butterfly-3-

 アラゴルンの冷えきった指先は、レゴラスの顔に張り付いた髪を横へ掻き揚げ、その掌で頬を包む。
「…俺を試すのは止してくれ」
 一瞬、呆気に取られた顔をしたレゴラスだが、アラゴルンの口調が和らぐと、優しく微笑み返す。
「あなたを試したつもりはありませんよ。でも…心配してくれたんですね」
 長い時間冷水に浸かっていても、ほとんど体温の変わらないエルフの頬から、アラゴルンの指先の冷たさが伝わる。その冷え切った右手を取り、レゴラスはその指先に唇を寄せる。
 その笑みと行為に毒気を抜かれて、ホッとしたところで、水の冷たさが身に染みて来た。
「寒い! 上がるぞ」
 アラゴルンはクルリと背を向けて、水を掻き分け岸に向かって行く。
「待って下さいよ」
 ザバッという大きな水音と共に、レゴラスは後ろから抱き付く。
「抱き付くな! 放せ!」
「イヤです」
 レゴラスはワザと体重を掛け、アラゴルンを引き止めようとする。
「レゴラス! 風邪をひいてしまう」
「もう! 仕方無いですね。でもこのままで居させて下さいね♪」
 身体から力を抜くと、アラゴルンの広い肩に頬を寄せ、目を閉じると完全に身を預ける。
 耳元でレゴラスの呼吸が感じられる。後方から聞こえる水を跳ねる音は、彼がそのしなやかな足をバタつかせているからなのだろう。
 本当にこのエルフは、無邪気なのか計算高いのか。
 俺の目の前で優雅に舞って、心を翻弄する色鮮やかな蝶の様だ、と思った。
 この世の空に舞う、どんな蝶より気紛れで、誰もが密かに手に入れたいと狙う美しい蝶。
 その美しい蝶は毒を持っている。――それは激しいまでの独占欲。
 だが自らは籠の中で住む事を好まず、気ままに花を探し続けている。
 俺はその毒を知っているから、蜜の無い草の振りをし、蝶が通り過ぎるのを待つ。
「レゴラス、そろそろ立て」
 足を川底に付き、急いで先程拾って来た小枝に火を着ける。
 悴んだ手では、なかなか火が点かずアラゴルンは苛立った。
 置いてきぼり状態のレゴラスは、大事そうにコートを抱え、ゆっくりと岸へと上がる。
「おい、レゴラス。それ、搾っておいてくれ」
 火で暖を取りながらアラゴルンは、着ているものを脱ぎ、丁寧に水を搾ると、レゴラスと同じ様に手近な木の枝にそれらを掛けて行く。
「出来ましたよ。あなたの場合、何も無いよりは、これくらい羽織っていた方が良いかもしれませんね」
 焚き火に手を翳し、寒さに震える人の子に、レゴラスは彼のコートを手渡す。
 エルフのバカ力で搾られたコートは、驚く程に水気が無くなっていた。
 それを肩に羽織る。
「レゴラス、お前も座れ」
 アラゴルンが焚き火を掻き混ぜた途端、燃えている木が音を立ててはぜた。
「そんな風に立ってて貰っちゃ、こっちが困るし…」
 ここでアラゴルンは一呼吸置く。
「それに二人の方が暖かい」
 チラリとレゴラスに目をやり、ほら、と腕を上げた。明後日の方向を見ているのは、照れている証拠か。
 レゴラスは思わぬ申し出に、満面の笑みを浮かべ、彼の腕の中に身体を滑り込ませ、フフと笑った。
 アラゴルンの鎖骨部分に顔を寄せ、腕を首に絡ませてしがみ付く。
 肩を抱くと、その甘える様に擦り寄せるエルフの妖艶な肢体は、酷く華奢に感じられた。
 芯まで凍えた身体には、普段、いくらか体温の低いこのエルフの身体さえも暖かい。
 これも蝶の舞の一つか。
 その羽を羽ばたかせる度に舞う鱗粉は、肺肝に入り込み、甘美で切ない誘惑へと誘(いざな)う。
 妖艶で美しい蝶の姿は、例え雑草であっても、目を、心を奪われずにはいられない。
 ピクリと動いたレゴラスの長い指が、首筋をなぞった。
「やだ、くすぐったい」
 レゴラスの身体が見動く。
 無意識の内に、彼の生乾きの髪を一房、指で絡め取り、それをクルクル弄んでいたらしい。その毛先が肌に触れて、「くすぐったい」と彼は言ったのだ。
「あぁ、済まない」
 レゴラスの額に掛かった金髪を指でそっと払うと、そこに口付けを落とす。
 長い睫を持つ瞼がゆっくり開かれ、碧い双眸が現れた。
 視線が合う。


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