運命の流れが一巡りした時
〜グロールフィンデル〜
恋 人-2-

 私の問い掛けに驚いて、一瞬身体を強張らせ、そのエルフは私の方へ振り向いた。
 青白い月明りの中に浮かんだその顔を見て、私は息を飲んだ。
「レゴラス…?」
 吹き抜けから降り注ぐ月の薄明かり。『イシルドゥアの禍』の壁画。砕けたナルシルの剣が置かれた石像。そして美しい黄金の髪を持つエルフ。
 これ程までに、幻想的な画を見た事があっただろうか。物語の挿絵を見ている錯覚に陥ってしまっていた。
 しばしこの光景に見とれていると、レゴラスは不意に、私に背を向け歩き出したのだ。
 我に返り、レゴラスの後を追い、その腕を掴んだ。しかしその瞬間、私の手は思い切り振り解かれた。
「私に触れないで下さい」
 そう言って、上目遣いで私を睨み付けて来る。
 不機嫌なのは父親と一緒の時だけかと思っていたが、このエルフは相当な他人嫌いらしい。それとも、極度の人見知りなのか、私が嫌われているのか。
「私とお話しもして下さらないのですか? レゴラス」
 口調は穏やかで、顔には微笑さえ浮かべていた私だったが、内心かなり驚いていた。
 今まで数多くの女性を口説いて来たが、こんな風に明ら様に拒否された事など無かったのだ。否、拒否された事自体、初めてだった。
「あなたとお話しする様な事など、有りませんから」
 そう言って再び歩き出したが、二・三歩進んだ所で何故か振り返った。
「……口紅。付いてらっしゃいますよ」
 冷たくそれだけを言うと、館の中へ姿を消して行った。
「………。参ったな…」
 私は指摘された口紅が付いていると思われる箇所を、手の甲で拭いながら呟いた。
 拒絶されたにも拘わらず、私の口許には自然と笑みが零れていた。今までになく心が浮かれた。
 どうやってレゴラスを振り向かせるか。頭にはもう、それしかなかった。

「…んっ…」
 私の膝の上に横据わりする女性は、唇を放すと苦笑した。
「今日のグロールフィンデル様は、いつもと違いますのね。何かありましたの?」
「いや、何も。どうして?」
 私は彼女の額や瞼に唇を落とす。
「だって――」
 彼女は立上がり、両手で私の顔を包み込み、額同士を合わせた。
「心ここに在らずって感じなんですもの」
 少し寂しげに笑い、「そろそろ行きますわ」と言って、彼女は私の部屋から出て行った。
 どうして女という生き物は、こうも敏感に心の動きを感じ取るのか。
 彼女の身体の線をなぞりながら、昨夜のレゴラスの薄手の夜着に包まれた身体を思い、彼女の熱い吐息と共に漏らす声を聞きながら、私の腕に抱かれたレゴラスは、あの感情を表さない氷の様な美しい顔を歪め、どんな声を出すのか想像し北叟笑んでいた。彼の人の薄桃色の唇は、一体どの様な味がするのだろうか。
 そんな事を思っていたのを、彼女は敏感に感じ取っていたのか。
 私は髪を掻き上げ、苦笑して立上がり、窓辺に佇む。
 ふと、窓の外の眼下に目をやると、スランドゥイル殿とエルロンドが屋外テラスの方へ歩いて行くのが見えた。ティーセットが乗せたられたワゴンを押した侍女が、二人の後ろを付いていた為、そこでティータイムでも過ごすのだろう。
 そこにレゴラスの姿は無かった。
 では、あの人は何処で何をしているのだろう。
 そこでレゴラスを探す事にし、取り敢えず部屋へ向かった。
「レゴラス、中にいらっしゃいますか?」
 返事は無いが、精神を集中して部屋の中の様子を探る。
 しばらくして。
「…どうぞ。開いてますから」
 居留守を使われると思っていたから、驚き半分嬉しさ半分…いや、嬉しさの方が大きかった。昨夜の事があったから、僅かでも心を開いてくれた様な気がした。
「グロールフィンデルです。失礼しますよ」
 扉を開けると、そこに広がっていたのは、またもや美しい画。
 午後の光がいっぱいに入り込む窓辺の椅子に据わり、白い衣装に身を包み、組んだ足の上に本を広げ、窓枠に肘を付いて物憂げそうにページを捲る、美しい金髪エルフ。
 昨夜と対になる画だった。
「私に何か?」


←BACK NEXT→