immoral -5-

 閉まった扉に背を預けて、カールは大きく深呼吸する。
 包帯の巻かれた左手を右手で包み込み、唇に寄せる。
 今もヴァン・ヘルシングの感触が残る指先に唇が触れると、自然と心臓の鼓動が早くなる。
「……ズルイよ」

「やぁ、カール。今日は一日ラボじゃなかったのかい?」
「あー? ジョルジオか…」
 呆けた顔を上げると、書見台の向こうに立っていたのは、両手に羊皮紙を大量に抱えたジョルジオだった。
「あれ? 怪我をしたのかい?」
 ジョルジオが顎をしゃくって指したカールの左手は、ヴァン・ヘルシングに包帯でグルグル巻きにされたままになっていた。
「ちょっとね…」
 大きな溜め息を吐いて、右肘を着く。
「大丈夫かい?」
 細密画家は心配そうに眉間を寄せた。
「見た目程じゃないよ(多分…)」
 カールは包帯の巻かれた人差し指以外の指を、開いたり閉じたりして見せた。
「しかしソレ、ヘタクソだなぁ。自分でやったのかい?」
「違うよ。大袈裟なんだよ、ヴァン・ヘルシングは」
「へー、ヴァン・ヘルシングがねぇ…」
 如何にも何か良からぬ思考を巡らせているジョルジオに、カールは抗議する。
「あのね、変な想像しないでくれる? 彼とは何にも無いったら!」
「いや〜、他の連中だったら『舐めときゃ治る』で終わるのにな、と思っただけさ」
 カールの胸がドキリと鳴り、指先にヴァン・ヘルシングの舌の感触を思い出す。
「…ーい! ジョルジオ、そんな所で油売ってるんじゃない!」
 遠くから文書館長が、ジョルジオを呼び付ける声が聞こえた。
「やば! 行かなきゃ。じゃ、また後で」
 重い羊皮紙を抱えて、ヨタヨタと早足で去って行くジョルジオの後ろ姿に、カールは周りに気付かれぬ様、一瞬だけのアカンベーをする。
 フン!と鼻を鳴らすと、書見台に置いた分厚い本に目を落とし、大きな溜め息を吐く。
(何だか疲れた…) 広げられた本の上に、右頬を乗せる。
 以前この状態で転た寝をしてしまい、文書館僧に「本が傷む!」と叩き起こされた事があったが、今はそんな事はどうでも良かった。
 目の前には、包帯でグルグル巻きの左手。
『他の連中だったら「舐めときゃ治る」で終わるのにな、と思っただけさ』
 それって、やっぱり……。
『ヴァン・ヘルシングがキミの事、好きだっていう事だよ』
 そ、そりゃ僕だって、彼の事嫌いじゃないよ。
 でも、それって“そういう”意味じゃないと思うけど…。
『へー。余程、キミはヴァン・ヘルシングの事が嫌いなんだね』
 確かに昨夜の聖騎士団の一員にあるまじき行為には、かなり頭に来た。でも――。
(……。嫌いじゃないよ。どちらかと言ったら…好き…かな)
 顔が一気に上気する。
(う、うん。やっぱり僕、ヴァン・ヘルシングの事が好きだ…)
 急に胸が切なくなり、目をギュッと閉じると涙が滲んで来た。
(これが恋ってヤツなのかなぁ…)
 右頬を本に付けたまま、大きく溜め息を吐いた。
(これから一体どうなっちゃうんだろ…)
「書物が痛むといつも言っているだろう!」
 突然、頭上から降って来た怒声に、慌てて上体を起こす。
「ご、ごめんなさい!」
「その寝癖頭は…カール、またお前か!」
 声の主を確認すると、それは腰に手を当て、額に青筋を何本も走らせた文書館長だった。
 選りによって、面倒な人物に見つかってしまった。
 別室に呼ばれ、それから六時課の鐘が鳴るまで、たっぷりと絞られる事となった。

 ヴァン・ヘルシングから逃げる様に過ごし始めてから、何日か経っていた。
 自分の気持ちに気付いてから、何となく彼と顔を合わせ辛くて、避ける様に生活していた。
 ジョルジオの話では、ヴァン・ヘルシングが自分に好意を抱いているのは、端から見ても一目瞭然という事だが、実感が全く無かった。
 しかし、顔を合わせ難くても、彼に頼まれていた回転ブレードの修理は、きちんと終わらせていた。
 この日、カールは文書館から借りて来た研究書を両脇に抱えて、自分の実験室に向かっていた。
「…よい…しょっ、と」
 右腕に一冊、左腕に二冊。しかも大きさも厚さも不揃いなそれは、カールを散々手こずらしていた。
 歩いて行くと、本が滑り落ちそうになり、立ち止まって何とか持ち直し、しばらく行くと、また滑り落ちそうになり、立ち止まって持ち直す、という行為を繰り返していた。
 交差した廊下の角を曲がった途端。
「ぅわっ!!」
「おっと、済まない。――カール?」


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