運命の流れが一巡りした時 〜ハルディア〜
横 顔-2-

 あの宴からどれだけの月日が経ったのだろう。
 スランドゥイル様やグロールフィンデル様には何度かお逢いしたが、彼には一度も逢う事は無かった。
 ところがある日、ガラドリエル様に裂け谷に住まう孫娘・ウンドミエル様への遣いを頼まれたのだ。そして渡された幾つかの品物の中には、ケレボルン様よりスランドゥイル様へ宛てた書状と、最高級ワインも含まれていたのだ。
 自然と心が踊った。
 一刻も早く、彼に逢いたかった。あの美しい姿を見たかった。
 そして。
 何百年振りに拝見した姿は、以前と全く変わる事無く…いや、以前にも増して美しくなっていた。
 歓迎の宴が催され、父王の隣りで城の高官らしきエルフと談笑しながら静かに微笑む彼は、何処か憂いている様に見えた。
《兄上は緑葉の君を、大層お気に召したと見える》
 冗談めかして私に話し掛けて来たのは、この旅に同行して来た弟・オロフィンだった。
《何を…》
《先程から上の空で、あの方ばかり気にしておられる》
 そう言って、チラリとレゴラスの方へ目をやり、クスクス笑った。
《兄をからかうものじゃない》
 心がかなり動揺し、気拙さから私は席を立った。
《兄上、どちらへ?》
《風に当たりに行って来る》
 弟に見透かされてしまう程、彼に釘付けになってしまっていたとは……。不覚だった。
 他人のものだと判っていても、手の届かない至極の宝石の様な相手だと判っていても、一時も彼の事が頭から離れなかった。
 ロスロリアンとは、また違った幻想的な闇の森の中を彷徨う様に歩く。
《夜の闇の一人歩きは、余り歓心出来ませんよ、ガラズリムの方》
 頭上からの声に驚いて振り返ると、その声の主は白馬に乗ったレゴラスだった。
 彼は馬から優雅な所作で飛び下りた。長い衣装の裾と袖と…美しい黄金色の髪が舞う。
《兵士達に守られているとは言え、ここは“闇の森”なのですから》
《レゴラス様…》
 驚いて彼の名を呟く事しか出来なかった。
《レゴラスで結構ですよ。エスガロスの人間達にもそう呼ばせています》
 そう言って、物憂げそうに肩に掛かった長い髪を後ろに払った。
《闇の森の者以外が、これ以上奥に進むのは危険ですよ。戻られた方が良い》
 では私はこれで、と言って再び馬に乗ろうとする彼を、思わず呼び止めてしまった。
「レゴラス様」
 私は敬称を付けて名を呼んでしまった事と、…いや、それ以上に呼び止めてしまった事自体に、自分でも驚いてしまい、少し狼狽する。
「はい?」
 私が共通語で呼び止めた為か、彼も共通語で怪訝そうに振り返った。
 意を決して、秘めていた想いを告げる。
「不躾を承知の上で、申し上げます」
 私は彼と目を合わせる事が出来ずに、伏し目がちに俯いた。
「あなたがロスロリアンにいらしてから、私はあなたの事が忘れられない」
 心臓が跳ね上がり、それは次第に大きくなる。
「ありがとうございます。でも私は、あなたの想いに応える事は出来ませんよ」
 彼は普段の、初めて出会った時と同じ、氷の様な表情で、そう言った。
 それは、あなたがあの方の想い人だから。そしてあなたもまた、あの方を…。
「判っております。あなたのその胸の内に、想い人がいらっしゃる事は」
 レゴラスの表情に驚愕の色が浮かんだが、それはすぐに、開き直りとも取れる、妖しく妖艶な笑みに変わる。
「……見ましたね? でも、まぁ良いでしょう。一つ教えて差し上げます」
 私は顔を上げ、彼の顔を見つめた。
 馬の立て髪を撫でる手を止め、レゴラスの表情から笑みが消えた。
「私は誰のものでもありませんよ。誰かのものになるつもりも無い」
 無表情のまま、彼は鋭い視線で、私をしばしの間見つめていた。私は困惑し、返す言葉を見つける事が出来ずにいた。
 そして。
「先程の言葉、聞かなかった事にして差し上げます」
 口端を僅かに上げ、笑いながらそう言って、レゴラスは馬に乗った。
 そして愛馬の腹を軽く蹴ると、森の奥へ消えて行った。


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