運命の流れが一巡りした時〜ハルディア〜
■横 顔-7-■
目を細めてそう言うと、部屋を仕切っているカーテンの向こうへ消えて行った。
「レゴラス…!」
私はレゴラスの後を追う。そして後ろから彼の腕を掴んだ。
掴んで引っ張った拍子に、マントがパサリと音を立てて落ちた。
振り返った彼の顔を覗き込み、こう問う。
「何故、彼なのです? あなたにはグロールフィンデル様が居る筈だ。何故…アラゴルンなのです?」
レゴラスは腕を掴む私の手を取り、自分の腕から外す。
「何故? それは彼が、あの女のものだからですよ。私はね、ハルディア。他人のものが欲しいだけなんですよ」
そう言って、小首を傾げて笑うと、更に奥の寝室へ向かう。
「では何故、あの時、彼の名を呼んだのです?」
レゴラスは立ち止まり、振り返ると私を鋭い視線で睨み付ける。
「――何故、彼に助けを求めたのです?!」
それには答えず、荒々しい歩調で奥へ行こうとするのを再び捕まえる。
「何故、答えて戴けないのです…?」
後ろから彼の華奢な身体を抱き締め、その肩に顔を埋める。
レゴラスは大きく深呼吸して、私の方へ顔を向けた。
「……独り善がりの推測は止めて下さい、ハルディア。私はアラゴルンに、助けを求めた覚えはありませんよ?」
否、あなたは確かにあの時、アラゴルンに助けを求めていた。
私は顔を上げ、レゴラスを見た。
「あなたはアラゴルンの身代わりに過ぎない」
レゴラスの碧い目は、冬の早朝の湖に張る氷の様に冷たく、その言葉と共に私の心に突き刺さる。
私は彼の身体を解放した。
しばしの沈黙が、二人の間を流れる。
「……彼を、…アラゴルンを愛しているのですか?」
「いいえ」
「では、グロールフィンデル様は?」
「いいえ。確かにあの方との関係は、長いですけど」
「では、あなたの心は、一体何処にあるのです?」
私には、“レゴラス”が判らなくなっていた。(かと言って、今までも充分理解していた訳ではなかったが…)
「…さあ? 私もシルヴァン・エルフの端くれですからね。心の奥底では、ヴァリノールを求めてますけど」
レゴラスは不敵な笑みさえ浮かべていた。
私はあなたと、こんな言い合いをしたい訳ではない。
「あなたはいつもそうだ。そうやって、ご自分の心を偽っておられる」
俯いて眼を閉じた途端、涙が落ちた。それを合図に、次々と熱いものが私の頬を伝って落ちて行く。
「…そうですね。あなたの言われる通りですよ。私の生は、虚偽と空虚で塗り固められている」
先程までの口調とは打って変わって、穏やかにそう言うと、その手で私の頬を包み込む。指先の冷たさが伝わると同時に、別の何かが触れて来た。
レゴラスの唇が、私の流した涙をすくっていた。
「でもね、ハルディア。誤解しないで下さい。アラゴルンの純真さ、グロールフィンデル様の誠実さ、そしてあなたの実直さ。私は嫌いではありませんよ」
レゴラスは微笑んでいた。
その言葉と笑みで、私は救われた様な気がした。
私は結局、レゴラスの笑顔が見たかっただけなのかもしれない。
二千年前。あなたを初めて見た時の情景が甦って来た。
純白のエルフの衣装に身を包み、父王の一歩後ろを付いて行くあなた。その表情に感情は無く、まるで意に沿わぬ相手と、婚姻を交わす花嫁の様だった。そんなあなたを、私は救ってあげたかったのだ。
それは今も変わる事はない。否、これからもずっと…。
その夜。レゴラスの腕の中で、彼が母親から教わったと言う、闇の森がまだ緑森大森林と呼ばれていた頃から伝わる歌を、子守歌替わり眠った。
仲間達の元に戻ったレゴラスは、それから数日を過ごし再び旅立って行った。