君達を歓迎する!!》
 アラゴルンは私達を見た途端、嬉しそうに…、そう、本当に心から嬉しそうに私を抱き締めた。
 先のロスロリアンでの事があったから、私はその行為に戸惑った。しかし――
 あぁ、そうか…。
 人間の、いやアラゴルンのこの純粋で美しい心。これに彼は惹かれたのだ。私には持ち得ないものに。
 かつて、《希望》の名で呼ばれた少年は、今も尚、人々の希望なのだ。そして、彼にとっても…。
 私もアラゴルンを抱き締め返した。
 私の中にあった、ドロドロとした彼への嫉妬心も、レゴラスへの未練も全て洗い流され、純粋に、彼等と共に戦える事が嬉しくなった。
 レゴラスも私に歩み寄り、腕を掴む。
「…ハルディア。まさか、あなたが…」
 少し俯いて、嬉しそうにそう言ってくれた。
 その表情も口調も、見た事もない穏やかなもので、私が望んでいた笑顔だった。
 そう、この笑顔が見たかったのだ。
 あなた方、旅の仲間がロスロリアンを出発してから、さほど日は経っていないはずだ。この短期間に、何があったのかは判らないが、やはりこの旅は、あなた自身を変えていたのだ。
「再び、共に剣を抜き、戦える事を誇りに思う」
 セオデン王にそう告げると、アラゴルンが我らを城内へ案内する。
《時間が無い。間もなく敵はやって来る》


←BACK NEXT→